死神は時に浮かばれない

はねかわ

第1話 羨望

 色鮮やかに光り輝く街。世間は、近々訪れるクリスマスの空気感に毒され、街はありとあらゆるカップルで溢れている。


 テレビに映ったその光景を、多田春子おおたはるこは憐みの目で観ていた。


 しかしその感情は、テレビの向こうの彼らに向けられた物でなく、当たり前の幸せすらも享受できない自らを嘆く感情だった。



「あっという間に一年過ぎちゃったね。去年に今頃、君にプロポーズしたばかりなのに」



 何処にでもありそうなセリフを口にしたのは、中学からの幼馴染で、夫でもある多田司おおたつかさだ。

 特に秀でた才もなく、平凡な人生を送っている彼だが、その性格は、日々仕事に追われながらも妻の身を案じてやまない、優しき男であった。



「ホントだよね。『指輪を忘れても、貴方は僕と結婚してくれますか』ってプロポーズされてからもう一年だもんね」



 真新しい黒歴史を掘り返された司は、顔を真っ赤にしてわざとらしく咳き込む。恥ずかしい気持ちがあると同時に、久しぶりに笑う妻の顔を見れて、嬉しくもあった。



「それより、先週話したこと考えてくれた? 一応、三日後までに結論を出さなきゃなんだけど……」



 春子の言葉に、恥ずかしがっていた司の顔から血の気が一気に抜け、白くなる。

 無意味に肋骨を叩く鼓動を抑え込むように、司は深く俯いて、足元を睨む。

 ただならぬ感情に圧し潰されそうな夫に掛ける言葉を、この時の春子は知らなかった。



「正直、君のためって思ったら、賛成したい。でも、この先の人生に君がいないっていうのは、考えたくない」



 途切れ途切れに、自分の意見を伝えてくれる夫の感謝をしながらも、春子は布団で隠れた拳を強く握った。



「長くはないって分かってるけど、少なくとも春子の身体は今も生きようとしてる。なら、出来るなら最後の最後まで、生きて欲しい」



 捉えようによっては、残酷ともいえる司の願い。しかし、自分の夫が精いっぱい考えた末に絞り出した答えであったから、春子はそれを真摯に受け止めることが出来た。



「分かった。それじゃあ、もう少し頑張ってみる。ごめんね。もうすぐクリスマスなのに、こんな暗い話しちゃって」



「そんな事気にしないでよ。大事な可愛い奥さんのためなら、この司君は何でもやれちゃいますから」



 無理矢理にでも明るく振る舞う司を見て、本当にいい人と結婚したなと感極まった春子は、思わず緩んだ涙腺を慌てて抑える。



「それじゃ、タンスの奥に隠してるエッチな本は、私が帰るまでには処分しといてね?」



 泣きたい感情を何とか誤魔化そうと、春子はもう一度旦那をからかう。

 司は、どんと来いと胸を叩いたことを若干後悔しているようだったが、善処しますと、どっちにも付かない返答でお茶を濁した。



 そんな愛のある他愛のない会話をしている間にも、時間は留まることなく進んでいく。


 部屋の天井に取り付けられたスピーカーから和やかな音楽が流れると、それに続いて、若い男性の声で閉館の時間が伝えられた。

 本来ならあと三十分は話していられるのだが、今日は残業があったため、ここに来るのが遅くなってしまい、いつもより短い時間しかいられなかった。



「それじゃあ、今日はこの辺で。また明日も来るよ。そろそろお花も取り替えないとね。萎れてきちゃってる」



 青色の半透明の花瓶に添えられた、黄色いマリーゴールド。健康の意味を持つこの花を、司は枯れるたびに、新しい物に取り換えていた。



「別にお花なんていいのに。それより、自分の健康を気遣ってよ。夫婦そろって共倒れなんて嫌だからね?」



「分かってるよ。そのために自炊も頑張ってるんだから」



 よろしい。と、春子が返しを聞いて、司は部屋を後にした。



 薄暗い廊下を進んだ先にエレベーターホールには、自分と同じように、スーツの上にコートを羽織った会社員が何人かいた。

 白髪交じりになっていたり、一部だけ抜け落ちていたりと。少なくとも、司より三十年は生きていそうな人ばかりで、何故だか肩身が狭かった。



 一階の受付で、スタッフに受付カードを返却して外に出る。



 建物から漏れた光が、空を覆う薄い雲と、そこから降り注ぐ白い雪を照らす。

 今朝のニュースで寒くなるとは言っていたが、まさか雪まで降ってくるとは。


 タクシーで帰ろうとも思ったが、病院の最寄り駅まで着いてしまえば、あとは乗っているだけで家の真ん前に着く。

 行き帰りに楽をするために、わざわざ家賃の高い駅近マンションを借りたんだ。ここでタクシーを使ってしまえば、高い家賃を払う理由が無いではないか。



 そう思った司は、出しかけた財布を鞄に戻し、雪の降る夜道を進んでいった。

 幸い、傘を差さねばいけないほどの雪ではなかったため、滑りやすくなった足元さえ注意していればよかった。



 入り口の門は、クリスマスカラーの照明に彩られており、赤いニット帽を被った三歳ほどの少年が、証明よりも瞳を輝かせながら、右手の先にいる母親に綺麗だと話しかけていた。



 微笑ましくも、羨ましい光景。結婚したら、自分たちの元にも子供が産まれるのかと、思っていたが、現実はそう上手くはいかなかった。



 真っ白な息を吐いて、真っ白になりつつある道を進んでいく。ふと振り返って、さっきまで自分と春子がいた部屋を見てみる。



 電気は既に消えていて、周りの部屋の電気も段々と消え始めていた。

 それもそうだ。面会時間は終わった。つまりは、病院の消灯時間が来たということなのだから。

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