最後の願い

栗須帳(くりす・とばり)

第1話 死にゆく者


 年老いたその男は、最後の時を迎えようとしていた。

 静まり返った深夜の病室。

 男は弱々しく目を開け、天井を見つめていた。



 人生を振り返る。

 がむしゃらに、自分が信じる道を突き進んだ。

 家族に何を言われようとも、己が描いた幸せの為、前だけを向いて走った。

 結果、事業は成功し、巨万の富と栄光を手にした。

 しかしその時、彼の周りには誰もいなかった。

 一人になっていた。



 家族がいて、友がいて。

 彼らを顧みることなく、言葉に耳も貸さなかった。

 だがそれは、彼らの為と自分に言い聞かせていた。

 もう少し、もう少しで自分はそこにたどり着く。

 その日まで待っててほしい、そう願っていた。


 しかし、彼に残されたのは富と栄誉だけだった。

 その時、彼は初めて泣いた。

 自分の愚かさを呪った。



 その後、彼は栄光の座からも引きずり降ろされる。

 裏切られ、唯一の居場所も奪われた。

 それから数年。

 彼に残されたのは、彼が信じていた莫大な富だけとなった。



 孤独な人生だった。

 これがゴールなのか。

 誰も訪れない豪華な病室で一人、彼は己の人生を振り返り苦笑した。





「こんにちは」


 間近で女の声がした。


 もう巡回の時間なのか、そう思い弱々しく視線を向けると、自分の顔を覗き込む若い女の姿が映った。


「……」


 月灯りだけが頼りの、薄暗い病室の中でも分かった。

 これほど美しい女、見たことがない。

 きめ細やかな、透き通るような白い肌。薄紅色の小さな唇。長い睫毛に大きな瞳。

 彼はその美しさに圧倒された。


「今は……何時なのかな」


「さあ。よく分からない」


 その答えに苦笑した。彼女は見回りに来た看護師ではない、そう理解した。


 女はまじまじと男の顔を眺め、そしてベッドに腰掛けた。




 美しい女。

 しかし彼は感じていた。

 この女の顔からは、感情が読み取れない。

 まるで、まだ命を吹き込まれていないロボットの様だ、そう思った。

 声にも抑揚はなく、精度の高い人工音声を聞いているようだった。




「あなた、もうすぐ死ぬわよ」


「……ああ、分かってる」


「あら、うろたえないのね。私、たくさんの人に今の言葉を伝えたけど、ほとんどの人は驚いて、泣いて、取り乱していたわよ」


「俺の年を考えてくれ。驚く方が不自然だ」


「まあ、そうなんだけど……ちょっと肩透かしかな。私、いつもこの瞬間のあなたたちが好きだから」


「君は……俺たちとは違うね」


「そうね、少なくとも人じゃない。この質問はみんなと一緒ね」


「死神という所かな」


「それもよく聞かれるけど、ちょっと違う。死神はあなたの魂を刈り取る者」


「じゃあ君は、何しにここへ」


「あなたの望みを叶えに」


 そう言って再び顔を覗き込む。


 しかし瞳からは、何一つ感情を読み取ることが出来ない。


「じゃあ君は、悪魔なのかな。願いの代償として、俺の魂を」


「いいえ、対価はないわ。強いて言うなら、私の望みはあなたの感情」


「……」


「私には、生まれた時から感情という物がないの。なぜ私がこう作られたのかは分からない。まあ別に、困ってもいないんだけど。

 私は人の感情を見るのが好き。だって私にない物だから。

 そしてね、一番感情が動く瞬間。そう、死を間近に控えたその時、人が放つ最後の欲望に興味があるの」


「最後の欲望……か」


「ええ。だから私は、自分が持っている力を使うことにしたの。願いを叶える力。

 そう言うとみんな、一言目に死にたくないって言うの。でもごめんなさい。それはどうすることも出来ない。

 でも、他の望みなら何でも叶えてあげる。ねえ、教えて頂戴。あなたは私に、何を望むかしら」


「……」


 彼は再び目を閉じた。



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