京終驛

委員長

京終驛 -Kyobate Station-

 幼年の時分は、京終驛の近くに両親と住んでゐた。自分がまだ保育園に通つてゐた頃の話である。父か母か或いは両方かは分からないけれど、一度となくこの小さな寂れた驛まで連れて行つてもらつたことを覺えてゐる。木造の驛舎は明治期以来百年ほどの間、建て替へられてゐなかつたといふから驚きだ。白壱色の簡素な造りで、よく見ると板の継ぎ目からどんどん朽ちてゐるのが分かつた。最近になつて、もうこれ以上ほつたらかしには出来ないといふ譯で、役所が鐡道會社から舊驛舎を無償で譲り受けて改築した。今はこの邊りに出向くこともなくなつたから、その樣子を直に伺ひ知ることは叶つてゐない。噂では、無人驛であるのは相變はらずだが、外壁は橙色に塗り變へられ、喫茶店が併設されたといふ。随分とお洒落を決め込んだものだと感心するが、個人的には昔見たあの寂しい驛の方にこそ魅力を感じる。

 京終驛に来た私はいつも決まつて、驛のすぐ隣にある車庫を見學してゐた。保線車輛壱輛分しかない、こぢんまりとした鈍色の車庫だ。すぐそばまで道路が續いてゐるから、停留してゐる黄色の保線車輛をじつくりと鑑賞できた。車庫の横では、いつ来ても観賞用の花が長机の上に並べられてゐた。當時は近所の園藝店が土地を借りてゐるのだらうと思つてゐたが、後々になつて調べてみると、花の苗を販賣してゐたのは西日本旅客鐡道の大阪事業部といふところだつた。阪神電氣鐡道が阪神園藝といふ名で、高架下で植物を育てて賣つてゐるのは知つてゐたけれども、西日本旅客鐡道も同じやうにやつてゐたとは初耳だつた。

 改札口は大人二人がすれ違へるくらいの幅で、自動改札機などといふ高価で維持に手間のかかるものは當然置かれてはゐない。驛の構造は弐面弐線の相對式ホームで、さらに貨物用に使つてゐたと思はしき線路が何本か敷かれてゐる。ちつぽけな驛にしては随分と手の込んだ仕樣だ。といふのも、この驛が設けられた當初は、ここがまさに終點の驛であつて、農作物や特産品の集積地であつたらしいのだ。その後、京終驛から延伸して次の奈良驛まで線路が達すると、時代の流れのなかで京終驛は原初の目的を失ひ、今は萬葉まほろば線といふ長閑な路線のひと驛に収まつた。

「京の終て(はて)」と名付けられたこの驛は、確かに古の平城京の境界付近に位置してゐるが、周邊を住宅に圍まれた現在では、「玄關口」といふ面影は感じられない。流れゆく穏やかな時間のなかで、京終驛は今日も各停列車を見送つてゐる。


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京終驛 委員長 @nigateiru

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