穴に向かって撃て

 家から出て思い切り背伸びをする。日に日に空気が美味くなっているような気がする。


「今日の空気は昨日より美味い」


 俺の心を読んだかのように玄関前に座って空を見上げている親父がしわがれた声で呟く。その手には紫煙を立ち昇らせるパイプが握られていた。


「そんなもん吸って空気の美味さがわかるのかよ」


 俺のツッコミを無視して親父はパイプに口をつける。


「口の減らないガキだとばかり思っとったが……ここまで穴を塞ぐとはのう……」


「親父達が頑張った結果だよ」


 俺の返しに親父はニヤリと笑うと立ち上がった。


「ほいじゃ、最後の仕上げといくかの」


 そう言いながら親父は空を睨む。空は、そこまで厚くはない黒い雲に覆われており、雲の中心に真っ黒な線……いや、よく見ると黒い楕円が刻まれている。

 いそいそと出て来た母親が俺達の後ろで簡単な祈りを捧げる。


「最後のお務め、しっかりと……」


「「飛翔呪文ハイラーフ」」


 俺と親父は同時に空を飛ぶための飛翔呪文を唱え、空の穴に向かって飛んでいく。


「!  先客がいるな!」


 穴の中で青白い顔をした目の血走った男が穴の縁に手をかけている。

 魔物だ。

 魔物の中には人間と変わらない見た目の奴らもいるが、その膂力・魔力は人間を圧倒する。

 俺達が勇者の遺志を継いで穴を塞いでいるのと同じように魔王の遺志を継いで穴を広げようとする者達がいた。こいつもその中の一匹なのだろう。

 その魔物が俺達に気づいたようで無数の触手を口から吐き出してきた。無数の触手が蠢き、俺達を捉えようと縦横無尽に伸びてくる。


「やり方はいつも通りだ! 儂が援護! お前が決めろ!」


「了解だ」


 触手の中に俺は迷いなく突っ込む。いや、数瞬前まで触手があった場所に……だ。


熱線呪文ヒートレジェイ!!」


 親父が呪文を唱えると無数の光線が照射され、触手を焼き払って道を切り拓いたからだ。

 魔物に肉薄した俺は練り上げていた魔力を解放する。


「光り輝く神の手をその目に焼き付けろ!! 神撃呪文ゴッドハンドクラッシュ!」


 魔力で形造った光り輝く巨大な右拳で穴を広げている魔物を殴り飛ばす。すかさず巨大な両の手で穴の縁を掴むと無理矢理引っ張り、穴を塞ぎにかかる。見る見る閉じていく穴の隙間から触手が伸びてくるが、親父がすべてを撃ち落とす。


「GYAAAAAAAAaaaa……」


 穴を塞ぎ切ると魔物の負け惜しみのような絶叫は聞こえなくなった。俺は引き続き巨大な両手に全力を注ぎ、穴を塞いだ状態で維持する。少しでも気を抜けば、また元の位置まで戻ってしまうからだ。


「親父!」


「言われんでもわかっとる!」


 親父は穴の直近まで飛んで行くと


空間拘束呪文セチューム!」


 呪文を唱え、次々と何もない空間に剣を突き刺す。すると、剣を刺した空間を縫うように光の帯が現れ、塞いだ穴を固定していく。


「もう大丈夫じゃぞ」


「ぶはあああああ」


 親父の言葉を合図に俺は巨大な手を消し、盛大に息を吐いて脱力する。空間を固定する魔法を使ったために親父もフラフラだ。


「さあ、帰って母さんの料理で宴会だ!」


 親父からの最高の提案に親指を立てて返答すると二人揃って全速力で家へと戻った。




 目が覚めたので辺りを見回す。リビングの椅子に座っているようだ。目の前のテーブルには料理が載っていた皿と飲みかけの酒が置かれている。お袋の料理を肴に親父と酒を酌み交わし、労い合っている内に眠ってしまったようだ。とりあえず、残っていた酒を飲み干す。


「起きたか?」


 奥の部屋の暖炉の前で椅子に腰掛け、パイプを咥えていた親父が声をかけてきた。


「いつの間にか寝てた……」


 俺は頭をくと思いっきり背伸びをする。


「これからどうするつもりだ?」


 親父が静かに問いかけてきた。


「もうお前をここに縛り付けていた穴はないのだ。ここに居続ける必要はない。多くの先祖達が焦がれた自由がお前にはあるんだ」


「急に聞かれてもな……。親父達はどうするんだ?」


 親父が紫煙を吐き出す。


「儂らは……歳を取り過ぎた……。これから新たな人生を歩むのは難しい。母さんとここで今までのように生活するよ。……しかし、お前はまだ二十歳になったばかりで若い。新しい生活にも順応できるだろう。だから、お前には山を降りて街で生活してほしい」


「俺が居なくて大丈夫なのか?」


 親父が盛大に笑う。


「儂らはまだまだ動ける。お前が居なくてもどうにかなるわい!」


 山を降りての新生活。それを夢見たことがないと言ったら嘘になる。しかし、年老いた両親を置いて行くのも気が引ける。


「先祖が……儂らが夢見た平和な世界を……お前の目で確かめてほしいんだ」


 そう呟いた親父の寂しげな笑顔を見て、俺は決断した。


「じゃあ、行ってくるよ」


 俺は山を降りることにした。親父とお袋が笑顔で俺を見送ってくれている。


「色々と大変だろうけど、頑張ってね」


 そう言うとお袋は祈りを捧げてくれた。


「お前は優秀だから心配はしとらん! 綺麗な嫁さん見つけろよ!」


 そう言って親父は笑った。


「余計なお世話だよ!」


 俺は二人に背を向けると、背中越しに大きく手を振りながら山を降りるのだった。



──────



 山を降りて行く息子の背中を見送りながら、父親はパイプを口に咥え、今までの思い出を反芻する。


「あっ!」


 隣で同じように息子を見送っていた母親が素っ頓狂な声を上げた。


「どうしたね? そんな大声を上げて」


「どうしましょうお父さん……。あの子に……一番大事なことを教え忘れてましたよ……」


 そう言って母親は胸元から一冊の小冊子を取り出した。その小冊子を見て父親もハッとした顔をする。


「そ、そうだった……。儂らの代で穴が塞がる筈はないと思って、大事な世間での常識を教えとらんかったな……」


(今から全力で追いかけるか? いや、儂らの予想を覆して一族の悲願を成し遂げた息子なのだ……すべてを乗り切れるだろう)


 父親はそう判断するとオロオロする母親の肩に手を置く。


「大丈夫だよ。あいつを信じなさい。あいつならどんな困難も乗り越えられる。……それに、いきなり王都にでも行かない限りは大問題にならんじゃろ」


 そう言って父親が笑うと母親も笑顔を返した。


「そうですね。あの子ならどうにかできますよね」


 母親の言葉に頷きながら、父親は息子が進んで行った先に目を向ける。その空には暗雲が立ち込め始めていた。


(……不安になってきた……)


 父親の背中に少しばかりの冷や汗が流れた。



──────

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