第18話 永遠

美生の祖父、和之かずゆきは亡き妻の墓参りをしていた。墓のあるお寺は家から徒歩で30分位のところにある。働いている時は盆とお彼岸くらいしか来ることはなかったが、今となっては散歩をしていても行く当てもないし、ついつい足が向いてしまう。それで気付いたのだが、いつも墓はきれいに掃除されていて自宅の庭で咲いている花が供えてあった。娘の一美はちょくちょく来ているのだろう。


和之の亡き妻は一風変わった女性だった。




「村田君。君、付き合っている女性はいるかい?」


社長室で和之は社長に尋ねられた。別に和之が社長の覚えがめでたいという訳ではなく、社長が社員全員の名前と顔を把握している、そんな程度の規模の中小企業である。社長は続けた。


「俺にな、取引先の社長から娘の見合い相手を探してくれないかと頼まれているんだよ。」


社長が釣書を和之に渡した。まず写真を見ると、まあ、そこそこ美人と言ってよい。釣書を読むと現在21歳で女子大生。社長の話によると先方には跡取りの長男がいるので婿入りではなく、先方の会社で働く必要もないとのこと。


社長令嬢でまだ女子大生なのに、中小企業のヒラ社員である和之とお見合いをするなんて女性は何か訳アリに決まっている。できればお断りしたい。和之は言葉を選びながら、返した。



「えー、私はまだ25歳の若輩者ですし、我が社には私以上に優秀な人間が他にもいるのですから、そちらの方がいいのではないでしょうか?」


「あー、まあ正直に言うと君の前に何人か声をかけたんだけど、みんな彼女がいるとか、まだ結婚するつもりはないからって断られたんだよね。でも誰か紹介しないと俺の顔が立たないから、彼女がいないんだったら助けると思って一度会ってくれないか?」


お見合いと言っても、そんな堅苦しい感じではなく、かかる費用は社長が出すし、何なら休日出勤扱いにしてくれると言うので、休日出勤手当に目が眩んだ和之は引き受けてしまったのだった。


和之の趣味はバイクである。きっかけは高校時代に読んだとあるバイク小説でヒロインの美少女が乗っていたホンダのハンターカブに憧れたからであった。大学生の時にハンターカブを購入し、ツーリングに明け暮れた。現在はそのハンターカブから大型バイクのホンダCB750に乗り換えている。


自分の収入では、バイク趣味を続けながら妻子を養うのは難しい。だったら結婚なんてできなくてもいい。第一、バイクに乗っている男がモテるのは漫画の中だけで、現実の女性にはあまり受けが良くないのは大学時代の経験で骨身に沁みている。


まあ、とにかく一度だけ会って自分の趣味はバイクですと言えば、向こうから断って来るだろう。和之は楽観的に考えた。


お見合い当日、和之が社長に指定されたホテルのティールームに行くと、社長と写真で見た女性がいた。社長がお互いの紹介をして少し世間話をしたところで、後は若い二人で、と社長は帰ってしまった。


彼女は『永遠とわ』という名前だった。すごい名前だな、と和之は思った。彼女の親はどのような願いを込めて、こんな名前を付けたのだろうか? 彼女は落ち着いた雰囲気で年齢より大人びて見えた。


初対面の女性と二人きりになって、正直話題もないし、間が持たない。どうせならぶっちゃけてしまおうと、和之は不思議に思っていたことを尋ねた。


「永遠さんはまだ学生なのに、何でお見合いなんてするんですか?」


「私、今年四年生なので就職活動をしなければいけないのですが、就職したくないと言ったら父が怒りまして。」


「、、、それは怒りますよね。」


「就職したくないなら結婚して主婦になれということで、お相手を探すことになったんです。村田さんが私のお見合い相手の記念すべき第一号という訳です。」


「誤解なされないよう言っておきますが、私、別に怠け者ではないです。ただ、なるべく世間と関わらず静かに暮らしたいだけなんです。」


「、、、俺はバイクに乗るのが趣味で、それは結婚してもやめるつもりはないですが。」


「良いのではないですか? 生命保険とバイクの保険さえしっかり入っていてくれれば。」


永遠は動じなかった。とりあえず、お互い、ふだんの姿を知りたいでしょうから、日を改めてもう一度お会いしましょうということになって、その日はお開きとなったのであった。


今度は、食事くらいはご馳走しなければなるまい。給料日前だし、バイクにかかる費用でいつもかつかつの和之にはちょっと痛いが仕方ない。永遠が普段着で来てくださいと言うので、和之は一張羅の革ジャンとジーンズで待ち合わせの駅に行った。


お見合いの日の永遠は上品なワンピース姿だったが、今日は洗いざらしたTシャツとジーンズにツバの広い帽子でノーメイクという、これから草むしりでもするんですか? という出立ちである。永遠が近くにある大きな公園に行きたいというので二人は並んで歩いた。


その公園は東京とは思えないほど広くて緑が多かった。芝生の広場に出ると、そろそろお昼にしませんか? と永遠はピクニックシートを広げてカバンから弁当箱を出した。弁当箱の中には、おにぎりが詰めてあった。


外でおにぎりを食べるなんて小学校以来だ。和之は遠慮なくおにぎりを取って一口食べた。美味い。和之は驚いた。何が違うのだろう。和之は率直に褒めた。


「美味いです。このおにぎり。」


永遠は得意なような、満足したような笑みを浮かべた。和之は永遠が持って来たおにぎりを全部食べてしまった。


永遠がおにぎりを持って来てくれたので、出費がなかったのは助かった。和之はおにぎりの材料費を払うと言ったが、永遠はおにぎりの材料費なんて、たかが知れてますからと受け取らなかった。


来週もう一度会いましょうということになって、


「私は村田さんは良い方だと思うので、村田さんさえ良ければ結婚したいと思うのですが、村田さんが嫌なら次の方を探さなければいけないので、来週お返事をいただけますか?」


永遠は微笑んだ。


お見合いって、こんなに展開が早いものなのか? 和之は頭を抱えた。


バイクに乗れなくなる位なら結婚なんてできなくてもいいと思っていたが、それは半分諦めの気持ちだったからで、結婚自体が嫌という訳ではなかった。まだ昭和のこの時代は結婚は当たり前のようにするものだった。今回、彼女との結婚を断ったら、次のチャンスがあるかどうか正直自信がない。何より、永遠というちょっと風変わりな女性に心惹かれるところがあった。


悩んだ挙句、自分では結論が出せないので、永遠に決めてもらうことにした。翌週、今度は別の公園でお昼となって、和之は永遠に自分の給与明細書を渡した。


「永遠さんは専業主婦になりたいんですよね? この手取りでやりくりできますか?」


永遠はあまり興味もなさそうに明細書を眺めた後、和之に返した。


「東京の郊外ですが東久留米市というところに祖父母が住んでいた家があるんです。そこに住めば家賃がかからないから大丈夫でしょう。」


「これで決まりですね。末長くよろしくお願いします。」


永遠はにっこり笑った。




永遠が亡くなって、もう25年近くになる。永遠なんて名前なのに、あっという間にいなくなってしまった。このところ妻に無性に会いたいと思うようになった。まあ後15年もすれば、あの世とやらで会えるだろう。その時はいっぱい孫の美生の話をしてやるから楽しみにしててくれ。墓前で和之は手を合わせるのだった。

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