『東京八猫伝!(=^・^=)!』~せっかく復活したのに猫探しの旅ですか!?~

J・P・シュライン

プロローグ

第1話 勅命!猫を探し出せ!

(ごめんね、馬琴ばきんちゃん、誰かいい人に拾われてね……)


 コロナウイルスCOVID-19による肺炎が急変し、意識不明のまま救急車でICUに運ばれた【滝沢たきざわみどり】は、人工呼吸器に繋がれたまま死の間際にかすかに意識を取り戻した。

 朦朧もうろうとする意識の中で、愛猫あいびょう馬琴ばきんの黒い滑らかな毛並みと愛くるしいオッドアイの潤んだ瞳が頭に浮かぶ。

 文学少女だったみどりの、最初にして最高の愛読書『』。

 その作者の名前から命名した愛猫の行く末を案じるみどりの周囲では、なんとか彼女の命を繋ぎとめようと看護師たちが懸命の処置を続けていた。


(もう、いいですよ……)


 声にならない思いを目線だけで伝えようとした瞳に、黒い影が映る。


(馬琴ちゃん!?)


 ICUに猫が入ってこれるはずがない。

 それは分かっていたが、みどりはこう思った。


(馬琴ちゃんがお別れの挨拶をしにきてくれたんだ)


 みどりは目を閉じて穏やかな微笑を浮かべると、永遠の眠りについた。


**********


「滝沢さん! 起きてください! もう退院ですよ!」

「ひゃ、ひゃい!?」


 看護師に体を揺すられて慌てて体を起こしたみどりの目に飛び込んできたのは、プレハブ小屋の様な簡易な内装と、やれやれと言った表情で見下ろす恰幅かっぷくのいい中年看護師の姿だった。


「あの、わたし、死んだんじゃ?」

「あははは、何寝ぼけてるのよ! じゃあ、死人と話出来る私は何なんですか?」

「あ、いえ、その……あっ、そうだ!猫見ませんでしたか?馬琴ちゃんって言って黒猫でこれ位の……」


 手を使って必死に説明するみどりに、看護師が呆れた様に返す。


「ここ病院ですよ?猫なんて入って来れる訳ないでしょ?

 さぁ、いつまでも寝ぼけてないで、2週間の待機期間終わったんだからさっさと出て行く! 次の患者が待ってるんだから!」  


 何が何だか分からないが、彼女からは納得いく説明は受けられそうにない。

 とりあえず、言われた通りに荷物をまとめて受付に行き、気になっていた事を聞いてみた。


「すみません、支払いってお幾らでしょうか?」

「治療代なら昨日上役の方からお支払い頂いてますよ、それとご伝言で、今日は午後からの出勤でいいそうです」

「え? そうなんですか、分かりました」


 医療保険にも入っておらず奨学金の返済で手一杯のみどりは、サラ金のお世話になる事も覚悟していたが、なんと上司が支払ったと言う。

 人工呼吸器まで使った上に、恐らくはコロナ用の新薬でも使ったのであろう、数千円という事はあるまい。


(労災? なのかな? まいっか、それよりも久しぶりの外の空気だ!!)


 みどりは復活した肺に思いっきり空気を吸い込むと、大急ぎで電車を乗り継いで三鷹の1Kの安アパートに戻った。


「馬琴ちゃん!」


 ドアを開けると、いつもなら擦り寄ってくる馬琴の姿が見当たらない。


(やっぱり病院で見たのは馬琴ちゃんだったのかな? いや、この前も逃げ出したと思ったら、タンスの引き出しの中から出て来たじゃない! きっと長い事留守にしちゃったからスネて隠れてるだけよ!)

 

 無理やり自分に言い聞かせると、馬琴を捜索したい気持ちに後ろ髪を引かれながらも、出勤のために手早くメイクをして髪を整える。


 鼻筋の通ったたぬき顔は、決して絶世の美女という訳ではないが、ミディアムショートの髪と154cmの小柄な体はマスコット的な愛嬌があるのか、男性から言い寄られる事も珍しくはなかった。

 ダークグレーの七分丈のパンツスーツに黒のカットソーに着替えると、控えめな胸のふくらみを気にしながら、グレーのジャケットを羽織る。


(とりあえず、山下課長に治療代の事聞いてみなきゃ……)


 ローヒールの黒のパンプスを引っかけ、玄関のドアを開けるとおもむろに振り向いて馬琴の名前を読んでみるが返事はない。


(もぉ、どこに隠れてるのよっ!)


 頬をぷうっと膨らませて誰もいない部屋の中をひと睨みすると、職場へと向かった。


 みどりはこの春に大学卒業後、東京都の職員として都庁で働いている。

 総武線を新宿で降り、都庁までの見慣れた通勤風景に微かな違和感を感じながら、第二本庁舎の19階でエレベーターを降りると、課長の山下に声を掛けられた。


「滝沢!」

「あ、この度はご迷惑をおかけしました! 治療代の事なんですが」

「それより、話がある! ついて!」


?)

 

 訳も分からないまま渡り廊下で第一本庁舎に向かい、山下に続いてエレベーターに乗り込む。

 山下がボタンを押したのは8階、知事室のあるフロアだ。


「あの、どこに行くんですか?」

「滝沢、病み上がりですまぬが、ちと頼まれて欲しい事があるのだ、おぬしにしかできぬ仕事じゃ」

「はぁ……」


(何なの? これ、ドッキリなの??)


 何故か時代劇口調で話す上司に戸惑いつつ、後に付いて行くと山下は知事室の前で立ち止まった。

 知事室は入庁一年目の新人が気軽に入れる場所ではない。

 会議などで急に必要となった資料を届けるのでさえ、課長級以上の役目とされている雲の上の場所…

 そう教え込まれていたみどりは、緊張に唾をのみ込む。


殿との、連れて参りました」

「うむ、通せ」


 観音かんのん開きの大きな扉が開かれ、正面には会議用の豪勢な長テーブルが鎮座している。

 その向こうで、こちらに背を向けて立っていた女性が威厳たっぷりにこちらを振り向いた。

 その顔はテレビで連日見かけるお馴染みの中池なかいけ都知事の顔だ。

 みどりは押しつぶされそうな緊張から逃げる様に大声で挨拶をする。


「し、失礼します! 滝沢です!」

「そなたが滝沢か、かわいい顔をしておるのぉ」

「は、はい! ありがとうございます!」

「そなたに折り入って頼みがあるのじゃ」

「はい! 何でしょうか!」

「探し物をして貰いたい、いや、物ではないが……」

「一体何を?」

「その前に、そなた、馬琴という黒猫を知っておるか?」


(え? 何で知事がわたしの馬琴ちゃんの事を?)

 疑問に思いながらもこちらから質問できる空気ではないので聞かれた事に答える。


「はい、わたしの飼ってる猫です」

「左様か、やはりこの役目、そなたを置いて他にはない」

「はぁ…」

「猫じゃ!」

「はい?」

「猫を探すのじゃ!」


「猫を!?!?」

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