第260話 崩壊のイハ・ンスレイ


 がらがらと悪魔像が崩れ落ちていく。

 ディープワンズのパニックはより大きくなった。

 まあ、たぶん信仰の対象なんだろうからね。あれは。


「はずしてしるじゃないか!」

「私が外す? 馬鹿をいってはいけませんよ。母さん」

「そうです。狙い通りですわ!」


 ミリアリアの言葉をメイシャが引き継ぎ、高々とビショップスタッフを掲げる。


「今よりこの地は神前こうまえですよ。陽ノ下に出でて頭を垂れなさいませ、海底都市イハ・ンスレイ!」


 まばゆいばかりの光が礼拝堂に満ちた。

 ふうわりと金髪が巻き上がり、青い瞳は淡く輝き。


 まるで女神の降臨のようである。

 いや、女神さま見たことないけどね? イメージとして。


 光の中、ディープワンズはおびえたようにうずくまり、ユウギリに絡みついていたスライムは蒸発するように消えていく。


 高く低く地鳴りが響く。

 立っていられないほどの揺れは、海底都市とやらが浮上しているからなのだろう。


 もう無茶苦茶である。


 ディープワンズは悲鳴というか絶叫をあげ、もう戦闘どころではない。俺たちだって片膝と手を床についてバランスを取っている状態だ。


 そんな中、アスカはちょっと信じられないような平衡感覚でユウギリに駆け寄り、自分のマントを身体にかけてやっている。

 うん。優しい良い子だね。


 問題は、良い子じゃない二人の方だよ。


「ミリアリア、メイシャ。お前らなぁ」

「あの像を壊すことでメイシャと至高神のチャンネルが回復すると耳打ちされまして」


 にっとミリアリアが笑う。

 虎視眈々と像を破壊する機会を狙っていたらしい。


 けど普通に魔法を放ったんじゃ妨害される目算が高い。おそらくというか、疑いなくディープワンズにとって大切なものだろうからね。

 普通に開戦する、ということが大切だった。


 アスカ、サリエリ、俺の三人がユウギリを助けるために前進する。

 ディープワンズが迎え撃つ。


 どこからどう見てもおかしいところがない、本当に普通に幕開けのなか、ミリアリアとメイシャは、至高神の力がこの地に及ぶように最善の選択をしたわけだ。


「言ってからやれ」

「母さんなら、言わなくても判ってくれると思っていました」

「勝手なことを」


 苦笑して俺はこつんとミリアリアの頭を叩く。

 メイシャへのオシオキは、この馬鹿げた術式が終わってからね。





 もともと海底都市は暗かったわけではない。

 なにが光っているのかは判らないが、薄ぼんやりと明るかったのである。

 しかし今、俺たちに降り注いでいるのは陽光だ。


「あー、いつの間にか夜が明けていたんスねぇ」


 なんだか他人事みたいな感想を漏らすメグ。

 気持ちは判るけどな。

 海底にあった都市を、それごと浮上させるなんて現実感がなさすぎるよ。


「いつまで隠れているつもりですの? お出なさいませ。悪魔ダゴン」


 凜としてメイシャが言い放つ。

 こんな大規模な術式を使ったのに、疲労しているようなそぶりもない。


 変だな?

 メイシャの燃費なら、とっくにエネルギー切れを起こしていてもおかしくないのに。


「わたくしの力は使っておりませんわ。ネルママ。すべて至高神の御業です。たいそう荒ぶっておられましたの」


 俺の表情を見て、メイシャがクスッと笑う。


 すごく怒っていたらしい。

 ふたつのダンジョンを勝手に繋ぐとか、俺たちをインスマスに転移させるとか、そりゃもう好き勝手にやったから。


 人の営みに鷹揚で暖かく見守っている至高神だが、さすがに今回の悪魔の所業には堪忍袋の緒が切れた。

 そう滅多にやらない世界への直接介入をおこなうほどに。


 メイシャの身体を通して力を振るい、ディープワンズの本拠地である海底都市イハ・ンスレイを海上に浮上させたのである。


「なるほど。つまりメイシャは大丈夫なんだな?」


 神の力を宿したりしたら身体に異常が起きても不思議じゃないからね。

 そこは確認しておかないと。


「問題ありませんわ。むしろ調子が良いぐらいです」

「なら良かった」


 ふうと一息つき、こいこいと手招きする。


「なんですの? ネルママ」

「何にも言わないで、こんな大規模魔法を使うやつがあるかっ!」


 秀麗な顔の両頬をつまみ、びろーんと引っ張ってやる。


「いひゃいいひゃい! いひゃいでふは!」


 オシオキなんだから痛くて当たり前。

 お母さんに心配をかけた罰です。

 反省なさい。


「てめえら……ふざけるなよ……」


 ざばんと海から海底都市……この呼称はもうふさわしくないな。海上都市に上がってきた巨大な生物が、憎々しげに言った。


 体長なら五丈六間(約十五メートル)をゆうに超えているし、目方となると千貫(約四トン)はありそうだけど、とうてい目算なんかできない。


 魚のようなカエルのような顔、両手の指の間には水かきがあり、全身は鱗に覆われている。

 まるでインスマスを巨大化させたような醜悪な姿。これがダゴンの本性なのだろう。


「よう。しばらく会わないうちに男前になったじゃないか」


 メイシャのほっぺたから手を離し、俺はうそぶいてみせた。


 俺の後ろにはミリアリアとメイシャ、そしてメグが装備すべてを失ってしまったユウギリを守っている。

 そして右前にアスカ、左前にサリエリがポジショニングした。


「聖なる地に至高神くそやろうを呼び込みやがって。まさかラクに死ねるとは思ってないよな。人間ども」


 頭から蒸気が噴き出していないのが不思議なほどの激昂である。

 たぶん、謝っても許してくれないだろうね。


 そんなつもりもないくせに、つい馬鹿なことを考えてしまう。


 

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