第222話 逃げてる場合じゃない


 翌朝にはメイシャの傷は完治していた。

 サイリウスと名乗った老司祭は、たしかにかなり高位の回復魔法を使うことができる御仁で、俺たちは心から彼と至高神に感謝を捧げたものである。

 

 彼がいなかったら、メイシャはダメだったかもしれない。

 メテウスにつけられた傷は重く、内臓にまで達していたから。

 あとからサイリウス司祭様に状況を聞き、俺を含めたメンバー全員が青ざめたものだ。

 

 本当に感謝しても仕切れないとはこのことで、クラン『希望』として充分な寄進を約束したものである。

 いまは潜入任務中なので現金の持ち合わせがないから、後刻必ず届ける、とね。

 

 回復したとはいえ、メイシャもすぐに動かせる状態じゃないし。

 傷は癒えても失った血がすぐに戻るわけじゃないからね。

 

「捜索の兵が多すぎるスね。ちょっと動けそうもないス」

 

 偵察から戻ったメグが絶望の身振りで報告してくれる。

 

 教会に逃げ込んで二日目。

 俺たちはまだ王都フォリスタから脱出できずにいた。

 

 戦争に行かなかった兵をすべて注ぎ込んでるのかって思うくらいの数の兵士が街の中を動き回っていて、俺たちも封じ込められているのである。

 

 もちろん彼らはうろうろしているだけでなく、一軒一軒しらみつぶしに捜索中で、この教会にも当然やってきた。

 サリエリのインビジブルがあるから、俺たちが見つかることは絶対にないけどね。

 

「メイシャの体調を考えて、明日の夜か明後日の日中にフォリスタを離脱するって感じかな」

 

 教会の一角、俺は王都の俯瞰図を見ながら腕を組む。

 これべつに必要ってものじゃないんだけど、二日間でメグが集めてくれた情報を死蔵するのももったいないので、地図に起こしているのだ。

 

「日中の脱出ってことは、堂々と街門から出るんですか? 母さん」

「ああ。どうせインビジブルを使うから見えないし」

 

 ミリアリアの質問に軽く頷く。

 飛行魔法で街壁を越える必要はない。

 

「うちはぁ~ 哀しいぃ~ インビジブル屋ぁ~~」

 

 そしてサリエリがいつもの謎歌を歌う。

 ごめんて。頼り切りなのは認めるし、あとで埋め合わせもするから。

 肉でも酒でもおごるって。

 

「うちはぁ、食べ物につられるほど安い女じゃないのぉ。最低でも宝石は必要だよぉ」

「お手柔らかにな」

 

「街門を出るのは無理スよ。いっこうに開く気配がないス」

 

 メグが会話に入ってきた。

 

「んん? 今日も開いてなかったのか?」

「門の前では住民と兵隊が押し問答スよ」

 

 肩をすくめる。

 そりゃそうだろう。

 もう丸二日も街門が開いてないってことなのだから。

 

 フォリスタに限らないが、大都市ってのは生産より消費の方がはるかに多い。周囲の衛星都市から物資が入ってこないと、あっという間に飢餓が発生してしまうのだ。

 もちろん、外に出ないと商売にならない人だっている。行商人や隊商、旅芸人なんかがまさにそうだね。一ヶ所にとどまっていては商売あがったりなのである。

 

「暴動が起きてしまうぞ。それ」

「今日の雰囲気もかなり険悪だったスね」

 

 いずれ血の気の多い連中が爆発してしまう。

 そうなったら兵士たちだって武器を振るわないといけなくなる。

 乾いた燎原に火を放つような勢いで混乱が広がっていくだろう。

 

 ぶっちゃけ、丸二日も街門を完全に封鎖するとか正気の沙汰じゃない。出入りを制限したとしても、普通は商人くらいは通用門から出入りさせるもんなんだ。

 経済活動を止めるわけにはいかないからね。

 

 俺たちも、その通用門から出れば良いかなーとか思っていた。

 ちょっと甘かったね。






 結論からいえば暴動は起きなかった。

 それどころではなくなったからである。

 

 メテウスを倒してから三日後の夕方、王城で大騒ぎが発生した。

 市街地からでも判る騒ぎだ。

 なにしろ城の一角が崩壊してしまったのである。

 

 そして現れたのは巨大なモンスターであった。いやモンスターじゃなくて悪魔だな。あの気配は。

 うーむ。気配とか雰囲気で悪魔が判るようになってしまった。

 我ながらひどい人生を送ってるなぁ。

 

 ともあれそれは、ものすごく巨大で体高は四丈(十二メートル)はあるだろう。身体からは無数の触腕が伸びてるし、たぶん顔っぽいところには東方大陸で見た象の鼻みたいなやつがある。

 そして全身は鱗みたいなもので覆われていた。

 

 まあ、一口にいって不気味な姿である。

 

「石像みたいなものが弾き飛ばされています。たぶん石化能力もあるんでしょう。コカトリスみたいな」

 

 とんがり帽子のつばに右手をかざして遠望したミリアリアが分析する。

 よし。パニックには陥ってないな。

 

「でっかいけど! ヤマタノオロチほどじゃないね! かわいいもんだよ!」

 

 ふんとアスカが息巻く。

 いやあんた、ヤマタノオロチと比べたらたいていは小さくて可愛いでしょうよ。

 

 あんなん動く自然災害だよ。

 体長は五町(五百メートル)もあったじゃないのよ。あれ。

 

「まーあー メテウスっちが悪魔を食べてるからねぇ~ 他にも出てきてもおかしくないよねぃ」

 

 いつも通りサリエリがのへーっとしまらない笑みを浮かべた。

 どんなときでもマイペースなのである。

 サリエリもメグも、とくに緊張してはいないようだ。

 

「もうちょっと食っちゃ寝の生活をしていたかったですわ。至高神はわたくしに無為の休息は与えないようですわね」

 

 扉が開き、メイシャが姿を現した。

 顔色もすっかり良くなり、右手にはビショップスタッフ、左手にはおやつを持っている。

 元気になったんだな。良かった。

 

 ともあれこの街からは逃げるつもりだったけど、そうもいかないらしい。

 

「まあ、悪魔が現れたんじゃ仕方がないな。みんな、戦闘準備だ!」

『はい!!』

 

 娘たちが唱和する。

 

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