第205話 ディーシア会戦の顛末 二幕
グリンウッド軍が逃げようとしているなら、話はちょっと違ってくる。
俺は騎士ハサールと騎士ザッシマに依頼して、ある情報を兵士たちに共有してもらった。
「グリンウッドの連中は逃げようとしてるけど、お前らは逃げなくていいのか?」とね。
流言工作ってほどじゃない。
実際、アレクサンドラだって自分でいってたし。
だけど兵士の心理ってのはそう簡単じゃないからね。あいつらは逃げてるのになんで俺たちが命がけで戦わないといけないんだ、と、普通はこうなる。
ここは任せて先にいきな、なんて格好いいセリフは、よほど強固な信頼関係がないと出てこないもなのさ。
ざわざわと、インゴルスタ軍に動揺が走っていく。
「やってくれるじゃないか。軍神」
アスカとの戦いの中、自軍の変化に気づいたアレクサンドラが、馬上の俺を睨み付けた。
元はといえば、自分でアスカに不用意なことを言っちゃったからなのに。
それにさ、そんな余裕をかましてていいのかな?
よそ見をしていられるほど、俺の娘は弱くないぜ。
「とりゃっ!」
「ぐううっ!」
横殴りの一閃が雷帝の斧を高々と跳ね上げる。
そのままバランスを崩してくれれば良かったけど、敵も然る者、大きく後ろへと跳んで距離を取った。
「ここまでだね。闘神アスカ」
くるりと踵を返して駆け去っていく。
と同時に、満ちていた潮が引くようにインゴルスタ軍も後退を始めた。
「……見事」
あまりの引き際に、咄嗟に追撃の命令を出せなかった俺は、敵将の手腕に舌を巻くばかりだった。
味方の士気が低下したことを敏感に察知し、すぐに後退の指示を出す。
つまりアスカと戦いながらも常に戦況を把握していたってことだ。
「これは、認めざるを得ないな……」
豪腕っていう異称や、ドワーフの戦士ってことで、たぶん俺は舐めていた。
勇においては卓抜していても、智においては俺の方が勝っているだろうと。
とんでもない思い上がりである。
アレクサンドラというのは、アスカの武勇とライオネルの知略を兼ね備えたバケモノだ。
インゴルスタ軍がどの程度の数を動員しているか判らないけど、もし三万とか四万とかだったら少しやばい。
「……まともに戦ったら、こっちの損害もバカにならないぞ。こいつは」
アレクサンドラが去った方角を眺めて俺は独りごちた。
勝つだけなら簡単だ、なんて、我ながら大言壮語をしてしまったなと考えながら。
二度目のディーシア平原会戦もスペンシル軍の勝利で終幕した。
グリンウッド・インゴルスタ同盟軍が動員したのは約一万名。このうち二千四百名余りを失った。内訳としてはグリンウッド軍が二千二百名、インゴルスタ軍が二百名である。
対してスペンシル軍は五千名を動員して、戦死者は四十八名だった。
二倍の兵力と戦って撃退した上に、損耗率でも圧倒的に勝っている。
「大勝利を喜んでいる、という顔ではないな。お母さん」
「グリンウッド軍は弱かったです。指揮官のせいか兵士のせいか判りませんが、連中だけが相手なら、たとえ十万兵力が相手でも勝てるでしょう」
スペンシル侯爵に戦勝を報告した俺だが、じつは良い報せばかりではない。
「つまりグリンウッド軍でない方は強かったということか」
「はい。退いてくれなかったら、たぶん勝利ではなく痛み分け。どちらも千名程度を失って軍を退くって感じだったでしょうね」
いたずらに兵を失うだけなのが「見えた」から、アレクサンドラはさっさと軍を退いた。
本当に見事としかいいようのないタイミングだったため、追撃の命令を出せなかったほどである。
まさに虚を突かれた。
そしてその虚は、じつに理に適っていた。
「それほどまでに強いか。豪腕アレクサンドラは」
「武器をもって戦えばうちのアスカと互角の勝負ができて、智をもって競えば俺と同格くらいですかねえ」
「え。やだなにそれ反則じゃん」
「閣下。言葉言葉」
「おっとすまん。それほどまでとはな……」
ごほんと咳払いして言い直す。
貫禄保ってくださいよ。孫と遊んでるときみたいに、素を出しちゃダメです。
「なので、戦わない方法がないか考えてます」
「そのようなことが可能なのか?」
「わかりません。けど、気になることがあるんですよ」
言い置いて、俺は見解を語った。
インゴルスタ軍は練度も高く指揮官も有能だ。なのに、どうにも消極的なのである。
「消極的て。豪腕アレクサンドラは緒戦で偃月陣を率いて突進してきたのだろう?」
「そうです。局面局面ではたしかに積極的で、攻勢も手ぬるいものではありませんでした」
しかし、常に引き際が良すぎるのだ。
「なんというか、戦いたくないのに仕方なく戦っているような、そんな印象なんですよ」
偃月陣にしたって双頭の蛇にしたって、最終局面まで至っていない。
こちらが対応して策を用いた時点で退いている。
ちょっと諦めが良すぎないだろうか。
まだ勝敗は決していないし、アレクサンドラほどの将帥ならまだまだ戦いようはあったはずだ。
「にもかかわらず、対応された時点で軍を下げた。たしかに改めて考えると腑に落ちないな。お母さんはこれをどう読む?」
「兵に損害を出したくないのかな、と」
もちろん戦う以上ゼロにはおさえられない。しかし、それを一人でも二人でも減らそうとしているのではないか。
「あるいは、グリンウッド軍に疑念を抱かれない範囲で」
俺は声を潜め、核心に触れる。
「インゴルスタは無理やり戦わされているということか……」
スペンシル侯爵の頬を汗が伝った。
「侯爵様。ネルダンさん。お耳に入れておきたいことがあるス」
そのとき、ノックもせずにメグが侯爵の私室に入ってきた。
俺も侯爵も、もちろん咎めない。
大事あらば情事の最中にでも駆け込むべしというのは、君主として当然の心得だからである。
「どうしたんだ? メグ」
「インゴルスタの女王様が人質にされてるらしいス」
投げ込まれる言葉の爆弾。
侯爵の執務机から落ちたペンが、床と接吻してかつんと音を立てた。
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