閑話 謀略の国


「手を抜いたのではあるまいな?」


 遠征軍総司令官のイノールが唇を歪めた。

 初老で白髪、獲物を狙う猛禽のような眼光をもった男である。


「あたしらがサボってたかどうか、あたしの口から聞くよりアンタらがつけた軍監に報告させた方が速いんじゃないのかい?」


 ふんと皮肉げに笑うドワーフの女戦士。

 温王に過ぎたるものと詠われる豪腕アレクサンドラである。


 軍監などといっても、実質ただの監視役であることは彼女でなくても、全員が判っていることだ。


「そういう態度は感心できませんな。アレクサンドラどの。貴女に叛意ありと我々が報告すれば、王都にご滞在いただいているピリム女王陛下が、困ったことになるかもしれませんぞ」


 にやにや笑うのは参謀長のゴルツクだ。


 智において並ぶものなしと自称する男で、グリンウッド王国を訪れていたインゴルスタ王国の女王ピリムを監禁し人質にするという卑劣な計略も、この男の頭から生まれたと噂されている。


「やってみろよクソムシ野郎。でもな、ピリム様にかすり傷ひとつでもつけた瞬間、てめえらも終わりだぞ」


 アレクサンドラの鋼色の瞳が、溶鉱炉で燃えているかのように灼熱した。







 グリンウッド王国とインゴルスタ王国の同盟は、少なくとも後者が望んだものではない。


 かなり一方的に押しつけられ、断ることができなかったのだ。

 というのも、女王ピリムが人質に取られているから。


 もともと両国は仲が悪かったわけではない。そもそも仲の悪い国を国家元首である女王が親善に訪ねるはずもなく、むしろけっこう友好的な国だったといえるだろう。

 それが突如として矛を逆しまにした。


 女王は監禁され、その身の安全と引き換えに、数々の屈辱的な条約を飲まされたのである。

 従うしかなかった。


 ピリムを預かっているという証拠として、インゴルスタの王都トストエンには、彼女の衣服が届けられたから。

 なんとグリンウッド人どもは、女王の衣服を剥ぎ取るという蛮行をおこなったのである。


 アレクサンドラなど、激昂して単身でグリンウッド王国に殴り込みをかけようとしたほどだ。

 それを押しとどめたのは辣腕と異名を取る宰相のマイオールである。


 彼は届けられた衣服の裏地を、アレクサンドラに見せた。

 そこに小さく記されていた女王の言葉を。


「我をもって念とするなかれ」


 おそらく指先を自らの歯で傷つけ、にじんだ血で書いたのだろう。

 自分のことは気にするな、という意味である。


「とらわれの身となっても、陛下は我々のことを案じてくださっている。アレクはそんな陛下を見捨てるのかい?」

「じゃあどうするってんだい! おとなしく言うことをきいてりゃあ、あの餓狼どもがピリム様を返してくれるってかい!?」

「いまはチャンスを待つんだ。陛下をお助けする準備をととのえるから」


 グリンウッドはインゴルスタを矢面に立たせて、スペンシル併呑を目論むはずだ。

 隣国の力を削ぎ、自国の力を増す最高の策だと思っているだろう。


「けど、カタチの上では同格の同盟だ。僕たちばかりが兵を出すってわけにはいかない。これは判るかい? アレク」

「ああ。あたしらがスペンシルを取ってしまうのもまずいだろうしな」


「監視もしないといけない。だから、おもに戦わせるのはインゴルスタ軍だとしても、押さえ込むだけの兵力が必要になる」

「最低でも同数だな」


 話が見えてきたのか、アレクサンドラの顔に精気が戻ってくる。

 もしインゴルスタが三万の兵を出すとすれば、グリンウッドだって同じくらいの兵を出さないと、いざというときあっという間に潰されてしまう。

 できれば二倍くらい出したいというのが本音だろう。


「だから、合力要請に僕たちは二万の兵をもって応えよう」

「したらグリンウッドは四万は出すな。つまり」


「それだけ王都の兵が減れば、救出部隊だって動きやすくなるだろうね」

「合点がいったぜ。あたしらはなるべく・・・・苦戦すればいいんだな」


「補給物資なんかは気前よく出すよ。協力を惜しんでない体でね」

「グリンウッドの主力を三十日はくぎ付けにしてやる」


 頷きを交わす豪腕と辣腕であった。






「そう怒るな。アレクサンドラどの。我々は敵同士ではないのだからな」


 イノールの駄弁で、アレクサンドラは意識を目の前の男に戻した。


「軍監からの報告はもちろん受けているが、貴殿の見解も聞きたかったのだ」

「そうかい? じゃあ言ってやるよ。あの戦い、指揮していたのがあたしでなければ惨敗だったろうね」

「にわかには信じられぬが、軍監どもも同様の意見なのだ」


 ふうと総司令官がため息を吐く。

 目を疑うほどの駆け引きが繰り返されと報告にもあった。


「スペンシル軍の指揮を執ったのは軍神ライオネルさね。あたしは闘神アスカと一騎打ちしたから、『希望』が戦場にいるのは確実だ」

「やはりそうか……」


 冒険者クラン『希望』の令名は、この北の地まで轟いている。

 千の兵で四万を撃退したとか、大悪魔を倒したとか、東方大陸で伝説の巨竜を打ち倒したとか。


 中には眉唾ものの話もあるが、イノールだって吟遊詩人が詠う叙事詩は耳に親しんでいる。


「は! すべて虚名にすぎませんよ! 作り話です!」


 口を挟むのはゴルツク参謀だ。


「本当にそれほどの武勲を立てたなら、なんで在野にいるものですか。マスルでもガイリアでも引く手あまたでしょう」


 にもかかわらずどこにも仕えていない。

 あいかわらず冒険者のような無頼漢のままだ。

 ようするに、どこも召し抱えようとしていないのである。


 それこそが『希望』と勇名が嘘っぱちだという証拠。


「おおかた冒険者がついた嘘を吟遊詩人が膨らませたのでしょう。現実などそんなものです」


 蕩々と語るゴルツクを、むしろ哀れんだ目でアレクサンドラが眺めていた。

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