第197話 前哨戦(後編)


 偃月陣というのは、超攻撃的な一点突破用の陣形である。

 打撃力なら紡錘陣形だって劣るモノじゃないんだけど、偃月陣にすると兵の士気がすごいのだ。


 なにしろ大将が先頭に立つから。

 総大将が「続けーっ!」って叫んで突撃したら、多少練度が低かろうが、数が少なかろうが、そりゃあ兵士だって盛り上がるに決まってる。


 そこで一緒に突撃しないような臆病者は、そもそも兵士に向いてないし、大将の直属部隊に選ばれることもないだろう。


「サリエリ。両翼は戻せそうか?」

「たぶん無理ぃ」


 ハサール隊もザッシマ隊も大きく広がりすぎている。

 無理に本隊に合流しようとしたら、陣形も崩れてしまって各個撃破の対象になるだけだ。


「なら伝令を走らせてくれ。本隊守備の必要なし、突進する敵の背後に食らいつけ、とな」

「了解だよぅ」


 サリエリが伝令兵に指示を出すと同時に、グリンウッド軍の突進が始まる。

 素晴らしいタイミングだ。


 両翼を戻したら、ぎりぎり守備に間に合うんじゃないかなって考えるようなタイミングでの突進である。


「ネルネルじゃなきゃ戻してたろうねぃ。でえ、戦線が混乱するという~」

「こいつは、よほどの指揮官が率いてるとみるべきだろうな」

「感心してもいられないよぉ。こっちは八百しかいないんだからぁ」


 のへのへとサリエリが言う。

 グリンウッド軍は二千五百の総攻撃だ。普通に考えたら前衛のアスカ隊四百名で支えられる数じゃない。


 本隊を数に入れたら八百名いるけど、非力な魔法使いや僧侶が全体の一割ちょっともいるし、そもそも数が足りないって事実は動かしようがないのだ。


「いっそぉ、陣を開いて突破させてあげちゃう~?」


 そして敵が通過したら、その尻に食らいつくという手だ。

 おそらく敵も反転攻勢はせずに、こっちの後背を撃とうとするだろう。


「びっくりするくらい間抜けな体勢になっちまうぞ。それ」


 二匹のヘビが互いの尻尾に噛みついているような状態を想像してもらえば理解しやすいだろうか。

 口を離したら相手に飲み込まれてしまうから、どっちも攻撃をやめられない。

 なかなかに最悪な消耗戦といえるだろう。


「受け止めるさ。ぶっちゃけ、グリンウッド軍の足を止めさえすればこっちの勝ちだ」

「簡単に言ってるう」


 のへーっと笑うサリエリ。

 偃月陣っていうのは簡単に止められるもんじゃない。そもそも、止められるなら突破陣形ではない。


「俺だってルターニャで遊んでいたわけじゃないからな」


 小さな都市国家に身を寄せていたときに編み出した作戦があるのだ。







密集円陣ファランクス!」


 月光を振りかざした俺の指示に従い、前衛部隊の半数がざっと大盾を構える。

 自分の身を守るのではなく、隣の兵を守るように。


 見たこともない陣形に多少の驚きはあったようだが、そのままグリンウッド軍が突っ込んでくる。


 おおよそ人体同士がぶつかったとは思えない音が戦場に響き渡った。


 二千五百名の突撃を、四百人の半数、つまり二百人で受けるんだから、普通に考えたら不可能である。

 しかし、偃月陣というのは天頂からみたらΛ型なのだ。


 先頭の部分は少数で形成されているため、グリンウッド軍は数の差を活かすことができない。

 なすすべもなく突破されるはずのスペンシル軍が、強固な防御陣で突進を受け止めたため、グリンウッド軍の足が止まってしまう。


 これが密集円陣。

 圧倒的多数と戦うために考案した防御陣形である。


 だだっ広い草原で使うような戦術ではないのだが、敵が突破しようと動いてくれたおかげで活かすことができた。

 そして足さえ止まってしまえば、偃月陣には致命的な弱点がある。


「アスカ! いけ!!」

「がってん! 希望ホープのアスカ! 押して参る!!」


 俺の叫びに応えるように、女剣士が味方の堅陣を飛び越えた。


 戦場の狂風になびく赤い髪。

 爛々と光る青い瞳。

 そして、眩い魔力の輝きを放つ聖剣オラシオン。


 闘神アスカ。

 ちょっと手前味噌だけど、中央大陸でいま一番有名な冒険者だろう。


「希望のアスカだって?」


 激戦の靄の中から女の声が響き人影が現れた。


 小柄なミリアリアよりさらに小さいが、たぶん重さは俺くらいあるだろう。むきむきの筋肉を持ったドワーフ戦士である。

 長大なバトルアックスを、なんと片手で構えていた。


「先発隊の隊長をやってるアレクサンドラってもんだ。一手所望したいね!」

「望むところだよ!」


 踏み込みは同時。

 斧と剣が衝突し、甲高い音が戦場に響く。


 四回。

 いつものことだけど、俺の目でアスカの攻撃は追えない。

 今だって一撃しか見えなかったよ。


 そして、敵の女戦士もバケモノだね。

 顔に笑みを貼り付けたまま、アスカと互角にやり合ってる。


「やるう!」

「噂以上だ! もっとあたしを楽しませておくれ!」


 横殴りの斧をジャンプしてかわし、空中にいるのに追撃も回避してしてみせたアスカ。

 すちゃりと着地したとき、アレクサンドラの頬を血が伝った。


 いつ当てたんだ? その攻撃。


 激戦の中にあって、そこだけ無音の空間のようだ。


 切りつけ、押し返し、薙ぎ払い。

 火花が散り、女剣士と女戦士の顔を照らす。


「次はそんなオモチャじゃなくて、ちゃんとした剣を持ってきな!」


 不意にアレクサンドラが身を退き、踵を返した。


 それを契機とするようにグリンウッド軍が引き始める。

 このまま戦い続けたら前後から挟撃されると気づいたのだろう。

 正確で、しかも適切な判断だ。


「…………」


 無言のままそれを見送るアスカ。

 右手に持ったオラシオンの刀身が、パリンという音とともに砕け散った。

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