閑話 スペンシルの危機
「お母さん! なんてことなの! こんなときにきてしまうなんて!」
『希望』が宿泊する高級ホテルに駆け付けた中年女性が、嘆きながらメアリー夫人に抱きついた。
夫人の娘である。
後ろに控えている少年と少女が孫たちだ。
「なにを言っているの。シーリス。私は良かったと思っているのよ。間に合ったのだから」
娘の髪を撫で、孫たちを手招きしたメアリー夫人がまとめて抱きしめる。
遠くの地で娘や孫が死んだと聞かされるよりずっと良い。
「大丈夫。私はもってる女なの。絶対に守ってくれるわ。ね? あなたたち」
そう言って振り返ったさきに立っているのは、冒険者クラン『希望』の面々だ。
「もっちろんだよ!」
「期待に添えれば良いのですが」
「安んじてお任せあれですわ」
アスカ、ミリアリア、メイシャがそれぞれの為人で決意を表明する。
とくにメアリー夫人と仲の深い三人だ。
血こそ繋がっていないが本当の親子のようだ、とは、ライオネルが抱いた感想である。
俺などとてもメアリー夫人の母性には及ばない、と。
「この子たちのことも含めて、お願いね。ライオネル」
「居合わせたのも天の采配というもんでしょうからね。微力を尽くしますよ」
ライオネルが穏やかな微笑を浮かべる。
どこまでも自然体で自信に満ちており、シーリスもその子たちも、なぜか安堵するのだった。
まるで勝利が規定のものであるかのように。
これが伝説的な英雄である『希望』なのだ。
数十に及ぶ悪魔を倒したとか、悪逆無道の王様をやっつけたとか、武勇伝は吟遊詩人の歌声にのって、こんな北の地にまで聞こえている。
「なんでわたしたちじゃなくて母ちゃんにお願いするの!」
アスカがぶーぶーと文句を言って地団駄を踏んだ。
「だって、ねぇ?」
「夫人もぉ、アスカっちにお願いするほどぉ、事態を投げてないと思うのぉ」
メアリー夫人が悪戯っぽく笑って小首をかしげ、サリエリがのへーっと補足する。
まさにいつもの空気。
メグとユウギリが、無言のまま肩をすくめてみせた。
「冒険者風情の助力などいらん」
居城の謁見の間で『希望』と対面したスペンシル侯爵は、まさに絵に描いたような頑固者であった。
年齢は七十代だろうか。髪も髭もすっかり白くなっているが、瞳に宿る精気は若者のそれに遜色ない。
巨大な花崗岩のような迫力に、思わずアスカが首をすくめてしまったほどである。
しかしライオネルは小揺るぎもせずに侯爵の言葉を受け止めた。
口元に微笑までたたえて。
それを確認し、スペンシル侯爵が豪放磊落に笑う。
「儂の強がりなどお見通しか」
「本当に助力などいらないと思っておられるなら、そもそも会わないでしょう」
「違いない。あのカイトスめが幕下に迎えたかったと悔しがるほどの軍才、手を貸してくれるならばこれに勝る心強さはない」
そう言ってライオネルを差し招き、やや強引に肩を組む。
本当に良いタイミングで現れてくれた、と。
「グリンウッド王国軍は七万四千。対して我が軍は三万二千じゃ。これで勝てるかの? 軍神ライオネル」
無茶なことを言う。
しかし、かき集められるだけかき集めたのがこの数字だ。
いかに大領とはいえ、ひとつの貴族領が三万を超える兵力を捻出するのは容易ではない。
リントライト動乱の際、ドロス伯爵が展開した兵力も一万二千程度だったのである。これにマスル王国からきた一万の援軍が加わった。
スペンシル侯爵軍の三万二千というのは、それより多い。
「半分以下の兵力で完勝しろってことですか……」
ふむと腕を組んでライオネルが考え込んだ。
スペンシル侯爵は一瞬ぽかんと口を開け、ややあって呵々大笑を始める。
なんとこの天才軍師は、勝てるか勝てないかなどという次元では考えていないらしい。
今の今まで侯爵とその側近たちは、はたして勝てるのかと思い悩んでいたというのに。
「それを、お主ときたら、まるで勝つだけなら簡単だとでも言うつもりか」
やっと侯爵の大笑の意味が判ったライオネルがくすりと笑う。
「はい。そう言ってます。相手が二倍くらいだったら勝つだけなら難しくはないんですよ。なるべく損害を出したくないなと考えてるだけで」
頭を掻いてみせれば、娘たちが大きく頷いた。
味方の方が数的に有利な戦いなど、ほとんど経験したことがないのである。
だいたいはいつだって圧倒的に不利な条件で戦い、勝利をもぎ取ってきた。
今回は防衛戦争で、しかも相手が二倍程度。
「むしろラクな方かもぅ~」
のへーっとサリエリが言う。
口調もゆるいが、もしかして頭のネジもゆるいのか、と、侯爵家の重臣たちはぞっとした。
「ご安心なさいませ」
不安げな男たちに、メイシャが微笑んでみせる。
まさに聖女の笑みというべきで、彼らは頬を染め、重力の異常すら感じてしまった。
「勝つための算段はこれから考えますが、まずは情報が欲しいですね。このあたりの地図とグリンウッド王国軍の編成。最低限、このふたつが必要です」
「わかった。諜報部隊を貸し出そう」
「あ、オレもいくスよ」
侯爵の言葉に続き、メグも右手を挙げた。
『希望』の情報収集は、まさに彼女が担っているのである。
「観光のはずだったのに、またおおごとになったな。色々と厄介だけど、みんなよろしく頼む」
「いつものことですよね」
「そーそー! なにごともなく旅行が終わったことなんてないじゃん!」
ミリアリアとアスカが口々に言うが、まさしくその通りで、ライオネルとしては苦笑するしかないのだった。
メアリー夫人の言葉を借れば、これは「もっている」ということになるのか、と。
第6部 完
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