閑話 聖女の嘘と長の涙


 近づいてくるクラン『希望』が視界に入ったとき、族長のラシルは自分の左足がごくわずかに後退したことを自覚した。

 獣の本能である。


 先頭を歩いているのが、おそらく闘神アスカ。ややさがった位置にいるのは軍師ライオネルだろう。


 生きながら伝説になったような連中である。

 まとう空気が違う。


 空おそろしいほどの自然体なのに、勝つビジョンが見えない。

 逃げ出そうとする足を必死に叱りつけ、腕を組んで立つ。


「よくきたな。『希望』よ。歓迎しようではないか」


 牙を剥きだして笑ってみせた。

 半分は威嚇のつもりであったが、軍師ライオネルは怖れた風もなく笑みを返す。


「会えて良かった。ラシル族長。やはり双方の言い分を聴かないと、公平な判断はできないからな」

「襲撃部隊はいきなりぶん殴られたといっているがな」

「あれは仕方ないだろ。騒動を収めるためだ。けどまあ、怪我人が出たなら言ってくれ。俺たちで治療するから」

「問題ない」


 そういって、ラシルはライオネルたちを屋敷に招いた。


 広く作られた応接間である。

『希望』の六人が入っても、まだまだ余裕があった。

 もちろん獣人たちの身体が、人間のそれに比べて大きいから、なんでも広く大きく作られているという事情はあるが。


「貴殿たちが、今回の件を調停してくれるというのか?」

「行きがかり上、そういうことになってしまった」


 そう言って、ライオネルがラシルにいくつもの質問をする。


 ラシルが語った内容は、アカーシルのドルトルの言い分とはやはり少し異なっていた。

 アスリーとニナとの結婚を、ラシルはそこまで強固に反対していたわけではなく、いくつかの条件をクリアできれば認めるつもりだったというのも、そのひとつだろう。


 たとえばニナがモルグ村に住むとか、たとえば名目上は二号になるとか、そういう部分だ。

 それは道中でライオネルがアスカに語ってみせた内容と酷似しており、仲間たちは改めてリーダーの分析力と読みに舌を巻いたものである。


「じゃあ最後の質問。どうしてアカーシルを襲った? どんな嫌がらせをされたのか教えてくれ」

「……なぜ嫌がらせをされていると判った? ドルトルが白状したのか?」


 信じられないものでも見るように、ラシルがライオネルの顔を凝視する。


「まさかだろ。自分にとって都合の悪いことをいう人間がいるもんか。それはあんたも同じだろうけどね」


 両手を広げてみせ、ライオネルはただの推理なのだと語った。


 本気でアカーシルを攻略占拠しようと考えているなら、送り込む戦力が十五人というのは少なすぎる。

 モルグ村の規模を考えれば、その十から二十倍の数は容易に動員できるだろう。


 そうしなかったのは何故か。

 簡単な理屈で、襲撃は嫌がらせにすぎないからだ。


 だから建物の内部まで乱入して住人たちを殺したりしない。せいぜいが破壊と放火で、消火するために出てきた人間たちを攻撃しなかったのである。


「なんでそんなことをするのかって考えたら、答えは簡単に出るよな。報復だろうって」

「……これが軍師か……」


 ラシルがうめき、降参するかのように事件のあらましを語った。


 ニナの死後、アカーシルの若者たちがモルグにいやがせをするようになったのである。

 街壁に悪戯書きをしたり、立ち小便をひっかけたり。

 それどころか、行商に出かけた獣人の女性に罵声を浴びせたり暴力を振るったり。


 ようするに、ニナというのは若者たちの憧れの的だったらしいのだ。

 理不尽に死んでしまったことに対する怒りを、獣人たちにぶつけたのである。 


 アスリーが命がけで守ると誓ったから俺たちは身を退いたのに、守り切れず死なせてしまうなんて、と、戯画化していうならそういう感じだ。


 そして、そんなことをされたら獣人たちだって黙っていられない。


 彼らも次代を担うはずだったアスリーを失っているのだ。

 だいたい、嫁に出すことを反対していたのはアカーシルの衆ではないか。だから仕方なく駆け落ちという手段に出たのである。


 野盗に襲われたのは不運というものだが、それでもアスリーはニナを守って必死に戦った。

 五人を道連れにしたという戦果が、彼の奮闘を物語っている。


 たしかに力及ばなかったが、アスリーの勇気と愛を疑う余地などどこにもない。

 まぎれもなく勇者だ。

 人間というのは、死せる勇者を遇する道すら知らぬ愚か者ぞろいなのか。


 と、これが獣人たちの心理になるだろう。

 嫌がらせをされたら、当然のように報復する。


「典型的なぁ、どっちもあとに引けなくなっちゃうパティーンだねぃ」


 サリエリが、のへのへと感想を漏らした。

 まさに感情の対立である。

 そんなことをしても、まったくなにも解決しないことは、どちらの陣営もあるいは実行犯の若者たちも判っていることだろう。


 獣人たちも人間も、大事にしているものを失ってしまった。

 やり場のない怒りをぶつけているだけだ。


「事情はわかった。どちらの言い分にも理はないから、手打ちにしろ。俺たち『希望』がこの対立を預かる」


 話を聞き終え、ライオネルが重々しく宣言した。


 嫌がらせ合戦はもうおしまい。

 文句があるなら、その喧嘩は『希望』が買うという意味だ。

 かなり強引なやり方だが、そうでもしなくてはどちらも引けないだろう。


「……わかった。場を設けてくれるか?」


 たっぷりと時間をかけて考えた後、ラシルは提案を受け入れた。

 彼にも判っていたからだろう。

 無駄なことを繰り返していると。


「こんなことになるなら、反対なんかするのではなかった。条件など付けるのではなかった。二人を応援してやれば良かった」


 胸の前で手を組み、祈るように呟く。

 あるいは懺悔するように。


 人間でも獣人でも、その心には罠が仕掛けられている。失わなくては大切さに気づかないのだ。


「俺はダメな父親だ。アスリーもニナも恨んでいるだろうな」

「そんなことはありませんわ。だって、二人とも今は笑っておりますもの」


 うつむいたまま呟くラシルの肩を叩き、聖女メイシャが言った。

 はっとして顔を上げた獣人の長に、一点を指さしてみせる。

 そこになにかを見出すことは、メイシャ以外にはできないのだが。


「ありがとう……聖女さま……」


 厳つい顔を涙が伝う。

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