閑話 野に咲く花


 ダガン帝国軍は四万以上の死者を出して壊走した。

 無傷だった者は一人もいない、というほどの惨めな敗北である。


 この戦いで、大将軍クライをはじめとした名だたる将帥は戦死し、帝国軍は立て直しに少なくとも十年はかかるだろうと推測された。


 マスル王国の死者は八百二十名。

 六万のダガン帝国軍を五万の兵力で迎え撃って、損害が千名足らずというのはちょっと信じられないくらいの大戦果である。


 そして、その大戦果を発表する前に、ダガン帝国は声明を出した。


「当然の権利を主張しただけの我が国を卑劣な手段で攻撃し、多くの兵を死なせたマスル王国の蛮行は、断じて許されざるものである。これに抗議するため、我が帝国はマスル王国との国交を断絶する」


 と。


 しかし、国際社会からの同情や共感は、あまり得られなかった。

 当然の権利とはどういうものか、という説明もなかったし、宣戦布告をおこなったのはダガン帝国であるという事実に対しても、きちんとした説明がなかったからである。


 むしろこの声明のせいで、ダガン帝国は国際的に孤立を深めてゆくことになった。


「ただ、あまり追いつめると、自棄になってまた攻めてきますからね。ほどほどにですよ」


 そう魔王イングラルに進言したのは、戦傷を病院のベッドで癒やしているライオネルだった。

 左腕のほか、肋骨を三本骨折し、いくつかの臓器も傷ついていたため、めでたく入院加療ということになったのである。


 もっとも、入院するときにはほとんどの怪我はメイシャの回復魔法によって完治していたのだが。

 病院のベッドにでも縛り付けておかないと、どんな無茶をするか知れたものではない、という『希望』の娘たちの意見に、魔王イングラルが深く頷いた結果としての入院であった。


 ちなみに政治的な意味もある。


 彼の大きすぎる武勲を危険視する声も、マスル王国首脳部の中にはたしかにあったのだ。

 フロートトレインを使用した大蛇作戦に始まり、最終決戦での作戦立案。


 まさしく天才軍師というべきであり、このまま野においても良いものかどうか、かなり深刻な議論が交わされる。

 この状況を慮ったイングラルが、ライオネルは入院加療中であり、政治的な話ができる状態ではないという状況を作ってくれた。


「それにまあ、ライオネルを迎え入れるってことは、あの娘たちも迎え入れるってことだからな」


 などと半笑いを浮かべながら。


 ライオネル負傷の報に触れた『希望』の娘たちは、なんと全員が自分の仕事を放棄して彼の元に駆けつけたのである。

 心情としては理解できるが、組織としては大いにまずい。


 アスカやサリエリがいきなり抜けたことで、第十六戦士隊の戦力は推定で三割は低下してしまったし、ミリアリアが持ち場を離れてしまったため第一魔法隊の戦力は半分近くになってしまった。

 さらに、メグが抜けたことによって斥候隊の動きが一気に低下し、伝令や連絡にまで影響が出た。


 個としてそれだけ強力だという証拠なのだが、個の力で組織は回せない。

 ライオネル次第でいなくなってしまうような人材に、国軍の重要な部分を任せることなどできないのである。


「結局、ライオネルも『希望』も、野に咲いてこそ美しい花なのだろうよ。無理に摘み取って花瓶に飾っても、その美しさは損なわれるだけだ」


 そんな言葉で、魔王イングラルはライオネル獲得論争に終止符を打った。


 後世、このときの魔王の心理には恐怖心があったのではないかと読み解く学者もいる。


 マスルがライオネル獲得に動けば、ガイリアもピラン城も、あるいはまったく別の国も動くかもしれないのだ。

 そして彼がどこかの国の宰相なり大将軍なりになって数万の軍勢を率いた場合、はたして自分は勝てるのかと考えた。

 その恐怖心こそが、蓋世の軍師であるライオネルを野においた最大の原因ではないか、と。







 後世の評価など知ったことではないライオネルは、娘たちに看護されながら半月あまりをリーサンサンで過ごした。


 肉体的には完全に回復していたが、あんまりすぐに動いてしまうと、怪我そのものが嘘だったのかと疑われてしまう。

 アリバイ作りと、政争に巻き込まれないための入院である。


 その間、『希望』の陣営に変化があった。

 サリエリの正式加入が決定したのである。


 というのも、自分の持ち場を離れてライオネルのところに駆けつけてしまったのが、調停者ピースメイカーの司令官たるミレーヌの逆鱗に触れてしまったらしい。


 一人の男性のために仕事を放棄するとは言語道断、特殊部隊の一員たる資格なし、とのことで、調停者を解雇クビになってしまったのだ。


「行く当てもないしぃ。冒険者として仲間にさせてぇ」


 という、いつもののへーっと危機感のないお願いを、アスカもミリアリアもメイシャも、もちろんメグも大変に喜び、サリエリは『希望』を構成する六人目の冒険者となることが決まった。

 もっとも、事実に形式が追いついただけという言い方もあるが。


「ていうか、本当に良いんですか? ミレーヌさん」

「あなたの功績に対して、なんの地位職責をもって報いることができません。ならばせめて人材を差し出すしかあるまい、というのが我々の結論です」


 一日、ライオネルの病室を訪れたミレーヌとの会話である。


「俺は冒険者なんで、金銭以外の報酬は逆に困ってしまいますって」

「そうあり続けてくださいね。私もイングラルも切に願っています」


 艶然と笑う美貌のダークエルフだった。

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