閑話 決戦


 決戦の場所は何度も干戈が交えられた名もない平原だが、ついに名称が与えられることになった。

 アスピム平原、と。


 もしこの平原に意志があるとしても、喜んだかどうかは判らない。

 戦史に書き記す上で名称がないのは不便だからという、とても散文的な命名理由だったから。


 ともあれ、そのアスピム平原にガイリア軍二万が布陣し、王国軍を待ち構える。

 ガイリアとしては、ここを抜かれるともう後がない。

 王国軍としては、ここを突破しなくてはガイリアの街に到達できないし橋頭堡を築くこともできない。


 つまり、絶対に死守しなくてはいけない場所と、絶対に攻略しなくてはいけない場所というのが一致しているため、アスピム平原の奪い合いになるのである。


 払暁ふつぎょうとともに王国軍二万が動き出す。

 一分の隙もない凸形陣は、断固として押し通るという意志であるかのように。


 対するガイリア・マスル連合軍もまた凸形陣だ。

 ただし、こちらは二つ。

 カイトス将軍の率いる一万とグラント魔将軍が率いる一万が、それぞれ陣形を敷いているわけだ。


 そしてその二つの軍も、王国軍の動きに合わせて前進を開始する。

 ごく正統的な幕開けであった。

 奇策はなしで、正面からの激突である。

 しかし接敵からしばらくすると、じわりじわりとマスル軍が押され始めた。


「しっかりしろよ! 魔族!」とか、「ちゃんと押し返せ!」などという声がガイリア軍から飛ぶ。


 それに対してマスル軍からは、「うるせえ!」だの「助けてもらってるくせにえらそうなんだよ!」だの、罵声が返っていた。


 あきらかに連携が取れてない。

 前線指揮官からの情報が上層部にもたらされ、王国軍はより以上の力をもってマスル軍を圧迫し始める。

 マスル軍も押し返そうと努力するが、実力が足りないのか士気が低いのか、どうしようもなく後退を繰り返す。


 あと一息で総崩れ、というところまで。

 押されて押されて。


 ふと王国軍は気づいた。

 陣形が長く伸びすぎているのではないか、と。


 後退するマスル軍を追う部隊と、前進するガイリア軍を受け止める部隊との間で、陣列がまるで蛇のように伸びきってしまった。

 その伸びきった横腹を突かれたらまずい、と、王国軍上層部が思ったその瞬間である。


 後退を続けていたマスル軍の動きがぴたりととまった。


 そして猛然と反撃に転じる。

 良い調子で追いかけ回していた王国軍の先頭部隊はたまらない。いきなりの反転攻勢に蹈鞴を踏んでしまう。


 後ろからどんどん味方が押し寄せてきているのに。

 押されたり突き飛ばされたりして転倒する者が相次いだ。


 大混乱のさなか、彼らは見た。

 ガイリア軍の槍先が、自分たちに向いているのを。






「全軍突撃! 王国軍のどてっ腹に風穴を開けてやれい!!」


 カイトス将軍の号令が戦場にとどろき渡る。

 左翼方向で無防備な側面を晒す王国軍に対して、怒濤の大突撃が敢行された。

 崩れる崩れる、崩れてゆく。


 陣形もなにもなく、食い破られる王国軍。

 このときになって初めて彼らは気づいた。

 マスル軍は押し負けていたのではなく、王国軍の前衛部隊を吸い出すために後退していたのだ、と。


 そして気づいたときには、前衛部隊はほぼ壊滅状態であった。


「全軍吶喊! ガイリア軍が道を開いてくれたぞ!」


 魔将軍グラントの命令一下、マスル軍が突撃を開始した。

 彼らの前にいた連中はガイリア軍によって蹴散らされてしまったため、もう王国軍本隊まで遮るものはなにもない。


 危機を悟り、王国軍の左右両翼がふたたび前衛を構築しようと移動を開始した。

 まず見事な動きである。


 ああなったらこうする、こうなったらああする、と、きちんと対策が講じられているという一つの証左だった。


 突撃してきたマスル軍をなんとか受け止める。

 しかし彼らは失念していた。前衛部隊を蹴散らしたガイリア軍のことを。


「よし。本隊へ突入だ。マスルへ感謝を捧げつつな」


 カイトス将軍がほくそ笑む。

 前衛部隊を蹴散らし、そのまま王国軍の右側という最も有利な位置を奪った彼らは、すぐに攻撃に出ることなく待っていたのである。

 マスル軍の動きに対応して、王国軍の両翼が動くその瞬間を。





「うん。勝ったな」


 戦場を遠望し、ライオネルが呟いた。


 彼の部隊は予備兵力として少し離れた場所に待機している。

 自らが描いた絵図面通りに局面が動くのを見つめながら。


 ガイリア軍とマスル軍の間で連携を取ることは難しい。だったらそれぞれにスタンドプレイに徹すればいい、というのが、ライオネルが立てた作戦の骨子だ。


 彼がカイトスとグラントに授けた策は、たった一つだけ。

 王国軍とぶつかったら、マスル軍はゆっくりと後退する。それだけだ。

 あとは両将軍の思うさま暴れてください、と。


「すごいです。ネル母さん」


 横に立ったミリアリアが、控えめにライオネルを賞賛する。


「ああ、さすがは歴戦の宿将だよ。どう動くのが最適か、ちゃんとわかっておられる」


 しかし彼は誤解した。

 小柄な魔法使いが感心しているのはカイトス将軍とグラント魔将軍であると。

 なにしろ自分がやったことは、二人が才幹をふるいやすいように場を整えただけだと思っているから。


 ミリアリアは小さくため息をつく。

 どうして自分がおじさんたちを褒め称えると思ったのか、むしろ問いたい気分だった。


 ただまあ、ライオネルがこういう人だということはよく知っている。

 なので彼女は、愛用の氷狼の杖で、母と慕う男の尻をつついてやるのだった。


「いて! いて! なんでつっつくんだよ!」

「どうしてでしょうかね? 母さんが自分で考えて」


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