第65話 王国軍進発
王国軍進軍開始の報がもたらされたのは、それから一ヶ月ほど経ったころだった。
兵数は二万ほどだという。
「少ないな」
と、給料袋の中身を見てため息をつく勤め人みたいなことを言ってるのはカイトス将軍だ。
対策軍議の席上である。
「諸侯が軍を出していないそうだ」
腕を組んだままのドロス伯爵が告げた。
緒戦の惨敗が国中に伝播した結果、諸侯は王国政府からの出征の要請に対し言を左右にして応えずにいるらしい。
さらにこの敗報のせいで、王国各地で反乱も相次いでいるという。
このあたりは嬉しい誤算だ。
八から十万と読んでいたのに、ふたを開けてみたら二万だったのだから。
「でも、それだけに王国は、背水の陣で臨むでしょうね」
ぼそっと呟いてしまう。
二万というのは動員限界をはるかに下回っている数字だ。
反乱軍や諸侯ににらみを利かせるために全軍を動かせず、それしか用意できなかったのだという側面はある。しかし同時に、最精鋭だけを選抜したというのも事実だろう。
少数を動かすなら、精鋭でなくては意味がないから。
「数の上ではこちらが有利だが、練度や連携では王国軍に軍配が上がるだろうな」
そう呟いたのはグラント将軍。
側頭部に牛のような角を持つ魔族である。
もちろんマスル王国から援軍として派遣されてきた人物だ。
彼が率いるのが一万、カイトス将軍の部隊も一万、それに義勇兵部隊が五千。数だけなら二万五千で、王国軍の二万を上回っている。
しかし、グラント将軍が言うとおり、俺たちは混成部隊なのだ。
合同演習だってやったことがないレベルなので、連携などというものは存在しない。
互いを邪魔しないように戦う、というのがせいぜいだろう。
だいたい、一万名を率いる将軍が二人って時点でトラブルの種を見つけるのに事欠かない。
総指揮をどちらが取るかだって決まってないし。
理屈としては、カイトス将軍の指示でグラント将軍が動くのが正当だ。なにしろ援軍だからね。
援軍の彼らが主役を張ったらまずい。
けど、マスル王国軍だってプライドがある。なんであれやこれやと人間に命令されないといけないんだってなるだろう。
逆の立場だったら、人間も同じように考えるからね。
となると、方針だけ伝えて好きなように戦ってもらうっていう選択しかかなくなってしまうわけだ。
これで完璧なコンビプレイができたら奇跡だよ。
つまり、俺たちの陣営にはつけ込む隙があるってこと。
対して王国軍は、諸侯軍を加えずに自軍だけでの行動だし、精鋭を揃えているだろうし、完全に一枚岩だと考えて良い。
単純に数で勝っているからと喜んでもいられないのさ。
「軍師殿にはなにか考えがおありかな?」
戦略地図を見ながら、むーんと唸っている俺に、グラント将軍が問いかける。
「王国軍は絶対に勝たないといけないと思うんですよね」
「なにを言っているのだね、きみは。負けても良い戦いなどあるわけがなかろう」
地図から顔を上げて応えた俺に、魔将軍があきれ顔をした。
うん。
ちょっと言葉が足りなかった。
ぽりぽりと俺は頭を掻く。
「ええとですね。ここで負けてしまうとリントライト王国の権威は地に落ちるって意味です」
よっぽどのことがない限り、たった一戦で国の命運が決まったりしない。
後になってから研究者が、あの戦いがターニングポイントだった、なんて批評することはあるけどね。
それはまさに、後になってから判ることなんだ。
けど、今回は明白なように思う。
もしここで負けたら、反乱軍が活気づく。諸侯だって反乱の兵を挙げるかもしれない。
そして王国にはそれを誅するべき戦力が残っていないわけだ。
砂の城が波にさらわれるように崩れてしまうだろう。
だから、なにがなんでも勝利して、王国に逆らうものはこうなるんだぞって喧伝しないといけない。
ドロス伯爵やカイトス将軍の首を晒してね。
「確かにそれは自明だが。軍師どのはなにが言いたいのだ?」
首をかしげる魔将軍。
その瞳は、どうして軍師というのはこう回りくどいんだと語っている。
「絶対に勝つぞって必死になっている人たちですから、案外その足元をすくうのは難しくないかな、と」
脇目も振らずに全力疾走する人は、のんびりと散歩する人のみたいに足元の小石には気づかないものだ。
そしてひとたび足を取られたら、驚くほどに派手に転倒する。
「そのあたりに、小細工を仕掛ける余地があるかな、と、思いまして」
「おかえり! 軍議おわったんだね!」
クラン小屋に帰ると、なぜかエプロン姿で調理をしているアスカに迎えられた。小屋の前の炊事場で。
食事当番だっけ? お前さん。
お母さんの記憶だと、今日の当番はメグじゃなかったかな?
「メグはお風呂を沸かしてるよ! メイとリリは家の掃除!」
「いきなりだな。どうしたんだ? いったい」
「年末まで二ヶ月もないし、いっかい家をきれいにしようってことになったの!」
もうそんな時期だったか。
こいつらと知り合ってから、ずーっとバタバタし通しだったからな。すっかり忘れていた。
「それにさ……」
「帰ってくる場所は、ちゃんと綺麗な方がいいもんな」
言いかけた言葉を遮り、ぽんと赤い髪を撫でる。
自分たちが戦死したとき、メアリー夫人に少しでも綺麗な小屋を返したいと思ってたんだろ?
こんなもの返してもらっても迷惑なだけだ、なんて野暮なことはいわんよ。
そしてそれ以上に、帰ってこれないかもなんて考えちゃダメだ。
必ず生きてここに帰ってくる。
またみんなで飯を食ったり騒いだりするためにな。
「うん! 母ちゃん!」
ぱぁっと満面の笑顔を浮かべるアスカだった。
よし。
良い顔だ。
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