閑話 落日に舞う蝶 3


 閑散とした『金糸蝶』のクランハウス。

 苦楽をともにしてきた仲間たちがルークを見限って立ち去り、名声に惹かれて集まってきた者たちは『金糸蝶』そのものを見限ってしまった。


 ごくわずかに残ったメンバーの、ライオネル副長さえいてくれれば、という言葉を受け、自ら迎えに行ったルークだったが、にべもなく拒絶される。


「終わったな……」


 がらんとした団長室でルークが呟いた。

 一ヶ月くらい前まではきらびやかな調度品に満たされていたこの部屋が、いまではたった一つの机すらない。


 金に換えられるものはすべて換えた。

 それでも王家への賠償金は払いきれず、高利貸しから金を借りて支払う始末だった。


 もちろん借りた金は返さなくてはならない道理であるが、その方策すら立たない。

 善後策を講じてくれるはずのライオネルはすでにおらず、ともに頭を悩ませてくれるであろう中隊長たちも、もう誰も残っていない。


 この事態を招く遠因となった女性、フィーナがルークの元を去ってからそろそろ十日が過ぎようとしている。

 ある朝目が覚めると、同衾していたはずの彼女の姿がなかった。


 荷物などはそのままで、完全に身一つで消えてしまった。

 まるで、火事になった家から逃げるときのように。

 沈みゆく船からネズミたちが逃げ出すように。


「結局、俺の手には何も残らなかったか……」


 自嘲を込めたつぶやき。

 名声も、財産も、親友も、仲間も、部下も、そして恋人も。

 すべて彼の手をすり抜けてしまった。


 最後に残ったクランハウスも、借金のかたに明日には取り上げられる。


「終わりだな」


 孤剣を携えて外に出る。

 もちろん行く当てなどない。

 ただ、たくさんの思い出が詰まったこの場所にいたくなかっただけだ。


 街はいつもの人熱ひといきれ。

 行き交う人々すべてが幸福そうに見えるのは、ルークの精神状態に原因がある。

 世界で最も不幸なのが彼だから。主観的に。


 うつむき加減に歩くルークだった不意に足を止めた。

 どこかに違和感があったのである。


 きょろきょろと視線をさまよわせれば、おおよそこの地上で一番見たくないものが目に飛び込んできた。

 金髪の優男と楽しげに腕を組んで歩く黒髪の美女。


 ルークの中で何かが弾けた。

 ほとんど無意識に長剣を鞘走らせる。


「フィーナぁぁぁぁ!!!」


 叫びとともに、彼は駆けだしていた。

 女をめがけてまっすぐに。剣を振りかざして。






 白昼の路上で起きた傷害事件である。

 これが貧民街などだったら珍しくもなんともない。


 しかし、領主ドロス伯爵のお膝元、城へと伸びるガイリア大通で起きたものだったから、シティガードたちも見て見ぬ振りを決め込むことはできなかった。

 犯人のルークはすぐに拘禁される。


 被害者のフィーナは一命を取り留めたものの、右腕を肩から失うという重傷を負った。

 場所が大通であり至高神教会も近くにあった、というのが命が助かった要因だろう。


 ともあれ、事件からほとんど日を置かず、ルークは司法官の前に引きだれることになる。

 名門クランの一つ『金糸蝶』のリーダーが、いきなり女性に斬りかかったというニュースはかなりセンセーショナルだったから。


 どういう経緯で事件が起きたのか、街の人々もガイリア城の貴人たちも興味津々だったのである。

 痴情のもつれ、という話題は、古今東西もっとも人気のあるもので、どろどろの愛憎劇があきらかになるのを、多くの人が期待した。


 しかし残念ながらというべきか、ふたを開けてみれば、たいして面白い話でもなかったのである。


 ルークという男がフィーナという女に入れあげ、クランの要職につけた。

 それが原因となって、クランが崩壊した。

 すべての罪がフィーナにあると短絡したルークが斬りかかった。


 簡略化すると、ただそれだけの事件である。


 これでフィーナが地位や金品を要求していたり、クランの運営をほしいままにしていたなら、民衆は喜んだだろう。

 毒婦が! 自業自得だ! と。


 だが現実は異なった。フィーナは単に断らなかっただけ。


 出世させてやるといわれて素直に頷いただけ、給料を上げてやるといわれて素直に頷いただけだ。

 むしろそこで、自分にはその能力がないからお断りします、なんて主張する人間がいるわけがない。


 もらえるものを遠慮がちにもらい、クランの経営が悪化して刺々しくなってしまったルークに嫌気がさして逃げた。

 そういうことなのである。


「まったく何も考えていなかったゆえ、本人を含めた関係者全員が不幸になった」

 

 これがフィーナに対する世間の評価だ。


 悪意はなく、野心もなく、能力もない。

 一人の人間としてなら、なにも問題はなかった。しかし、名門クランの幹部になるべき人ではなかった。

 そんな人物を要職に就けたのは、他でもなくルークである。


「情実人事の末に何もかも失い、あげく女に責任転嫁して路上で斬りかかった愚者」


 ルークへの評価はこれだ。

 被害者が死ななかったため死罪にはされなかったが、大通で騒ぎを起こした罪は重く、彼は監獄に繋がれて強制労働に従事させられることとなった。


 最盛期には構成員五十名を数えた、ガイリアでも有数の名門冒険者クラン、『金糸蝶』のあまりにもみじめな終幕である。


 そして、この出来事は吟遊詩人たちの手によって詩となり、多くの酒場で歌われることになった。

『落日に舞う蝶』という演題で。

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