閑話 落日に舞う蝶 1
「フィーナ。お前、副長やってみるか」
団長室でルークが話しかけた。
より正確には耳元にささやいたというべきだろう。
なにしろ彼は、椅子の上で恋人を横抱きしていたのだから。
「ほんと!? いいの!? でもあたしに務まるかな……」
喜びつつも遠慮を見せるフィーナ。
美しい女性だ。
さらさらと流れる黒髪も、まるで黒曜石のような輝きを放つ深い瞳も、黄金分割法で計算されたような肢体も、東方の白磁のようななめらかな肌も、男を惹きつけてやまない。
傾国の美女、などという表現そのままに。
「できるさ。ライオネルにだってできていたことだ」
おどけたようにルークが笑う。
あの男が『金糸蝶』をやめてから数日、まさに彼は我が世の春を謳歌している。
口うるさいのがいなくなったから。
買い物をしたら領収書をもらえだの、日が変わってから酒を飲むのをやめろだの、クランリーダーらしい服装をしろだの、まるで母親かってくらいうるさかったのだ。
あげく、恋人にまで文句をつけてきた。
独身ぼっち野郎の分際で。
団長室でいちゃいちゃするなとか、フィーナに特権を与えるなとか。
まあ、ようするに羨ましかったのだろう。
『金糸蝶』とは彼が作ったクランだ。たしかにライオネルは創設当初のメンバーだし、片腕といっても良い存在だったが、それだけである。
特別な誰かではないのだ。
「でもライオネルってすごい人だったんでしょ?」
「無能ではなかったさ。けど、あいつの代わりはいくらでもいる。それこそ掃いて捨てるほどな。でもお前の代わりはいないんだ。フィーナ」
そう言って顔を近づけ、濃厚な口づけを交わす。
白昼の団長室で。
もしライオネルが目撃したら、それこそ目を三角にして怒っただろう。
やつがいなくなればこんなこともできるのだ。
ルークは内心でほくそ笑む。
実際、団員たちもずいぶんとリラックスできているようだし、やはりクビにして正解だったのだ。
フィーネに語ったように、たしかにライオネルは無能ではない。
細かいところまで気がつくし、算術にも明るいからクランの経営についても一任できる。
しかし、それだけなのである。
他の人間で穴が埋められないわけではない。
「じゃあ……頑張ってみようかな。助けてくれる? ルーク」
「もちろんさ。副長のデスクはこの部屋に置くと良い」
いつでも手を貸せるように、などと言って、もう一度口づけをねだるクランリーダーだった。
フィーネを副長の地位に就け、執務机も団長室に置くと聞かされたとき、古参の団員たちの幾人かは「終わったな」と感じた。
自分の女を高給優遇するというくらいなら、なんとかぎりぎり我慢できた彼らも、中隊長にしたときには顔をしかめ、副長にしたと知ったら呆れてものも言えなくなる。
副長は誰にでもできる仕事だと思ってるのか。うちの団長は。
「でも五年前、ネル副団が出て行ったときには反省して自分で謝りに行ったんだよな。あの人」
「あんときと今じゃ状況が違うさ。ジョシュア」
昔からの呼び名で楽観的な解釈をする相棒に、ニコルが首を振る。
二人とも最古参のメンバーで、『金糸蝶』の中核を支える五人の中隊長の一角だ。
一言でいってしまえば苦楽をともにしてきた仲間である。
兄貴と呼んで慕ってきたのだから、ルークやライオネルに対する親愛も人一倍強い。
彼らにとって、五年前にライオネルが『金糸蝶』を抜けたのは、これ以上ないくらいの痛恨事だった。
クランの運営方針を巡ってリーダーと副長が対立し、一方が団を捨ててしまったのである。
正直なところ、メンバーの多くが去就に迷った。
しかしルークは、自分が悪かったのだと反省し、自らライオネルの元を訪れて謝罪した。
ジョシュアとニコルはその場に居合わせたわけではない。しかし誠心誠意頭を下げたルークと、すべてを許して水に流したライオネルの大度は伝え聞いている。
これあるかな、と、膝を叩いたものだ。
ルーク団長とネル副団の友情はまさに断金。どれほど高くて厚い壁でも、この人たちなら手を携えて乗り越えることができるだろう。
古参の団員が誇りに思っている、それは出来事なのだ。
「あのときは団長と副団の問題だった。けど今回はもう一人挟まってるからな」
ニコルの声は苦い。
もう一人、という発音だけで悪意が表現できるほどに。
まったく、彼らの旗印と仰ぐ人物を籠絡した女に、どうして好意的でいられるだろうか。
たしかにルークは頭の良い人ではない。
バカで助平で単純。悪い言い方をすればそういうことになるだろう。
しかしそれは長所の裏返しだ。
部下の細かい失敗は笑って許す度量があるし、助平といってもこれまでは節度を守って遊んできた。
単純なのだって、ようするに勇猛果敢ということである。
「思い込みが激しくて短慮だからな。だからネル副団みたいな人が必要だったんだ」
ジョシュアが肩をすくめた。
「団長には一刻も早く謝りに行って欲しいぜ。取り返しのつかない事態になる前にな」
「そうだな。いまならまだ間に合うかもしれん」
頷きつつもニコルの瞳には保留の色が濃かった。
ライオネルは一度許した。また謝ったら簡単に許してくれるような、彼はそんな甘い男だろうか、と。
そしてそんな甘い状況だろうか、と。
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