月だけを描く画家
榊シロ
第1話
画家:
えぇ、えぇ。
今日はわざわざ遠いところから来てくださって、
どうも、ありがとうございます。
はい、私が「月だけ」を描く画家、なんて呼ばれていますねぇ。
いやはや、こうしてインタビューしに来てくださるなんて、まぁ……。
物好き……いや、変わり者と言った方がよろしいかな?
だって、四十も半ばを過ぎた、ちょっと最近、
話題になった程度の絵描きのところに足を運んでくださるなんて……。
おっと……すみませんねぇ、つい。
よく家内にも、あなたは一言多い、なんて言われたりして……
あはは、余計な話でしたかねぇ。
へぇ、大学生なんですか。
それで、いろいろな仕事の人へインタビューしていると?
そうですねぇ……他人の価値観を知っておく、っていうのは、
確かにとても大事ですもんね。
おっと、本題に入りますか?
では……私が「月だけ」を描いている理由、ですかね。
え、違う? それは最後?
はぁ、そういうモンなんですか。
いやぁ、インタビューを受けるなんて初めてなんでねぇ。
ああ……質問に答えていくだけでいい?
それで、君が必要な情報をまとめる?
うん、じゃあ、よろしくお願いしますよ。
いやぁ……絵を描くこと以外、ほんと、ダメなもんでねぇ。
ええと……まず、私の絵が注目されたキッカケ、ですか?
さきほど、四十も半ば、と言いましたけど、
私は二十代の頃から、ずっと画家をやっていましてね。
とはいえ、まぁロクに絵も売れないような、無名の画家ですよ。
もちろん、それだけじゃ食っていけないんで、
他にもアルバイトやら、絵の講師やらを掛け持ちしてね。
妻とは学生時代からの付き合いで。
子どもも一人できて、生活は楽じゃなかったですけど、
幸せな家庭を築いていました。
それで……えぇ、ちょっとした、事件がありましてね。
その直後から……丸い黄色の円……月を、描くようになったんですよ。
無論、最初はまったく、歯牙にもかけられませんでした。
でも、ある時うちに来た妻の弟が、それをSNSに投稿し始めて。
私はそういうの、よくわからないのですがね。
それから、徐々に注目され始めて……で、今に至る、ってわけです。
えぇと、次……月に関する知識、ですか。
ああ、いやぁ……お恥ずかしながら、一般常識レベルですねぇ。
もちろん、月が衛星だとか、
自分で発光しているわけじゃないとか、その程度のことはわかりますよ。
でも、月自体の仕組みだとか、それに付随する宇宙計画だとか、
そういうのにはいっさい興味がないんです。
黄色くって、丸い。
私にとって、それ以上の情報は必要ありません。
だから、世間がブルームーンだの、ストロベリームーンだのと話題にしていても、
私はただひたすらに、自分の胸のうちにある月の姿をキャンパスに残すのに必死なんです。
さて、次……ああ、ようやく、月を描く理由、ですね。
そうですねぇ。あなたはお若いし、
私の描く絵が好きだと言ってくださったので、特別にお教えしましょうか。
……私、実はオオカミ男なんです。
ほら、満月の夜にオオカミに変身する、っていう、空想上の生物。
つまり、人間じゃないんですよ。
だから、月は天敵でしてねぇ。
人間としてまっとうに暮らしたかったのに、
あの黄色くて丸いヤツのせいで、それができなくなってしまった。
それがどうにも憎らしくて、苦しくて、どうにかしたくて。
そのフラストレーションを晴らそうと筆をとったのが、すべての始まりだったんですよ。
だからね、私、自分の絵……嫌いなんですよ。
ただ、無心で筆をキャンパスに打ち付けているとね……
不思議と、心の中の衝動が和らぐんです。
キリキリと頭が締め付けられて、
人の知能が消えうせてしまう、あの感覚が薄まって、
満月の夜も、人でいられる。
だから、私はずうっと、月の絵を描いているんです。
……はは、到底信じられない? そりゃあそうでしょう。
だって、この世界にオオカミ男なんて存在しませんから。
騙した? いえいえ、身体こそ変化しませんけれど、
確かに、私の心には恐ろしい何かが潜んでいるんですよ。
……言ったでしょう? ちょっとした事件があった、と。
あれ以来……私は、たった一つ残った記憶である「月」を……
ずっと、ずうっと、描き続けているんですから。
画家の友人:
うわっ……ごめんね。
前を見てなかったよ、大丈夫かい?
ああ、ほら、なにか落として……あっ、違う、これは俺のだった。
ああいや……なんていうか、ちょっとした記念品さ。
いやぁ……海外出張が多い仕事をやっているもんでね、
外国の硬貨とかって、綺麗だしとっておきたくなるだろう?
えっ……これは茶色く焦げているって?
はは、古いもの、だからね……。
あ、なんだったら君にあげようか?
構わないよ。古いし、本当は処分したかったんだけど、
なかなか手放せなくてね……。
ん……ああ、俺が誰か、って?
ああ、俺は彼の……あの画家の友人だよ。
ちょっとね、彼の絵を……その、見に来たんだよ。
ん……ああ、彼との付き合い?
それが結構長くてねぇ……学生の頃からなんだ。
といっても、再会したのは、ここ最近のことだけどね。
あいつの奥さんは美人でねぇ……俺の初恋でもあったなぁ。
あいつになんてもったいないくらいの良い人でね。
俺が先に告白してれば……なんて、はは、冗談だよ。
しばらく疎遠だったんだけど、偶然、出張でここらに来てね。
スーパーで奥さんをみかけて……それがキッカケにまた知り合ったんだ。
それから……あの事件が起きてしまって。
意気消沈したあいつ……見てらんなくてねぇ。
ああ、頻繁に来てるよ……友人として、心配だしね。
まあ……いつも、奥さんの弟が面倒を見てるんだけど。
ああ、義理の弟だよ。
まぁ、気になるんだろうねぇ……しかし、
いっくら事件の被害者っていったって、男二人で半同居状態っていうのはなぁ……。
……ん? 君、知らないのかい?
けっこう大々的なニュースになったじゃないか。
あいつの奥さんと子どもが……その、殺された、って話。
なんでも強盗だとかで……あいつ本人も現場にいたらしいんだけど、
運よく……いや、運悪く、だな。生き残っちまって。
でも、事件のショックなんだろうなぁ、
その当時の記憶が戻らないらしいんだよ。
それからだよ……あいつが延々、月の絵を描くようになったのは。
警察だか医者だかの話じゃ、
事件のなんらかの記憶なんじゃないか、って言うんだ。
……いや、馬鹿らしい話だと思うよ。
だって、事件があったのは、真っ昼間の十二時。
どうしたって、月なんか出てるわけがないんだから。
たぶん、あいつ、どっかおかしくなっちまってるんだろう。
ああ……その事件? 残念ながら、まだ解決してないんだよ。
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