リップショット(5/6)

***



 購坂フォート、商業区。


 ショッピングモールの裏路地には小さいが住み心地の良い家が並んでいる。


 フォート内では最下層の住宅街だが、それでも外界とは天と地の差だ。外界ではお馴染みの落書きや、側溝に溜まっている合法麻薬エルの空き瓶・空き箱や、街灯に吊るされている死体などはない。


 流渡は自宅にいた。自分の部屋に篭もり、ベッドの上で膝を寄せて座っている。


(結婚)


 昴が言ったその言葉がずっと頭の中をぐるぐる回っている。彼女の笑顔も、喋り方も、抱いたときに感じた柔らかさと香りも、すべてが手の届かない場所に行ってしまう。


 そう考えただけで胸が詰まり、息が出来なくなる。


(僕はただの使用人で、外界人の息子で、お金や地位があるわけじゃないし……)


 流渡は顔をこすった。いつの間にか眼から涙が溢れていた。


(昴とは友達以上にはなれないのかな……)


 ガシャン!

 階下で大きな音がした。母親は仕事で出かけているはずだ。何か落ちるか倒れるかしたのだろうと、流渡は気にも留めず、再び物思いに沈んだ。


 いっそ昴をさらって逃げるというのはどうだろう。古風に言うなら駆け落ちと言うやつだ。バカバカしい考えだった。外がどれほど危険に満ちた世界か、そこで自分が無力なのかつい最近思い知ったというのに。


(僕には何にもできないんだ。何にも)


 ガチャッ、ガチャッ。

 部屋のドアノブが回転しかけたが、ドアには鍵がかかっている。流渡は不思議に思った。


「母さん? 仕事じゃないの?」


 返事は無い。流渡はベッドを立った。


「今開けるよ」


「それには及ばん」


 知らない男の声がした。


 バキバキバキ!!

 ドアの隙間から身をねじ込ませてきた白い蛇のようなものが、ドアを引きちぎるように破った。


 ドアの後ろに、顔をドクロじみたマスクで覆った、見知らぬ背広姿の男が立っていた。蛇のように見えたものはその腰から伸びている骨の尻尾であった。


 流渡は呆気に取られ、思わず部屋の隅まで下がった。


「だ……誰だ?」


 男はその質問に答えず、謎めいたことを口走った。


「ンッンー、やっぱり犬じゃダメだったな。まあ、どのみちアレはあの女が聖骨の血を引いてるか確かめるためにぶつけただけだけどねェ。やっぱり人間だよ、人間じゃないと」


「犬……? じゃ、あのドーベルマンは」


 流渡が言い終えるより早く、男は矢尻のように尖った尻尾の先端を彼に向けた。


 ドッ!

 先端が発射され、流渡の胴体に突き刺さった。それは蛇のようにおぞましく身をくねらせながら、流渡の体の中に潜り込んで行く。


 流渡は苦痛と恐怖に叫び、床を転がって悶えた。


「あああああ!?」


 男は流渡の前にしゃがみ込んだ。


「君はあの女と仲がいいんだろう? 不意打ち役にピッタリなんだよ」


「ああああああ……」


「情けない声を上げるな。人間血無しの分際であばら組の使命に役立てるんだぞ。あの世で光栄に思え」


 流渡の意識は白濁し、やがて消えた。


(昴……)



***



 一時間後、夜。


 礼服姿の昴と父親は高級車で向かい、屋敷の前のロータリーで降りた。藤丸家とほぼ同等の大きさを持つ、渦島家の豪邸だ。


 ボディガード二人が先に降りて周囲を見張り、父親が車を降りる昴に手を貸す。


 昴は流渡のことが心配だった。ここ数日、藤丸の厨房に出ておらず、学校も休んでいる。流渡の父親に聞いても妙によそよそしく「少し体調を崩しておりましてね」と言うだけだ。まるで昴に息子を会わせることを拒んでいるようだった。


 屋敷の玄関が開き、渦島家の使用人が二人現れた。


「お待ちしておりました、藤丸様」


 父と並んで一歩進むごとに昴の心は石のように冷たく、硬くなって行く。


 結局何の決断も決意もできないまま今日を迎えてしまった。おそらく今夜の晩餐で双方の親は結婚のことを切り出すだろう。


(私は血族だから暗殺者なんか全然大丈夫だなんて言えない。私のワガママでパパを裏切れないし、死んだママとの約束を叶えてあげたい。でも……本当にこのままでいいの?)


 先を行く渦島家の使用人たちが食堂のドアを開くと、その場で深々とお辞儀をして彼女たちを中へ通した。


 食堂へ入るなり、昴の父親は凍りついたように足を止めた。


「これは……」


 渦島家の一家は全員テーブルに突っ伏していた。シルクのテーブルクロスが血に染まっている。使用人もみんな殺されている。


 ドクロめいたマスクを着けた背広の男がテーブルに腰かけていた。男が腰から伸びている骨の尻尾をひゅんと振ると、渦島家の使用人たちが突然拳銃を抜き、藤丸家のボディガード二人を射殺した。


 バン! バン!


「「うぐっ」」


 くぐもったうめき声を上げて二人が倒れた。


 昴の父親の目の前に、別の男が着地した。骨のような白い鎧と竜の頭蓋骨に似た兜で全身を覆っている。


 その男は躊躇無くチョップで昴の父親の首をへし折った。

 ドゴ!


「パパ――――ッ!」


 昴は絶叫した。よろけた父親を抱きとめ、床に寝かせたが、助からないことは一目瞭然だった。昴を探すように動いていた父親の眼球はすぐに停止した。永遠に。


「あああああ!!」


 立ち上がった昴の姿はパッと青白く燃え上がり、たちまち黒いゴス風スーツとフードに変わった。口元はドクロのフェイスマスクに覆われ、右頬に真っ赤なキスマークが入っている。


 リップショットは叫び、怒りに燃える眼で両者を睨んだ。


「聖骨家のリップショット! 貴様らの家名を名乗れ!」


 鎧の男と尻尾の男はそれぞれ答えた。


「狂骨家の竜骨りゅうこつ


「同じくコクシクス」


「あああ!!」


 二人が名乗りを上げると同時にリップショットは竜骨に飛びかかった。


 使用人たちが割り込むように立ちはだかった。彼らはすでに死体であった。あのドーベルマンと同じく、体内に潜り込んだコクシクスの尻尾によって操り人形めいて動かされているのだ。


 使用人たちの拳銃が火を噴く!

パラララララ!


 リップショットはジャンプして銃弾かわしつつ、使用人二人のあいだに割り込むと、百八十度開脚して両側にキックを放った!


 ゴッ!

 使用人がそれぞれ左右に吹っ飛んで壁に突っ込む!


 着地地点めがけて竜骨が踏み込みをかけてきた。


 速い! 竜骨は脇に引き絞った右手を真っ直ぐに突き出し、正拳突きを打った。


 ドッ!

 リップショットは両腕をクロスしてこれを防いだが、踏ん張り切れずに吹っ飛ばされた。車に追突されたような衝撃!


 竜骨の兜がギシギシと音を立てて変形して開き、素顔を晒す。


 昴は呆然とつぶやいた。


「……何で!?」


 そこにあったのは昴のよく知っている顔だった。


 流渡であった。


 硬直するリップショットを見やり、コクシクスは愉快そうに笑った。


「ハハハ! ほら、狂骨家は骨の移植で血を授かるからさァ。あの犬みたいに操り人形にするつもりだったんけどねえ、血族化してしまうとは。まァいいだろう」


「何で……」


「我々は肋組ってヤクザ者でねェ。血盟会という組織と敵対してるんだが、連中を攻略するためにどうしても必要なものがある。聖骨家だけが持つ特殊能力、〝聖骨の盾〟! 他の血族の能力を封じる能力だ!」


 コクシクスが食卓から取ったワインを瓶ごと飲みながら言った。


「だが聖骨家最後の血族アンボーンは、血盟会の刺客に始末されてしまった。血盟会はヤツの能力を恐れていたし、何よりあいつは人間の味方をしてたからな」


 彼はバカバカしいというように鼻を鳴らした。


「だが嬉しいことに、死ぬ前に君に血を授けていたわけだ! 結構な話じゃないか」


「アンボーンは瀕死の君を助けるかわりに血族にしたんだ」


 竜骨は――流渡はいつものように物静かな口調で言った。


「聖骨家が血を授かる条件は狂骨と同じく骨の移植。君の右腕のそれだ。僕はコクシクスと取引した。昴、君を血盟会から守る代わりに、肋組の仲間に引き込むって」


 昴は呆けたように同じ言葉を繰り返した。


「何で……何でパパを……」


「君を守りたかったんだ! その男は君に望まない結婚を押し付けようとしてたじゃないか!」


 竜骨は叫ぶように言った。


「今までの僕には力がなかった。君と釣り合うような家柄も、お金も、何にも足りなかった。今は違う! 僕は誰にも絶対負けない! 必ず君を守る! 僕が君のライオットになる!」


 流渡の眼には一切の嘘も偽りもない。彼がすべて本心から言っているのだと理解した瞬間、昴の胸の中でバリバリという音がした。ガラスのコップが割れるような、何かが壊れて二度と元に戻らなくなった音が。


 リップショットはロケットめいてその場から飛び出した!


「ふざけるなァアア――――ッ!」



次回 01/29(00:00) に更新予定! 

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