海の底で3

 巨大な黒い影の気配に気をつけながら、ヨナさんの案内でわたしたちは海底を進む。

 やがて、わたしたちは海藻の生えた狭い洞穴のような通路を抜けた。


「みなさん、着きました。ここが、アクアフィリス王国です!」


 ヨナさんが振り返り、わたしたちに言った。

 そこは深い谷底のような場所だった。

 谷底の開けた空間に、岩を加工したと思しき家や、なんらかの施設が並んでいる。

 その区画の奥には、巨大な巻貝のような形をした高い尖塔をいくつも擁する大きな建物があった。

 たぶん、あれが宮殿なのだろう。


「王国といっても、小さな国なんだけどねっ」


 ミュウが恥じらうように頬をかく。


「ううん、綺麗な国だよ」


 わたしは素直な感想を述べた。

 たしかに小さな国だけど、とても美しい国だと思う。


「えへへ、ありがとうクロちゃんっ。じゃあ宮殿に行こうか」


 今度はミュウを先頭に、わたしたちはアクアフィリスの居住区画を泳いでいく。


「まぁ、ミュウ様だわ」


「本当よ、お帰りになったのね」


「一緒にいる人魚たちは誰かしら。見ない顔だけれど……」


「それよりも、あの不思議な生き物はなに?」


 アクアフィリスの人魚たちが、口々に声をあげる。

 不思議な生き物とはオヤカタくんのことだろう。

 ミュウは住民たちに笑顔で手を振りつつ、まっすぐに宮殿へ泳ぎ進む。

 やがて宮殿の前まで来ると――


「止まりなさい」


 槍と鎧で武装した二人の人魚――たぶん門番――が行く手を遮った。


「ただいま〜っ」


 物々しい門番たちへ、ミュウは暢気な調子でひらひらと手を振る。


「ミュウ様! これは失礼いたしました……ところで、後ろの者たちは――」


「お友達ですっ!」


 ミュウの言葉に門番たちはオヤカタくんを凝視する。

 まあ、気になるよね。


「そ、その……謎の生き物もでしょうか?」


「おい、言われてるぞ」


 オヤカタくんがチコを迷惑そうに見る。


「いや、あんたでしょうが! この謎きのこ!」


 チコが目を剥いて声を荒げる。


「どこからどう見ても、お前だろう」


 オヤカタくんは断言する。


「なあ、門番よ」


「いえ、あの……」


 門番は気まずそうに、オヤカタくんを凝視した。


「ほら、やっぱりあんたじゃない!」


「失敬な! こんな美しいきのこを謎の生き物とは!」


 オヤカタくんが、ぷんすかと怒る。

 いや、謎の生き物だとは思うけどね。


「もちろんオヤカタさんもお友達だよっ!」


「で、では……お通りください」


 門が開かれて、わたしたちは宮殿の中に入る。

 わたしは、隣を泳ぐミュウの顔をじっと見つめた。


「ん? なにクロちゃん?」


「いや、本当にお姫様なんだなーと思って」


「えぇ、もしかして疑ってたのっ?」


「ううん、そうじゃなくて改めて実感したというか……ところでミュウ、わたしたちいきなり来て大丈夫なの?」


「平気平気、みんなワタシの友達だもんっ」


 うーん、本当に大丈夫かな。


「ヨナちゃん、ママはどこに?」


「お部屋で養生なさっているかと」


 こっちだよ、とミュウに付き従って宮殿内を進んでいく。

 そうするうち、わたしたちは大きな扉の前に辿り着いた。

 扉の前にいる二人の人魚……侍女というやつだろうか。

 その二人がミュウに気づき、恭しく頭を下げる。


「ここがママの部屋」


 ミュウは扉に手をかけたけど、すぐに引っ込めた。


「……不安?」


 病に倒れた母親と対面するのが。

 わたしの一言に、ミュウは弾かれたようにこちらを振り向く。

 それから柳眉を下げ、弱々しい笑みを浮かべた。


「うん……ちょっと怖い」


「少しだけど……気持ちはわかるよ。わたしも親を病気で亡くしたから」


「クロちゃん……」


 弱っていく両親と顔を合わせるのは、とても怖かった記憶がある。


「――だけど、行かなきゃね」


 向き合わないと、前には進めない。


「……うんっ」


 わたしの言葉に力強くうなずいて、ミュウは扉を押し開いた。

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