錬金術師と人魚姫7



 ミュウは、ほんの数分でパンケーキを平らげてしまった。


「ごちそうさまでしたクロちゃんっ、美味しかったですっ!」


「お粗末様。食べるの早いな」


「すごく美味しかったので!」


 おだててもなにもでないぞっと。


「本当は果実とか、クリームがあるとよかったんだけどね」


 言いつつ、わたしはふわふわのパンケーキを口に運ぶ。

 我ながら美味しいけれど、やっぱり王都にあるお店の味には敵わない。

 なんというか、ふわふわ感も足りないんだよなあ。

 パンケーキ錬成の際に入れた特別な粉……あれは生地を膨らませる効果がある粉だ。あれもわたしが錬金術で作った物なんだけど……まだまだ改良しないとダメだな。


「果実に……クリーム……じゅるり」


 ミュウが涎を垂らす。


「ぜひ食べたいですね、それはっ」


「うんまぁ機会があればね」


「明日ですか?」


 さっそくすぎるよ。やっぱりこの子、厚かましいぞ。

 というか、さりげなく明日もここにいるつもりだよな。


「わたし、ミュウにはご飯をあげたら帰ってもらう気なんだけど」


「そんなあっ!」


 ミュウがひしっと、わたしの腕にしがみついてくる。


「うわっ、危ないって」


「クロちゃんはまだワタシを海にリリースする気なんですか?」


「うん、そう」


「即答ですっ」


 ミュウは「うえーん」と両手で顔を覆った。

 嘘泣きにも程があるな……。


「ちらっ」


 と、ミュウは指の隙間からこちらを覗う。

 はあ……しょうがない。事情ぐらいは聞いてあげるか。


「ねえ、まず根本的な話なんだけど」


「はい?」


 顔を出したミュウが、小さく首を傾げる。


「ミュウ、貴女は何者?」


「ワタシは人魚ですよ?」


「それは見ればわかるよ」


 ふわふわと柔らかそうなピンク色の髪。吸い込まれそうな翡翠色の瞳に、目が眩むほど整った相貌。透き通るような白い肌だけど、それは鼠径部の辺りまで。そこから下は、ウロコに覆われた魚類のような下半身をしている。よく伝説に出てくる人魚そのものだ。


「わたしが訊きたいのはそういうことじゃなくって……つまり、どこから来たの?」


「海ですっ」


 ……うん、いい返事だ。


「やっぱりリリースしようかな」


「なんでですか!?」


「いや、今のはわたしの訊ね方が悪かったか……海のどこから来たの?」


「海の底にある、人魚の国です」


「なるほど……」


 サラリと言ったけど、すごい発言なんじゃないだろうか。

 え、国? 海の底に国が存在するの? 人魚の?


「そういえば、家に帰りたくないとか言ってた気がするけど……」


「はい、実はワタシ家出してきたんです」


 伏し目がちにミュウが答える。


「家出して、海を泳いでたら……」


「わたしに釣られてしまった、と」


「です」


「そこはごめんなさい」


「いえ、いいんですっ! おかげでクロちゃんと知り合えましたしっ!」


 どういう意味だろう……あまり深くは考えないようにしよう。


「なんで家出したの?」


 あ、つい流れで普通に訊いてしまったけど大丈夫だろうか。触れられたくない部分かもしれないし……。


「実はワタシ、人魚の国……あ、アクアフィリスっていう名前の国なんですけど、そこの姫でして……」


「ちょっと待って」


 わたしは自分の額に手を当てる。

 人魚の国アクアフィリス。ミュウはそこのお姫様で、家出をしてきたと。

 なにそれ、最高に面倒事の気配しかしないよ。

 ――綺麗なモノは、それと同じくらいに厄介で面倒なモノでもある。

 師匠の言葉は正しいのかも。わたしは目の前にいる綺麗な人魚を見ながらそう感じた。


「あの……クロちゃん、お話を続けてもいいです?」


「ごめん、いいよ」


「えっと、どこまで話しましたっけ」


「ミュウがアクアフィリスのお姫様っていうところまで」


「そうでしたっ。ワタシは姫で、なんというかその……ママもパパも、それから周りのみんなも、ワタシをすごく甘やかすんです」


 ミュウは拗ねたように口を尖らせる。


「いつまでも子供扱いして、宮殿の外からも出ちゃいけないって……ワタシは早く自立したいのに」


「それで宮殿どころか国の外……それどころか海の外まで家出したんだ……あ、海の外に出しちゃったのはわたしか」


「いいえっ」


 ぶんぶん、とミュウはピンク色の髪を揺らしながら首を横に振る。


「ワタシ、最初から地上に上がるつもりで泳いでたんですっ」


「あ、そうなんだ」


 それはよかった、のか?


「どうして地上に……って、訊いてもいいかな」


「はいっ。ワタシ、昔から地上の世界に憧れていてですねっ!」


 目を輝かせながら、ミュウは声を弾ませる。


「海の国でも、地上の世界って知られているの?」


「んー……全員が知ってるわけじゃないと思いますよ。ワタシは小さいころから、よくママに話をしてもらっていたので」


「お母さんに?」


「はいっ。ワタシのママは昔、少しの間だけ地上に住んでいたんです。それで、人間の友達と一緒に色んなところを旅したんだって言ってました」


「え……ミュウのお母さんって、もちろん人魚だよね?」


 そうですけど、とミュウは不思議そうに肯定する。


「人魚って地上でも暮らせるの?」


「暮らせるんじゃないですか?」


 おい、知らないのか。

 いやまあ、暮らせないこともないだろうけど……例えば今のミュウみたいに水に浸かっていれば。もしくは水槽に入ったりとか。

 だけど、色んな場所を旅っていうのはさすがに難しいような……。

 待てよ。そもそもわたしの前提がおかしいのかも。


「人魚って、水に浸かってなくても平気なの?」


「んー……少しの間なら。でもあまり長くいると、たぶん死にます」


 ちょっとちょっと。危ないよ。


「死ぬかもしれないのに、地上に出てきたの?」


 なんというか、考えなしすぎやしないか。


「……はい、なんとかなると思って」


「いや無理でしょ」


 ミュウはしゅんと項垂れる。


「でも、ママは『人間になって』地上で生活していたみたいだから……きっと地上には、なにかそういう薬みたいな物があるんだとばかり……」


「そんな薬あるわけない……こともないか」


「どっちですかっ」


 別の生き物に変身できる薬。錬金術には、そういった薬も存在する。

 わたしも、実物を一度だけ見た。その薬は師匠が作った物で……もしかして、ミュウのお母さんの友達って……いや、まさかね。


「ミュウが言うような薬は存在するけど、簡単には手に入らないと思う」


「そうですか……」


 ミュウは残念そうに目を伏せる。


「材料さえあれば、わたしでも作れるとは思うけど……」


 変身の薬。たしか師匠から譲り受けた本に作り方が載っていた気がする。


「作る……? クロちゃんは薬師さんなんですか?」


「いや、わたしは錬金術師だよ」


「れんきんじゅつし?」


 なんですかそれ、とミュウが首を捻る。

 さすがに知らないよね。地上でもあんまり知られていなし。


「えっと、錬金術師っていうのは――」


 わたしは簡潔に錬金術師とはなにかをミュウに説明した。


「すごいですっ! クロちゃんって、すごい人なんですね!」


 うっ、キラキラとした眼差しが眩しい!


「……別に、わたしはすごい人とかじゃないよ」


「またまた照れちゃって」


 照れてないし。……いや、本当に。


「……クロちゃん」


 ミュウが急に居住まいを正し、真面目なトーンの声音でわたしの名前を呼ぶ。


「な、なに……いきなり改まって」


「お願いがあるんですっ」


 わたしの手を握って、ミュウが口を開く――

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