錬金術師と人魚姫4
エミリーさんの家に『おいでませ☆清浄なる楽園クリーンアイランドへ』を届けて依頼を完了したわたしは、そのまま港へ向かった。
予定通り、錬金術の素材を集めるためだ。
埠頭まで来たわたしは、背負っていた釣り竿とカゴを下ろす。それから準備を整えると、海に釣り糸を垂らした。
不漁で食用の魚はほとんど釣れないけど、錬金術の材料になるような魚なら釣れる。ストックが少なくなってたし、補充しておかないと。持ってきたカゴいっぱいぐらいは釣りたい。
――なんて意気込んだものの、なかなか得物がかかってくれない。
釣りを始めてもう三十分ぐらいは経っているけど、釣果はゼロだ。
「今日はダメかな……」
と、諦めかけたときだった。
「うわっ……!」
突然、強烈な引きが襲ってきた。強い力に釣り竿が大きくしなる。
「な、なにこれすごい……」
油断したら海に引っ張り込まれるんじゃないかってぐらい。
普通の釣り糸なら、かかった時点で切られていたかも。だけど、この釣り糸も釣り竿も、わたしが錬金術で作った特別な物だ。そう簡単には切れたり折れたりしない。
この埠頭で釣りをやるようになって、ここまで強い引きが来たのは初めてだった。わたしは今、ちょっと高揚している。
「絶対に釣り上げてみせる……!」
わたしは決意と共に、釣り竿を力いっぱい引き上げた。
飛沫を上げて、海面から大きな影が姿を現す。かなり大きい。人間ぐらいはあるんじゃないだろうか。それはゆっくりと宙を舞い、地面に打ち上げられた。
やった! 釣れた!
「なにこれヌシ? わたしヌシでも釣り上げちゃった?」
わくわくしながら、打ち上げられた大きな魚を覗き込む。
「――え」
わたしは息を呑んだ。
たしかに『それ』は魚だった。大きな魚だ。でもなんというか……魚なのは半分だけというか下半身だけというか……とにかく上半身が魚じゃない。
「う、う~ん……」
わたしが釣り上げた『それ』が呻き声を発する。
『それ』の上半身は、どう見ても人間だった。しかも女の子だ。
たぶん、わたしと同じ年頃……十代後半ぐらいに見える。
「えっとこれは……」
呆然と、わたしは『それ』……いや、彼女の姿を見つめる。
キラキラと輝く翡翠色のウロコに覆われた、魚類のような下半身。腰から上は、色白で柔らかそうな肌だ。ふくよかな胸には、大きな貝殻で作った胸当てがしてあった。真珠が連なった首飾りをつけている。顔立ちはとても整っていて、淡いピンク色の長い髪が目に眩しい。
「……綺麗」
わたしはそう呟きながら、なぜか師匠の言葉を思い出す。
昔、わたしが綺麗な見た目をしている毒の花を摘んでしまったときだ。
「クロ、綺麗なモノには用心したほうがいいですよ」
「なんで?」
「私の経験上、綺麗なモノには毒がある場合が多いからです。この花みたいね」
「ああ……師匠みたいにだね」
「あはは、褒め言葉として受け取っておきますよ」
綺麗なモノは、それと同じぐらいに厄介で面倒なモノでもある。師匠はそう語りながら、手に持っていた毒の花を錬金釜の中に入れた。それから――
……それから、なんて続けたんだったかな。よく思い出せない。
今はそれよりも、わたしが釣り上げたこの……人魚、でいいんだろうか。いいよね、どこからどう見ても人魚だし。というか実在したんだ、人魚って。色々と伝説とか噂話は耳にしたことがあるけど……
「どうしよう」
わたしは改めて人魚の姿を確認する。
「……やっぱり綺麗」
いや、そうじゃなくて。わたしはかぶり振る。
この人魚、どうしたらいいんだろう。
まず生きてはいる……よね。さっき呻き声を出していたし……うん、胸も上下してる。
意識はなさそう……かな? ずっと目を閉じてるし。
とりあえず、声を掛けてみる……か? いや、でもなんだろう。あんまり関わりたくない気もするんだよな。
――綺麗なモノは、それと同じくらいに厄介で面倒なモノでもある。
また師匠の言葉が頭をよぎった。
この綺麗な人魚からはなにか、面倒ごとの雰囲気がヒシヒシと漂ってくる。釣り上げてしまった時点ですでにちょっと面倒だし……。
よし、というわけで。
わたしは心を決めて、人魚の首元に手を伸ばした。
首飾りに引っかかっている釣り針を外す。そして、わたしは周囲を見回した。
……うん、幸い辺りに人の姿はない。まあ、他に誰かがいたらきっと、ちょっとした騒ぎになっていただろう。無人でよかった。
それでは、と。
「よっこらせ」
わたしは、ゆっくりと人魚の身体を持ち上げた。うお、結構重いな。
苦戦しつつ、なんとか人魚を埠頭の端まで運ぶ。
「リリース」
そう口にしながら、わたしは埠頭の端から人魚を海に戻そうとした。
面倒に巻き込まれたくないし、見なかったことにしよう、うん。
わたしはなにも知らない。人魚なんて釣ってない……などと自分に言い聞かせながら、今まさに人魚を大いなる海へと戻そうという瞬間だった。
「なんで戻そうとするんですかあああああああああああ!」
「ひゃあっ!」
突然、人魚がわたしの腕を掴んで動きを止めさせた。そして人魚は、涙ぐんだ目をわたしに向けてくる。瞳の色はウロコと同じ翡翠色だ。
「釣り上げたんだから最後まで責任を取ってくださいいいい!」
「な、なにそれ?」
意味がわからない。責任ってなんのだ。
「……意識があるんだったら、自分で海に帰れるよね」
そう告げるわたしに、人魚は信じられないといった表情を浮かべる。
「ここは『可愛い人魚さん、困っているなら家においで』と優しく手を差し伸べてくれる場面なんじゃないですかぁ!?」
「いや、知らないし」
「そんな!?」
あつかましいな……たしかに見た目は可愛いけど。
「……困ってるの?」
「はい、困ってるんです。海には……お家には帰りたくないんですっ!」
人魚は潤んだ瞳でわたしを見上げてくる。必死に訴える様は、嘘をついたりしている感じはないけれど……
さて、どうしたものかとわたしが思案していると。
――ぐうぎゅるるるるるるるぅ!
なんか、ものすごいお腹の音が鳴った。
わたしのお腹……じゃない。
そういえば今日はまだ昼食を摂っていないけど、そこまでお腹は空いてないし。
そうなると音を発したのはこの人魚……
「あ」
「う、うぅ……お腹が……お腹が空きました……」
わたしの腕を掴んでいた人魚が、ぐったりと地面にくずおれる。どうやら意識を失ってしまったらしい。
「この隙にリリース――」
しようかと思ったけど、人魚の顔に視線が留まる。留まってしまう。
「……さすがにかわいそう、か」
なんか困ってるみたいだし、かなり空腹っぽいし。
「しょうがない……一食だけ。一食だけなにか食べさせて、それで帰ってもらおう」
とは言ったものの、どうやって元図書館……わたしの家まで連れて行こうか。
さすがに、背負っていくのは目立ちすぎるだろう。だって人魚だし。
この場所は幸いにして無人だけど、町の通りは確実に人がいる。人魚をおんぶして歩いたりなんかしたら、騒ぎになりそう。
「うーん……」
わたしは腕を組んで考える。あんまり、ぐずぐずはしていられない。この場所にだって、いつ人が来てもおかしくないし。
ふと、地面に置いてあったカゴが目に入る。わたしが持ってきた、釣った魚を入れるためのカゴだ。
この中に人魚を入れて帰るしかないか。まぁ、もちろんこのままじゃ無理なんだけど。
わりと大き目のカゴとはいえ、さすがに人間ほどの大きさがあるモノを入れるのは不可能だろう。
こういうときこそ、錬金術の出番ってものだ。
わたしは腰に提げたポーチから、液体の入った小瓶を取り出した。
小瓶の中身は、わたしが錬金術で作った特殊な薬品だ。
わたしは小瓶の栓を抜いて、中の薬を一滴だけカゴに垂らす。
すると、カゴがひとりでにゴトゴト揺れたかと思えば、一瞬にして大きくなった。
「うん、これなら人魚も入れられそう」
カゴに垂らしたのは、物体を大きくする薬。効果が続くのは十五分ぐらいだけど、家に帰るだけだから大丈夫だろう。
わたしは薬の小瓶に栓をして、ポーチに戻す。それから別の小瓶を取り出した。また液体が入った小瓶。これも、わたしが錬成した薬品だ。
栓を抜いて、中身を一気にあおる。
「かなり不味い……」
改善が必要だな、これは。カラになった小瓶をポーチにしまう。
今わたしが飲んだのは、力を一時的に強くする薬だ。この薬も持続時間は十五分ぐらい。
人魚が入った大きなカゴを背負って家まで帰るなんて、非力で体力の少ないわたしにはちょっと厳しい。こういう薬を使わないと、まず無理だと思う。
さっき人魚を釣り上げたのだって、ほとんどわたしの力じゃない。錬金術で作った釣り竿と、釣り糸のおかげだ。
……さて、薬はもう効いているはず。
わたしは人魚の身体を抱き上げて、大きくなったカゴに入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます