第26話『去年の今日はクリスマスだった』

「おかえりなさい」

 僕が急いで家に帰ると、リビングで待っていた弥生に迎えられた。

「ただいま」

「少し休憩する?行きたいところがあるんだけど」

 確かに疲れてはいるものの、これ以上彼女を待たせる訳にはいかないだろう。だから

「大丈夫、行こうか」

と、返す。

「うん」

 弥生は嬉しそうに頷いた。


 紙袋を置いて家を出ると、僕らはバスに乗って少し遠くまで来た。僕らの家がある住宅街とは少し離れた、大型ショッピングモールなどの娯楽施設が多くある地域だ。

 バスはショッピングセンター前のバス停で停まった。弥生が下車しようとしたので、僕もついていった。

「どこ行くの?」

 弥生がその大型ショッピングモールに向かって歩き始めたので僕は尋ねた。

「映画見に行く」

(映画ときたか)

 僕は心の中でそう思わざるを得なかった。

「何見るの?」

「もう決めてあるの。これよ」

 弥生はカバンの中から一枚のポスターを出し、見せてきた。

『去年の今日はクリスマスだった』

 という大きな明朝体みんちょうたいで書かれた題名の下に、降る雪の中で、男女とおぼしき二人組のシルエットが描かれたものだった。いかにも海外の恋愛ドラマと言った感じか。

「これを一緒に観よう。と?」

 僕はまた尋ねる。

「そうよ。前から気になってたの。ただ、その映画、一人で見るようなものじゃなくて...」

「と言いますと?」

 僕はそう首を傾げる。

「要するに、『一緒に見る友達いないから一緒に見てよ』ってこと!」

「そんなことならお安い御用だ」

 僕は笑った。



 三時間と少し後、僕達はショッピングモールを出て、またバスに乗っていた。

「面白かったわね...」

「そう、だね」

 僕達は微妙な雰囲気になっていた。その理由は間違いなく、さっきの映画にあるのだが...

 ここで、回想してもいいだろうか?


**********


「私ね、この作者の作品大好きなの」

 二人分のチケットを買いながら、楽しそうに弥生は言った。

「へー、そうなんだ」

 と僕は言いながら壁に貼ってあるポスターをもう一度見る。

『原作:アーサー・スミス』

「アーサー・スミスさん」

 僕の読み上げに、弥生はいつもの笑顔で頷く。

「この人の書く恋愛小説は失恋しないの。つまり、全ての話がハッピーエンド」

 と自分のことのように話す。というかアーサーって男だろ。ぼうゲームでアーサー王が女騎士として描かれたせいで、『アーサー王=女』という考えがなきにしもあらずだが、実際は、アーサーとは男性に付けられることの多い名前である。つまり僕は今、僕の彼女にどっかの知らない外国人作家(男性)の武勇伝を聞かされているのである。喜ばしいことではない。


「どうする?映画までもう少し時間あるよ。買い物でもするか?」

 僕はチケットを受け取り、お金を渡しながら何気なく言った。

「うん、欲しいものがあるの。時間まで別行動しない?」

(一緒じゃダメなのか...)

と思いながら僕は仕方なく言った。

「分かった」

 そして僕は時間まで本屋で立ち読みをしていた。僕は小説が大好きとまではいかないものの、祖父母が小説家だったこともあり、暇な時に読んだりする。そして僕は売り場の中に、一冊の本を見つける。僕はそれを手に取ると、レジに持っていった。


 そして時間になったので、僕は劇場に向かった。まだ十分前だが、五分前行動がうたわれているこの時代に五分前行動なんてしたら、相手を待たせてしまいかねない。だから僕は五分前行動の五分前行動である十分前行動を推奨している人間なのだ。そして丁度そこにやってきた弥生と目があった。

 残りの十分間。僕はまた弥生にアーサー・スミスについて語られることになった。それほど弥生に言われると、僕だって気になってしまう。

 そしてその時間がやってきた。


 ビデオカメラの被り物をしながらも、華麗な身のこなしで警察から逃げる俳優さんを見ながら、

(ギャラ高いのかな)

 などと思いふけていると、弥生に右肩を突かれた。始まるという合図だろう。

『去年の今日はクリスマスだった』

 とてもいい話だった、序盤までは。二十代のOLがイケメン上司に恋をするという話で、あくまで序盤は、甘い恋の話だった。そして物語が半ばに差し掛かると、上司の浮気が発覚するのだ。でも弥生の話だとアーサーの話はハッピーエンドで終わるとのことで、僕は楽しみに終盤を待った。

 そして、ラストシーン。クリスマス当日。去年のこの日に、二人が愛を誓いあった海岸で二人が再会。

(さあこい、どんでん返し!)

 そして主人公のOLはそこで上司に振られてしまう。悲しい音楽と共に、OLは泣き崩れる。去っていく上司、その後ろ姿を見ながら、OLは海に身を投げた。

 そして僕でも知ってる海外の歌手の新曲と共にエンドロールが流れる。僕は右をこっそりと伺うと、目と口を大きく開いた弥生がそこにいた。まあそうなるだろう。なんてったって『失恋はしない』はずだったんだから。


**********


「あのね、アーサー・スミスの映画は、カップルで見ると結ばれるって有名なジンクスがあるの」

 弥生が静かに言った。

(だから僕が呼ばれたのか)

 僕は一人納得した。

「でもまさか、失恋映画だったなんて...あれじゃあまるで別れるジンクスじゃない」

 悲しそうにおへその前で手をいじりながら言う弥生をなんとか励まそうと、必死に脳をフル回転させる。そうして苦し紛れながらもようやく出てきた言葉を慎重に口にする。

「僕は浮気なんてしないから」

 僕は弥生の手にそっと手を伸ばし重ねる。弥生は言った。

「私も自殺なんてしないから」

 バスが目的地に着くまで、僕らはずっとそうしていた。

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