第25話 野盗討伐依頼

 リリィ・シグナルは、継ぎはぎのないロングワンピースを身に纏い、ボタンで留めたケープを羽織る。

 金髪碧眼に嘘のない表情で港を眺めている。細いリボンが海からの緩やかな風で揺れる。

 空と海面を朱色に染める朝焼け。

 小ぶりな瑞々しい唇が動き、振動する美声が微かに漏れだす。バラード調のゆっくりとした歌が港に響いた。

 ぼんやりと浮かぶ白い光がリリィの輪郭を囲う。

 釣り竿を肩に乗せ、鉄バケツを手にぶら下げる男が口を半開きに立ち尽くす。歌う彼女の姿を見上げながら。

 窓から顔を出す主婦もうっとり、と綻び、日課を置いて聴き惚れている。

 軽装鎧の青年オーウェンは声をかける言葉も思いつかず、リリィの後ろ姿をただただ眺めた。

 オーウェンの視界に二重で映る人影は瓜二つで、次第に潤み消えていく。

 棒立ちのオーウェンの横を素早く駆け抜ける足音で、我に返った。

 肩まで伸びた赤髪を揺らしながら、苛立ちを含めた表情でリリィの口を塞いだ少女エルマは不機嫌そうに睨む。

「むっ……うー」

 突然声を奪われたことに目を丸くさせたリリィは自らの胸に両手を寄せて肩をびくり、と震わせた。

「朝からうるせぇ」

 耳元で呟いた後、エルマは階段を全て下りる。

「す、すみません」

 リリィは眉を下げて困ったように微笑んだ。

 惜しみながらも再び動き出す港の日常。男は釣りを始め、主婦は洗濯物を干しはじめる。

「エルマ」

 そして、いつものように説教を始める合図が聞こえ、エルマは苦い表情で腕を組んだ。






 乾いた音と共に転がる木刀。手が痺れ、右手首を押さえるエルマはしゃがみ込む。

「だぁぁあああ! もう終わりだ!!」

「全く、そんなんじゃデヴィン様の足元にも及ばないな。帝国の騎士ローグに一騎打ちは無謀としか言いようがない」

「うるせぇ! 親父の仇を絶対取ってやる! てか、こんな訓練じゃ意味ねぇよ、実戦、なんか依頼とかねぇのかよ!」

 オーウェンは肩をすくめ、リリィと目を合わせて苦笑い。リリィは少し肩を震わせた。

「稽古でこんなのでは、実戦なんて」

「エルマさんは凄く強いんです。今日はなんだか力が入っていないような気がしますが、エルマさんは役に立たない私を助けてくれたんです」

「それはリリィ様、本当ですか?」

「はい」

 リリィは力強く頷く。

「うるせぇ……行くぞ」

 終始不機嫌なエルマは木刀を左手で持ち、右手でリリィの手を掴んだ。

「え、あ、は、はい」

 慌てて立ち上がったリリィは引っ張られながら、港から背を向け、レンガの建物へ。




 二階建ての建物には警備兵が立っている。

「エルマ、ソフィア殿下がお呼びだ。リリィ様も、よろしければご同席を」

 警備兵に鼻息で応え、エルマは扉を蹴り開けた。

 強引に手を引きこまれ、リリィは時折躓く。

 二人の前に、エルマと同い年で王族のソフィアが、襟シャツに細身のズボン姿で出迎えた。

「おかえりなさい、エルマ。リリィも。ちょうどエルマに頼みたい仕事があるの」

「お、もしかして討伐とか?」

 ソフィアは切り込むような鋭い深緑の瞳に、二人の手を映す。

「……そうよ。野盗の討伐依頼が来てるの。王都や港の警備、各拠点の兵では手が回らないから、エルマ、お願いできる?」

 得意げに頷いたエルマ。

「上等だぜ、な?」

 リリィは戸惑いながらも同意する。

「リリィまで連れていく気? 剣も魔法も扱えないのに?」

「同じ目的があるんだよ。こいつのクソ親父がいるかもしれねぇし、ローグがいるかもしれねぇ」

「……まぁいいでしょう。場所はここから西の方角にある山里、そこに野盗の住処があるわ。近くに復興中の町があるから、依頼主は自警団のカロルという女性。元王国兵よ。詳しいことはカロルに訊いて」

「あぁ分かった。よし、久し振りの戦いだ、腕が鳴るぜ!」

 ニヤリと口角を上げるエルマ。刀を腰に差し、急所を守る軽装鎧を身に着ける。

「リリィ、貴女も同行するなら足手まといにならないよう、これを持ちなさい」

 ソフィアの指先に従い、分厚い書物をリリィに差し出す使用人。古びた表紙は掠れて文字が消えている。

「これは、なんですか?」

「魔法書。魔法を扱えない貴女のような人でも簡単にできる物よ。中に陣が描かれているの、開けて敵に向ければ魔法が飛び出る仕様。使い捨てだし、かなり貴重な物だから、大事に使いなさい」

「は、はい、ありがとうございますソフィア様」

 膝を曲げ、胸に手を当て会釈するリリィは、意気揚々と外に出たエルマを追いかけた。

 扉が閉まり、二人がいなくなってから使用人は恐る恐るソフィアを見上げる。

「ソフィア様……あの魔法書は」

「何か不満でも?」

「い、いえっ! とんでもございません!」

 一瞬で汗が噴き出るほど。使用人はすぐに謝り、室内のどこかへと下がっていく。

 ソフィアは鼻で笑い、

「アイリーンが貴女を待ち侘びているわ。リリィ」

 静かに呟いた……――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る