エルマとリリィ

空き缶文学

第一部 出会い

第1話 リリィ

 地面が抉れていくつもの窪みができている。遠くまで広がる草も生えていない大地を臨める丘に立ち、金髪碧眼の少女は瞼を閉ざしていた。

 細いリボンで後ろの髪を結び、縫い直した跡がある服の裾が暖かい風に揺れる。

 少女の目の前で静かに眠る誰かの墓石。


『アイリーン・シグナル』


 名前とその下には死亡した日付が刻まれている。

 少女は口ずさむ。透き通ったバラードのような、テンポを少し落とした緩やかな歌声。

 歌っている間、少女の身体の輪郭に微かな白い光が纏わりつく。その光に彼女自身は気付いていない。

 半目になった視界に王国の旗を掲げた馬車が映り、町に向かっているのが見え、唇が止まる。

 丘から小走りに下って、少女は小さな町に戻った。

 家の外に設置された鍛冶場は、静かなふいごと炉。木箱に放り込まれた剣と斧は錆び始めている。

 少女は家を通り抜けて中庭へ、そこには枠内からはみ出た土をお手製の鍬で耕している、筋骨隆々の男がいた。髭面で、絵に描いたように厳つい顔。

「お父さん、王国兵の馬車がきてる。もう、戦争が終わったのに」

 少女は不安そうな表情を浮かべて伝える。

 父親は手を止めて、眉を顰める。大きくため息を吐く。

「戦死者を遺族のもとへ返しにきたんだろう。リリィ、そんなことはいいから手を動かしてくれ」

「……うん」

 俯くリリィは苗を畑に運び出す。

「リリィ、母さんのことは、俺も辛い。だが彼女は王国に平和をもたらした英雄なんだ、胸を張りなさい……彼女がくれた平和の為にも前を向くんだ」

 優しい口調でリリィを励まし、父親は再び畑を耕す。

 リリィは頷いて、整えた場所から苗を植えていく。


「シグナル様、シグナル様はいらっしゃいますか?」


 家の入口から聞こえてきた男性の声。

 鍬を壁に立て掛け、父親は隠れながら相手を覗く。

「王国の奴らだ。リリィ、ちょっと話を聞いてくるから奥にいなさい」

「で、でも」

「リリィ」

 小さく、強めに名前を呼んだ。

 恐る恐る頷き、リリィは苗をそのまま畑に置いて、奥の寝室へと隠れた。

 話し声が聞こえてくる、何を言っているのかまでは分からない。

 リリィは寝室に飾られた絵画を青い瞳に映した。

 白金に輝く鎧で顔以外を包み込む女性が描かれている。その女性はロングソードを縦に構え、太陽の光に反射させている。王国の城を背景に、尖った顎と高く目立たない鼻、青い瞳は鋭い。

「お母さん……」

 絵画の女性を母と呼んだ。

 馬の嘶きが聞こえた。同時に、急ぐように寝室に入ってきた父親の姿。革袋に書類やペンなどの道具を乱雑に流しいれる。

 リリィは突然のことに目を大きくさせた。

「お父さん?」

「リリィ、一緒に馬車に乗りなさい」

「え、ど、どこに行くの?」

「王都だ。アイリーンの功績で、褒美が貰えるらしい」

「そうなの? す、すごい」

 思わず綻んでしまう口元。父親は厳つい表情のまま固めて、荷物をまとめていく。

 王国の旗が飾られた馬車には王国兵と遣いの人間がいた。

「これはこれは、アイリーンとよく似ている美しい子ですな」

 兵達は頷いて、リリィの容姿について褒めちぎる。

「あ、ありがとうございます」

 リリィは戸惑い気味に頭を下げた。

 馬車に乗り込み、不思議そうな顔をした近隣住民に背を向けて、町の外へ。 

 馬車は荒れた大地を踏んで、土煙が舞う。

 夜になる前、茜色の空が徐々に真っ青に染まり始める。小さな王国軍の拠点地にたどり着いた。

「夜は野盗や、獣が活動しますから、今日はここで休みましょう。明後日には王都に到着します。豪華な食事と家が待っていますよ」

「家? 王都に住めるの?」

「あぁ……そうらしい」

 父親は鼻で笑う。

「リリィ、長旅で疲れているだろうから休みなさい。俺もあとで寝る」

「うん、でもお母さんがいないと寂しいね」

「母さんのおかげで、王都に住めるんだ……感謝しないとな」

 岩で造られた拠点の中で、リリィはベッドに腰掛けた。横になるまで見守られ、それから父親は扉を閉めた。


 

 翌日のこと。

 微睡みの中で聞こえた馬の嘶き。ゆっくり目と意識が鮮明になる。

 ベッドから身体を起こし、リリィは窓の外を見た。

 ボロボロの馬車が一台だけ。手綱を掴んでいる老人が王国兵となにやら揉めている。

 リリィは胸がざわめく感覚に襲われて、急いで外へ。

 荒れ果てた大地が広がり、遠くに山がぼんやりと見える景色。王国の旗を揺らす馬車はなかった。

「お父さん? お父さん!?」

 とにかく父を呼ぶ。

 拠点の王国兵は誰もリリィと目を合わせず、ただ見張りを続けている。

「すぐに出ていくって言ってんだろ。ただ道を訊いただけで不審者扱いとは、王国の大英雄とデヴィンが生きてりゃ失望しただろうな」

 老人は王国兵を睨みつけた後、寂し気に必死に兵に訊いて回るリリィを視界に映す。

 そんな馬車は通っていない、見ていない、兵士の証言に頭が混乱してしまう。リリィは拠点から少しだけ離れて、イスのように岩に腰掛ける。

 その背後で、王国兵がお互いに目を合わせて、一人が腰に差しているサーベルを抜く。

 一歩、一歩、リリィの背中を捉える。

 気に入らない、老人は呆れながらも特に動くことなく様子を見守っていた。

「そんな……でも、昨日まで一緒にいたのに……どうして、お父さん。こんなところで、どうしたらいいの、お母さん……」

 膝を抱え、見知らぬ大地、最寄りに町があるとは思えない。途方に暮れる。唇は小さく動き、息を多めに吐き出しながら声を出す。

 静かに緩やかなリズムを口ずさむ。リリィの身体を包む微かな光。

 手綱を持つ老人は、フン、と鼻で笑い、目を細めた。

「愛の詩か」

 それから小さい声で口ずさんだ。

 サーベルを抜いていた王国兵と見張りの兵士が動きを止めて、目線をリリィへ。

 一人ずつ、リリィと一緒に歌い始める。気付けば全員が歌う。

「えっ?」

 異変に驚いたリリィは、歌を止めてしまう。振り返れば兵士達と老人がリリィに暖かい眼差しを向けていた。

 サーベルを握りしめる兵士は目に涙を溜めて、

「申し訳ない、実は貴女の父君に殺すよう頼まれたんだが……できない」

 力なく呟いた。

「ど、どういうことですか? お父さんが私を?」 

 信じられないと首を横に振るリリィは立ち上がる。

 サーベルを地面に落とし、兵士はフラフラと拠点へ戻ってしまう。

「お嬢さん、名前は?」

 老人はくたびれた茶色の帽子をかぶり、髭は伸び放題、痩せこけた身体をくすんだローブが包む。馬車を移動させて、リリィのもとへ寄ってきた。

「……リリィ・シグナルです」

「シグナル? あぁ、あの大英雄の娘ってことか」

 リリィを置き去りにして、独り言になる老人。

「あの、どなたですか?」

「ワシはしがない旅人だ。しかし、大英雄の娘がなんでボロ布なんて着ている? 王国専属の剣士で戦争終結まで導いたってのに、ぞんざいな扱いだな」

 ジロジロとリリィを睨む老人は、髭をさする。

「お父さんは武器職人でして、戦争が終わって収入もなくなりました。けどお母さんの功績で王都に住めるって話を。なのに、どうしてか私だけ置いて」

「簡単な話だ、捨てられたに決まってるだろ、リリィ」

 リリィは眉を下げ、瞼を閉ざして俯く。

「睡眠と食事以外、ずっと歌えるなら馬車に乗せてやろう」

「……え?」

「報酬も出す。目的地は仕事を紹介してくれる比較的安全な町だ。そこに行けば金も稼げるし、情報も手に入るだろう。どうせ行く当てないんだろ?」

 リリィは戸惑う。

「歌うだけで、いいんですか?」

「おうさ、好きなだけ歌ってりゃいい。愛の詩をな」

 リリィは、生まれた町も見えない大地を眺めた後、唇をキュッと締めて、頷いた。

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