第8話 奏乃は


 一日が終わるのは早いもので、小南へのアプローチ大作戦を実施していたら授業が終わって放課後になっていた。小南は部活があるし、これ以上しても意味はないことはさすがに分かりきっているので作戦はここで打ち切りだ。

 そもそも。

 小南は最後まで俺の告白を本気で受け取りはしなかっただろうし、結局のところ俺も心の底からの愛を伝えることはできなかった。それを見破られただけなのだろう。好きでもない女の子と付き合うなんて主人公にあるまじき行為だ。危うく、俺はラブコメ主人公の禁忌を犯してしまうところだった。


「もういいの?」


 俺が小南へのアプローチを中止したことを察したのか、帰り支度をした奏乃が俺の机までやってきた。彼女の言うもういいの、が何を指しているのかは聞くまでもなかった。


「ああ」


「結果はどうだった?」


「気になるか?」


「もちだよ」


 バカにしているな、と思いながら奏乃の顔を見ると、そこそこ不安そうな顔をしていて俺は驚いてしまった。


「なんて顔をしてんだよ……」


「だって、美波はいい子だし……もしかしたら恋人同士になったかもって思ってたから」


 唇を尖らせながら言う奏乃はどこか拗ねているようにも見えた。いずれにしても元気がないことは俺にも分かった。


「三度に渡る告白はすべて一蹴されたよ」


 吐き捨てて俺は立ち上がる。


「そんなことより帰ろうぜ。今日は慣れないことをしたから疲れた」


 奏乃が元気ないのは何だか嫌で、モヤモヤとする。そんな様子を見たくなくて俺はさっさと帰ろうと提案した。


「あ、待ってよ遊くん」


 俺を追ってくる奏乃の足音には、少しだけ元気が戻っているような気がした。


「ねえねえ遊くん」


「なに?」


 帰り道を歩きながら適当な会話をする。それはいつもの風景だ。どこにでもあって、いつまでも続くと思えるような日常だった。


「美波がだめだったということだけど、どうするの? 新しい子は探さないの?」


「……んー、まあ、そうだな。誰でもいいわけじゃないし」


 よくよく考えたら彼女なんて焦って作るものでもない。それに、振られてちょっとヒートアップしていたけれど、由衣香ちゃんを超える女の子と付き合うことなどできるのだろうか、いいやできない。ただでさえ、その程度の確率なのだから急げば得るものも得られないかもしれない。


「そっか、そっか……まあ、それならそれでいっか」


「なんだよ?」


 意味深な頷きを見せる奏乃に俺は不審な視線を向ける。


「いやあ、何ていうかわたしも彼氏とか欲しくなったなあと思ってね! 今わたしフリーだし? どこかにいい男いないかなあとか思っちゃって!」


「今はフリーって、お前彼氏いたことないだろ?」


「な、ない……けども!」


 顔を赤くして、強がろうとでもしたのか強かった口調は徐々にその強さを失っていた。ぶつぶつと呟きながら、俺の方を恨めしそうに見る。


「彼氏、ねえ。誰か紹介してやろうか」


 言いながら、俺はスマホの電話帳を眺める。紹介できるほど知り合いもいないのだけれど、その数少ない友達の中から奏乃に見合う野郎なんて存在するのだろうか。


「むうー」


「……なに?」


「なんでそういう風に捉えちゃうかなあ。あれだね、遊くんはもっと恋愛の教科書を読んだ方がいいと思うよ」


「何だよ恋愛の教科書って……言っとくけど、少女漫画もラブコメラノベもギャルゲも一通り嗜んでるからな? それなりに恋愛の知識はあるはずだぞ」


「データだけ仕入れても、実践しなければ何の意味もないんだよ」


「ぐぬ……」


 正論だ。

 現に、彼女ができたとき、俺の中にあった知識はそれほど役には立たなかった。本番になったとき、頭の中は真っ白になってどうしていいのか分からなくなる。

 そうか、俺に足りなかったのは経験値なのか。


「ということは、恋人は作れないまでもデートの練習くらいはした方がいいのか」


「悪くない発想だね」


「んー……小南、それくらいなら付き合ってくれるかなー」


「そうじゃなくてっ!」


 俺が悩んでいると、奏乃がしびれを切らしたように声を荒げた。


「なんだよ、突然大きな声出して……」


「なんでわからないかな? あれなの? 遊くんは鈍感系の主人公なのかな? え、なんだって? とか言っちゃうタイプの主人公なのかな。ラブコメの難聴系主人公は嫌われるんだよ!」


「急にどうした」


「ラブコメの主人公っていうのは一途で! 行動力があって! 相手の気持ちに敏感であるべきなんだよ!」


「奏乃?」


「だというのに! 遊くんはそういうところ全く主人公じゃないし、挙句の果てに彼女とか作っちゃうし! メインヒロイン差し置いて他のヒロインに目移りするとかマガジンか! 週刊少年マガジンのラブコメか! ドロドロ展開はいらないんだよう!」


「落ち着け奏乃……」


「今流行っているのは一途系ラブコメ! ハーレムとかそういうのはもう古いんだ! 遊くんの持ってる漫画だってそういうの多いでしょ? メインヒロインっていうのは不動のポジションなの! どれだけ他の女の子がいても最終的にはその子の元に帰ってくるの!」


「……どうした」


「だから! 遊くんもメインヒロインの元へ帰るべきなんだよ!」


「言ってることがもうめちゃくちゃだ」


 ヒートアップした奏乃がひとしきり言った後、はあはあと息を切らしていたので整えさせる。ずいぶんと激しく発言していたので俺はそれに入ることもできなかった。すごい勢いだった。


「つまりどういうことなの?」


 ようやく落ち着いた奏乃に、俺が静かに尋ねる。

 奏乃は難しい顔をして唸りながら、暫し何かを考えていた。


「遊くんの理想のヒロインが近くにいるっていうことで!」


「それは昨日聞いたって……誰だって言うんだよ、小南は違うし、他に誰かいたっけな……佐藤か? いや、あいつそんな仲良くないしな」


 ヒントが微妙に分かりづらいんだよなあ。もっと確信に迫る何かを言ってくれればいいのに。引き伸ばしは読者が最も嫌う展開なんだから。


「だから、そうじゃなくてっ――」


 しびれを切らした奏乃が、再び声を荒げた。

 その顔は、我慢の限界を示しているようで、瞳は潤み揺れていた。今にも泣きそうな顔をしながら、喉の奥に詰まった何かを吐き出そうとしていた。

 そして、奏乃は――。

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