第59話 バク宙

「ミハちゃんはさ、廣瀬君のことどう思う?」


昼休み。


神代晴華は親友である月影美晴と学食に来て、一緒に食事を摂っていた。


その際にこんな質問を投げかけてみたのだが、美晴は特に慌てる様子も見せずに笑みを見せる。


「それは、青八木君が絡んでるってことでいいのかな?」

「あはは、ミハちゃん察し良すぎ~」


注文した豚生姜焼き定食にありつきながら、親友の勘の良さにお見それする晴華。


最近1年Bクラスで、それどころか学年で注目されている事件があった。


同じクラスで男女ともに人気の高い青八木雨竜が、こちらも同じクラスである廣瀬雪矢と仲良くしているというものである。


クラスメートがただ仲良くしているという観点で見れば騒ぐことでもなかったが、廣瀬雪矢もまたちょっとした有名人であった。


基本的に愛想が悪く、常に不機嫌そうな表情をしており、声を掛けると無視されるか鬱陶しそうにあしらわれる。


さらに学校生活での態度もよろしくなく、授業に遅刻したり学校行事をサボったりと先生方も手を焼く始末。その見た目に反してフォローできないほどの問題児だったが、先日の夏休み明けの実力試験で満点を取るという快挙を見せ、教師陣に震撼が走ったらしい。


そしてその日以降から、青八木雨竜と廣瀬雪矢は絡むようになったのだ。正確に言うなら声を掛けるのは雨竜からのみで、他の相手と同様に雪矢も冷たくあしらっているのだが、有効打にはなっておらず何だかんだ付き合っているという図になっている。


「ミハちゃんはさ、席替えする前廣瀬君の後ろの席だったわけじゃない? どんな風に思ってるのかなぁと思って」

「成る程。ちなみに晴華ちゃんはどう思ってるの?」

「うーん、やっぱりちょっと怖いかな」


1学期のとき、晴華は日直だった雪矢に声を掛けた時があったが、かなり冷たく対応されたのを覚えている。はっきり言って、積極的に関わりたいと思ったことはなかったのだが、



「そんなことないんだよ、廣瀬君って実は優しいから」

「へっ?」



美晴からまったく予期していなかった返答をされ、混乱してしまう晴華。


確かに直接関わった機会は少ないが、同じクラスにいて彼を優しいと感じることなんて1度もなかった。どうして美晴は雪矢をそんな風に評価するのか。



「内緒」

「ええなんで!?」



問いかけてみたものの、美晴は口元で指を立てるだけで、その理由を教えてくれなかった。


「私の中の廣瀬君を伝えても、結局晴華ちゃんは納得できないと思うから。それだったら、廣瀬君とちゃんと接して結論出す方が晴華ちゃんらしいかな」

「うーん、そうしたい気持ちはあるんだけどさ」


苦手意識を持ってしまっているせいか、友人ウェルカムの晴華でも雪矢に声を掛けるのは気が進まなかった。


「せめて共通の話題とかあればいいんだけど……」


叶わない願い事でも祈るように晴華が呟いた、丁度その時だった。



「おっ、いたいた」



自分たちの方に向かって歩いてくる2つの影。それがたった今話題になっていた2人だったからこそ、晴華も美晴も驚きを隠せなかった。



「神代晴華、君に頼み事があるんだが」



いつもの仏頂面ではなく、どこか弾んだ声で話し掛けてきたのは、廣瀬雪矢だった。


少し後ろには青八木雨竜の姿も見えているが、どうやら会話に参加する気はないらしい。



「な、何かな?」



突然の展開に声が上擦ってしまう晴華。今までまともに話したことのない相手からの頼み事など本来聞くわけもないのだが、あまりにも堂々と近寄って声を掛けてくる雪矢に若干呑まれていた。


そして、雪矢の口から告げられた頼み事というのが、




「僕にバク宙を見せてくれないか?」

「はい?」




先ほどの美晴との会話以上に予想外のものであり、思考が氷のように固まってしまった。この人は急に何を言ってるんだろうか。



「雨竜から聞いたぞ、君がバク宙できるって。そんな人間間近にいたらそりゃバク宙してもらうってもんだろう、僕バク宙を生で見たことないんだ!」



キラキラと少年のように瞳を輝かせる雪矢。一瞬同じ名前をした別人と思うほど普段と表情が違っており、思わずその面持ちに見とれてしまっていた。


「で、いつ見せてくれるんだ? 可能なら今すぐ見たいんだが」


こちらの心境などまったくお構いなしに雪矢は追撃する。男子からデートの誘いなど様々な頼み事をされることはあったが、バク宙をして欲しいと言われたのはさすがに初めてだった。


「ま、まあそれくらいならいいけど」

「本当か!?」


グッと距離を詰めて表情を綻ばせる雪矢。彼の顔が目と鼻の先にあり、さすがの晴華も照れ臭くなっていた。


「で、でも、あたしスカートだから、今すぐは無理かな」


雪矢から少し離れながら希望に乗れないことを伝える晴華。普段の雪矢とのギャップがありすぎて、いろんな意味で心臓が跳ねる。本気で2重人格を疑うレベルの変化だった。



「くくく馬鹿め、僕が準備を怠っていると思ったか?」



自分の返答が予想通りだったのか、雪矢はニヤつきながらあるものを持っていたカバンから取り出した。



「僕の体操服だ、貸してやるからこの後すぐやって見せてくれ」

「ええ……」



晴華はドン引きしてしまった。ジャケットのような羽織るものならいざ知らず、異性が身につけるものなど借りられるはずがない。それなのにまったく臆することなく言ってくる目の前の男、常識はどこへいってしまっているのか。


「そんな心配するな、洗濯ならちゃんとしてあるから」

「そういう問題じゃないというか、あたしが着ちゃったら廣瀬君この後着られないよね?」


恐る恐る質問を投げかける晴華。これで迷わず着るような発言をしたら危険人物確定だが、


「大丈夫だ、お前が着たら今日の体育は休むから」

「そっち!?」


自分の常識では収まらないことばかり述べられ、晴華の脳はパニックを起こす。


「当たり前だろ、生のバク宙が見られるんだぞ? その為なら体育など切り捨てて問題なし、というか切り捨てたいからさっさと着ろ」


無茶苦茶言われているのはなんとなく理解していたが、難しいことを考えるのは止めたかった。兎にも角にも休憩が欲しかったので、



「……そういうことなら、下だけ借りていい?」



バク宙というイベントをさっさと終わらせる方向に晴華は考えをシフトした。




―*―



「さあ、早速見せてくれ」



晴華と美晴は食事を済ませた後、雪矢と雨竜と一緒に第一体育館に来ていた。先に体育館で遊んでいた生徒たちはその集団に目を奪われるが、雪矢は通常運転だ。



「ロンダートから入って良いかな、そっちの方がやりやすくて」

「ほほう、側方倒立回転とび1/4ひねり後ろ向きか。これは期待ができるな」



ホントに自分と会話してくれているのか疑問を抱きながら、晴華は制服のまま体操服を下だけ身につけ準備に入る。


やったことはあるが久しぶりのバク宙。晴華は軽く深呼吸をしてから駆けだした。


勢いが出てきたら地面に手を着き身体を軽く捻る。


そこから勢いのまま身体を跳ねさせ、空中で1回転してから着地をした。ロンダートからのバク宙、無事成功である。



「すげえええ!!」



一連の動作を決め終わると、雪矢が真っ先に近寄ってきて感想を述べた。


「もともと運動神経には一目置いていたが、まさかここまでとは。あそこまで綺麗に舞えるとは並大抵じゃできん、お見それしたぞ」

「あ、ありがとう」


純度100%の褒め言葉に、晴華は少し照れ臭さを感じながらもお礼を述べた。言葉に白々しさや繕った様子を感じなかったのは久しぶりだった。


「見たか雨竜、これがバク宙だ。貴様じゃ到達できない場所に他の人が居る気分はどうだ?」


そして雪矢は、雨竜に対して煽るように言葉をぶつける。到達できないって何のことだろうと晴華が思っていると、



「いや、バク宙は俺もできるが」



さも当然のように、むしろこの展開を狙っていたかのように雨竜は宣言した。



「はああ!? お前バク宙できるなんて一言も言ってなかっただろ!?」

「そりゃ聞かれなかったからな」

「だったら真っ先に神代晴華の名前を出さずに主張すれば良かっただろうが!」

「いやだって、お前にやらされるの目に見えてたからさ」

「当たり前だろ、僕を謀った罪として今すぐやれ。そして僕ができるよう指導しろ」

「面倒くさ」



さっきまで主役だったはずの晴華は、あっと言う間に蚊帳の外へと弾かれてしまった。もしかして本当に、バク宙をするだけで終わってしまったのだろうか。



「あっ、2人とも帰って良いぞ。雨竜の虚偽報告のせいでこき使ってしまった」

「だから聞かれてないって」



雪矢が右手をブラブラさせて解散の合図を送ってくる。こんなにも雑に扱われることが今まであっただろうか。



「あっ、ちょ、体操服はどうするの!?」



本当にこのまま終わってしまいそうだったので、晴華は急いで借りていた体操服について雪矢に聞いた。雪矢のものとはいえ、返却することに少々抵抗があったのだが、



「それなら捨てるかリサイクルしといてくれ」

「へ?」

「嫌だろ、今後僕がそれ使うの」

「あっ……」



自分の心の内を的確に見通すようにそう言って、今度こそ雪矢は晴華と美晴から距離を取った。



嵐のような出来事。怖いと思っていたクラスメートからバク宙をせがまれ披露したというまとめればシンプルな話だが、感情の起伏は大いにあった。



「晴華ちゃん、どうだった?」



一緒に着いてきてくれていた美晴が、穏やかな笑みを浮かべながら質問してくる。言いたいことはいろいろあったが、真っ先に述べたいことはただ1つ。



「無茶苦茶だった」



こう言わざるを得ない。自分もマイペースだと言われることが多かったが、先ほどの雪矢を見てしまえば自分など存外小粒なのだと実感させられる。あんなに好き放題やって終わり方がこうもあっさりというのはマイペースにもほどがある。



「ただ、怖くなくなったかも」



不機嫌な表情と尖った言葉に恐怖を感じていた晴華だが、今日の雪矢はそこから大きく離れていた。言葉遣いや考え方はおかしいものの、素直にコミュニケーションを取ってくれていたように思う。


そこへいくと、自分に対して一切の遠慮がない雪矢の態度は、それほど悪くないと感じてしまっていた。


そして不意に見せてきた晴華への配慮。大雑把に物事を考えているようで他人に対して気を遣えているのは、何より相手のことを考えて動いている証拠である。



「興味があることだと、あんなにフレンドリーなんだね!」

「あんな楽しそうな廣瀬君、ほとんど見られないからね」

「そっかそっか、廣瀬君ってそんな感じなんだ」



晴華と立ち位置が似ている雨竜が、雪矢と絡み始めた理由を察することができた。独特な癖はあるものの、彼の言葉に嘘や建前がない。当たり障りのない甘言をぶつけられることが多い晴華にとって、雪矢の言動はむしろ望むところだった。



「ミハちゃん! あたし、廣瀬君と仲良くなれるかも!」

「うん。晴華ちゃんならきっとなれるよ」



こうして晴華は決意する。多少鬱陶しがられようとも、雪矢と交流を図ってみることを。


雪矢と過ごすことで、学校生活が今以上に潤うはず。そう考えて行動をすると晴華は決めた。





この時晴華は、ちょうど1年後にその男子を好きになるなど夢にも思っていなかった。

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