第58話 信じられないこと

体育祭が行われていた翌日。


神代晴華は、元恋人である今泉と会う約束をしていた。


先週のデートの件を経て、自分の愚かさに気付いた晴華は、雪矢が家に送ってくれた後、すぐに今泉に別れの連絡を入れていた。


今泉はこれをあっさり了承、それどころかデートでの出来事を何度も謝罪していたのだが、謝罪したかったのは晴華も同じで、こうして顔を合わせる機会を作ったのだった。


「飲み物、オレンジジュースでいい?」

「い、いえ! 自分で払いますから!」

「俺に払わせてよ、今後こんな機会はほとんどないだろうし」


喫茶店で席を取った後にレジに並ぼうとする今泉。晴華も慌てて席を立ったが、あまりに爽やかな笑顔で言ってくるものだから二の句が継げなくなってしまった。


レジで注文している今泉を待ちながら、最初に掛ける言葉を模索する晴華。どういう話をするかは決めていたが、導入をどうするべきかは少し曖昧だった。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます!」


今泉からオレンジジュースを受け取り、早速晴華はストローに口をつけた。店内は快適な温度が保たれていたが、外はまだ暑さが残り、移動をしているときから喉が渇いていた。


コップの中身を半分ほど減らしてから、晴華は今度こそ臨戦態勢に入る。優雅にアイスコーヒーを飲む今泉に目を向けた。


「今泉先輩」

「ん?」

「その、今日までいろいろ、ご迷惑おかけしてすみませんでした」


誠意を込め、頭を下げる晴華。電話では散々伝えていたが、こうして面と向かって謝罪をするのが晴華の望みだった。


「電話でも言ったけどさ、晴華ちゃんが謝るのおかしくない? 元々俺が言い出したことだし」

「でも、結局半年以上何も返せないまま終わってしまいました……」

「それも俺に魅力がないってだけだからな、晴華ちゃんが悪いわけじゃない」

「そんなことないです! 先輩は魅力的な人ですよ!」

「だったら俺ともう1回付き合える?」

「っ!」


そう言われて、晴華は分かりやすく言葉を詰まらせてしまった。


今泉が魅力的であるという言葉に嘘はない。人当たりもよく物知りで、さりげない気配りもできる素敵な男性だと思う。


ただ、恋愛対象として見られるかというと答えはノーだった。恋愛というものを知った今であれば尚更である。


「ゴメンゴメン、ちょっとからかっただけだから。そこまで真に受けないでよ」


どう返答すべきか悩んでいると、今泉が愉快そうに謝罪を入れてきた。


「晴華ちゃんはホント素直だね、もう少しずる賢く生きてもいいと思うけど」


2年人生の先輩からアドバイスをいただくが、何が『ずる賢く生きる』に該当するかよく分からなかった。


「晴華ちゃんが何度も言うから俺も何度も言うけど、ホント気にしないでよ。そこまで申し訳なさそうにされると変に期待しちゃうからさ」

「は、はい……」

「それにさ、なんとなく察してはいたんだ。公園で廣瀬君と会ったときに」

「えっ……」


今泉から雪矢の名前が出てきて、晴華は思わず声を漏らしてしまう。



「実はさ、2人に声を掛ける前に、2人のやり取りを少し見てたんだ」



初めて聞いた話だった。今泉はニコニコしながら話を続ける。



「廣瀬君とやり取りしてる晴華ちゃんってすごく楽しそうで、声を掛けるのマズいんじゃないかって思わされるほどだった。俺と話しててもあそこまでじゃなかったし、正直かなり妬いた。そのせいでこの前のデートでやらかしちゃうんだから救いようがないわけだけど」



「あの時はゴメンね」と謝られ、晴華は大丈夫であることを示すように2回頷く。



当時は自覚もなかったが、端から見てるとそこまで雪矢好き好きオーラが出ていたということなのだろうか。さすがにそれは照れ臭いと晴華は思う。



「彼のこと、好きなんだよね」

「……はい」



今泉に問われ、晴華は隠すことなく肯定した。今日今泉と会ったら話そうと思っていた今の心境についてだ。



「好きです、大好きです。頭の中からずっと離れないくらい」



神代晴華は廣瀬雪矢に恋をした。それを自覚した今では、はっきりと自分の気持ちを伝えることができる。



相手のことを考えているだけでこんなにも幸せだなんて、恋愛というものの魔力は本当に恐ろしい。



「はは、ホント廣瀬君が羨ましいよ」



あまりにも剛速球で気持ちを伝えたせいか、今泉も雪矢を妬ましく思う気持ちを正直に吐露した。



ただ、それはあくまで最初の一言で、



「まあ、晴華ちゃんが幸せになってくれればそれでいいんだけどさ」



そう言って、少し遠い目をしてからコーヒーカップに手を掛けた。



今泉の中では自分の想い人の幸せなラブストーリー開幕しているのかもしれないが、晴華としても言いにくいながらに伝えなくてはいけないことがある。



「そうなりたいのはやまやまなんですが、あたしフラれちゃったんですよね」



あまり雰囲気が暗くならないよう後頭部を搔きながら笑って伝える晴華。全てをちゃんと伝えると決めた以上、勘違いしたまま帰っていただくわけにはいかない。



「そっか、フラれちゃったかぁ………………………………えっフラれた!!!!?」

「ちょ先輩! コーヒー零れてます!」

「うわっヤバっ!!」



テーブルに零れたコーヒーを拭きながらも、今泉は狼狽を隠せていない様子。そんなにおかしなことを言っただろうか。



「ゴメン、言いにくいこともう1回聞くけど、晴華ちゃんフラれたの?」

「はい」

「振ったんじゃなくて?」

「はい、割とはっきり」

「うへぇ……」



らしくない奇声を漏らしながら、椅子の腰掛けにだらしなく寄りかかる今泉。それほどまでに晴華がフラれたことに納得がいってないようだ。



「晴華ちゃんがフラれるなんて、天地がひっくり返ってもないと思ってたよ」

「いやいや、何を大袈裟なこと言ってるんですか」

「割と本気だけどな。フラれたこと、晴華ちゃんは納得してるの?」

「はい、理由をちゃんと言ってくれましたし」



今の心境を今泉に伝えるつもりだったが、雪矢にフラれた理由だけはさすがに自分の胸の内にしまって置こうと思う。理由を聞いて責任を感じてほしくはないからだ。



「ただまあ、諦めてはないですけど」



晴華は胸の前で両拳を軽く握って主張する。



「多分ユッキー、まだ好きな人がいるってわけじゃなさそうだから、チャンスはあると思ってます。初恋ですから、どうせ散るならやること全部やってから潔く散ります」



「いや、散るつもりはないんですけど」と付け足してから、晴華は笑う。好きな相手にフラれているというのに、全然気持ちが落ち込んでいない。むしろこれからやってやるという気持ちに溢れている。全ては昨日、前向きな気持ちのまま雪矢と別れることができたからであろう。本当に、どこまでも人に甘くて、どこまでも人の心を掴んで放さない人だ。



「ああああああ!! 廣瀬君が憎い!!」

「あはは」



先ほど以上に気持ちをぶっちゃける今泉を見て、思わず吹き出してしまう晴華。こんなに面白い人だったのかと思う反面、今泉を面白くしているのは雪矢の存在なのだと、盲目的な想いが膨れ上がってしまう。



明日は体育祭の振替休日。本来なら平日に休める喜びを享受する日なのだが。



「……早く会いたいな」



晴華は、次の登校日が待ち遠しくて仕方がないのであった。

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