第55話 恋愛観

「……っ」


晴華は、すぐに返答することができなかった。


受け入れられないことは分かっていた。雪矢が自分に対して恋愛感情を抱いていないのは分かっていたし、都合のいい返答が来るとは思っていなかった。


ただ、それでも雪矢の返答は自分の想定と異なるものがあった。


「……聞いても、いいかな?」

「……僕に答えられることなら」

「今の返答は、あたしを恋愛対象として見られないって意味でいいの?」

「……そうだ」

「それは、どうして? 今すぐ見られないのは分かってる、あたしだってそこまで傲慢じゃない。これからのあたしを見て、ちょっとずつでも意識してもらえたらって、そう思って……」

「……」

「梅雨ちゃんのこと、ユッキーは保留にしてるんだよね? ど、どうしてあたしは、ダメなのかな?」


晴華が聞きたいのはまさにその1点だった。


1学期の期末テスト前の勉強合宿の際、雨竜の妹である梅雨が雪矢に想いを伝え、保留になっていることを晴華は知っていた。現状は雪矢から恋愛対象として見られないのは理解しているから、雪矢の中で明確な気持ちが固まるまでは答えを出さないで欲しいと梅雨は言っていた。だから自分も、そういう扱いになるのかと思っていた。



しかし現実は、恋愛対象にすら見られないという返答。



「……お前にとって、キツい話になると思うぞ?」

「それでもいい。ちゃんと聞きたい」



どこか縋るような瞳で雪矢を射貫く晴華。雪矢の話を聞いて改善出来る要素があるならばすぐにでも実行に移したい。



ダメだと言われて断ち切れるほど、ここまで膨れあがった想いは小さくない。



「分かった。それならまず、僕の恋愛観について話をさせてくれ」



恋愛観という言葉に僅かな引っかかりを覚えながらも、晴華は雪矢に続きを話すよう促した。


好みのタイプとかそういうものではなく、恋愛観。雪矢が恋愛をどういうものだと捉え、どうあるべきだと考えているか。断られてしまった理由とは別に、興味の引かれる内容だ。



「僕は、中学の時にいろいろあってな、人との関わりを明確に避けてきた。父さんの言葉がなければもっと極端だっただろうな、きっとお前らとも豪林寺先輩とも交流はしていない。まあ、今はそんな風に思っていないが」



何点か深掘りしたい内容はあったが、今はグッと堪える晴華。



雪矢が言ったように、1年前の雪矢は話し掛けてくる相手全てに噛みつくような人間だった。委員長である出雲との言い合いはクラスの名物になりかねないほど多発していたように思う。雨竜が雪矢に絡み出してからある程度緩和されたが、それでも雪矢から交流したいという意はまったく感じられなかった。



「その時の影響だろうな。友人という関係を嫌悪していた僕にとって、恋人なんて以ての外。一生関わりを持たない、関わりを持つことが出来ない、ある意味神格化されたものだ。両親が恋愛らしい恋愛をしないまま結婚してるせいで、余計に手に届かないものだという認識が強くなってた」



事務的に機械的に、雪矢は自分の過去と恋愛観について語っていく。友人関係を嫌悪していたなど今となっては考えられないが、その言葉が嘘でないのは晴華自身の目で見てきている。心境の変化があったのか、今は雪矢と仲良く過ごせていることを心から幸せに思う。



「だからこそ、僕にとっての恋愛は、一生に1度あるかないか、それほど崖っぷちのもの。1度掴んだものを放ってしまえば2度と得ることはできない。1度選んだ相手とは絶対に添い遂げる覚悟で付き合っていく、相手にも同じことを求める。それ以外のことは何1つ考えていない、それが僕の恋愛観」



雪矢の恋愛観を聞き終えた晴華は、最初どうして自分が断られたか分からなかった。



雪矢の恋愛観に不思議なことはない。ちょっと試しに付き合ってみるという学生での恋愛には一切興味がなく、付き合った以上は一生仲良く過ごしていくべきだと考えている、ということだろう。



その考え方は否定するどころか好意的に捉えることができる。自分だって、好きな人とゴールインするまで付き合っていきたいと思う。いろんな恋愛を経験してより良い相手を探していきたいなどとは考えない。



であるなら、どうして自分は断られてしまったのか。



「……あっ」



そして晴華は、ようやく気付いてしまう。自分が行った取り返しの付かない失態について。雪矢が自分の恋愛観を語った理由について。





「――――だから僕は、好きでもない男と付き合ってしまう女のことを、恋愛対象として見られない」





雪矢が晴華にとってキツい話になると言った理由が分かった。



改善する余地がない話、全ては過去に起きてしまった事実。聞いたところで、晴華にはどうすることもできない内容だったのだ。



「……そっか」



晴華は、自分が今泉と仮で付き合うことになったと話したとき、雪矢に止められたのを思い出す。あの時は雪矢にとって雨竜の恋人候補である自分が誰かと付き合ってしまうのを止めさせたいだけなのかと思っていたが、そもそもの話、雪矢の恋愛観として納得がいっていなかったということなのだろう。



「ねえユッキー」



恋愛対象として見られない、その理由に納得する。だからこそ、意味のない仮定の話をすることにした。



「もしあたしが、ユッキーの言葉を聞いて今泉先輩と別れてたら、ユッキーの恋愛対象になれてたのかな?」

「……そうだな、そんな過去があったなら、僕も今すぐ結論は出さなかっただろうな」

「そっかぁ……」



泣きそうになった。溢れ出る感情が涙に変わっていくのを、すんでのところで堪えた。



自業自得と言われればそれまでだが、あの時はぶっきらぼうで素直じゃない正直者相手に恋をするなんて思っていなかった。



それが分かっていたなら、自分は間違いなく、あの時の雪矢の言葉を聞き入れていたのだから。



「言っておくが、女子としての晴華を否定しているつもりはない。お前は綺麗だし素直だし愛嬌もある、何より僕なんかと積極的に交流してくれた人間だ。自分が十二分に魅力的であると、自信を持っていいんだ」



そして雪矢は、いつまでも優しい。何も言えなくなっている自分に対して、すかさずフォローを入れてくれる。雪矢自身、心に余裕がある状況ではないはずなのに。



何をしているんだ自分は。自分から勝手に全てを始めて、自分から勝手に傷つくなんてふざけている。ましてや自分の好きな人を苦しめているこの状況で何も言えないなんて、ふざけているにも程がある。



「馬鹿だなぁユッキーは。その自信、ユッキーに対して効果がないと意味ないんだけど」



だから晴華は泣きたいのを堪えて雪矢に笑って見せた。いつもの『神代晴華』を見せて、雪矢に少しでも安心してもらう。



「それにねユッキー、あたしはまだ諦めてないよ?」

「えっ?」



厳しい言葉を並べた雪矢にとって予想外だったのか、驚いたように目を丸くする。



「ユッキーさ、あたしたちと仲良くなるの最初は拒んでたのに、今は受け入れてくれてるでしょ?」

「……そうだな」

「だったら、あたしが頑張ったら、ユッキーの恋愛観が変わるかもしれないよね?」

「それは、確かに今どうこう言えることじゃないな」

「でしょ? だったら、あたしにだってまだチャンスはあると思うんだ」



これは本音、雪矢を安心させるためにただ明るく振る舞っているわけじゃない。



そう簡単に諦められるほど、芽生えた感情は小さくはないのだ。だから、少しでも可能性を感じたなら、泥臭くてもそれに縋りたいと思う。



「だから、もう少しだけユッキーのこと好きでいてもいい?」



こんな内容、本来相手に聞くことではない。感情のコントロールなど容易くできるものではないし、ダメだと言われてもその日から感情を封鎖することはできないだろう。



それでも聞いたのは、先ほどの返答とは違い、答えが分かり切っているから。




「すぐに愛想尽かすことになると思うぞ」

「あはは、だったらこんなこと聞かないってば」




相も変わらぬ捻くれた優しさに、晴華は今度こそ繕わず笑うことができた。




恋愛に悩まされ普通を求め続けた少女の普通じゃない初恋は、当たり前のように当たり前じゃないことを行う普通じゃない少年の断りによって、1度ピリオドを迎えるのであった。

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