第9話 言質

「まったくないな」


あっけらかんと即答すると、晴華は芸人のように椅子から転げ落ちそうになった。


「な、ないの?」

「あるわけないだろ、お前は青八木雨竜を知らないのか?」

「知ってるに決まってるけど、ホントに?」

「疑り深い奴だな。蟻といい世界遺産といい僕は散々アイツに煮え湯を飲まされてるんだぞ?」

「何その2つ、まったく共通点が分かんないんだけど」


共通点だと? 僕の好きだったものたちだよ! そして雨竜に汚され散っていったものだ! 最近ではマンガもけちょんけちょんにされているし、勝とうって考える方が間違ってる。


「でも、ユッキー1回ウルルンに勝ってるじゃん」

「はっ、何が?」

「去年の実力テスト、ユッキーが1位だったでしょ?」

「またその話か」


いい加減嫌になってくるな、過去の業績なんて僕にとってはまったく意味なんてないのに。持続してるならいざ知らず、僕の頭の中はからっぽなんだぞ。


「あの時僕は相対評価なんてどうでも良かったんだよ、自分が490点以上獲得できれば。結果として雨竜には勝ったが戦ったつもりはない、戦ってないのに勝利も敗北もない。そういうことだ」

「……よく分からないけど、ユッキーはウルルンに勝ったつもりはないってこと?」


頷くと、晴華の表情に陰が差す。どうしてそんなことを気にするか理解できなかったが、晴華はゆっくりと自分の思いの丈を語った。


「あたしさ、ウルルンに勝ったことないんだ」


それはある意味当たり前のことなのに、本人は納得しているようには思えなかった。


「勉強は勿論なんだけど、得意な運動ですら勝ったことない。バスケ以外でも挑んではみるんだけど、全戦全敗なんだよね」

「それはしょうがないだろ、だってお前は」

「女だから? そんなの負けの理由にならないよ」


いつもより少し低い声に僕は反応が遅れてしまう。


晴華はそう言うが、男女の差はそうそう覆せるものではない。第二次性徴を迎える前の小学生ではないのだ、一般男子でも厳しいというのに相手が雨竜なら尚更勝利は難しいだろう。ここで容易に晴華が勝てるなら、スポーツが男女別である必要はないのである。


「だからさ、少しでもチャンスがあればウルルンに挑みたいの。今回の体育祭だって、ウルルンと別の団になったわけだし」

「いや、種目は基本男女別だろ、全員参加のもの以外は」

「うん、基本はね。でも1つだけ、ちゃんとウルルンと戦える舞台があるんだ」


そう言って、晴華は人差し指を立てた。


「男女混合二人三脚50メートル走。これなら、同じ土俵でウルルンと戦えるでしょ?」

「成る程、そんな競技があったのか」


玉入れや綱引きみたいな人数が多くて個人の成果が分かりづらい競技ではなく、ほぼお互いの実力が勝敗を分ける競技。晴華はそこに焦点を当てたわけだ。


となれば、作戦会議の内容も判断できるというもの。


「となると、ウルルンに対抗できる相棒を選ばないといけないんだけど」

「僕なら参加しないぞ」

「えっ!?」


先手を切って宣言すると、晴華は今までよりワントーン大きい声を上げた。


「いや、なんで僕が出ると思ったんだよ。メリットがないだろ」


晴華と体育祭で二人三脚なんてしたら穏やかな生活どころではない、僕の平穏を天秤に掛けるには旨みがなさ過ぎる。


「で、でも、ウルルンに勝てるかもしれないわけで」

「そんなことに興味はない。だいたい、勝ちたいならもっと運動できる相手にしろよ」

「ユッキーだって運動神経いいでしょ、球技大会見てたんだから」

「だとしても僕より優秀な奴は居る。そいつらを選ばない理由は何だ?」

「……うまく言えないけど、ユッキーと組んだらウルルンに勝てそうな気がして」

「話にならんな」


そんな抽象的な理由で雨竜と戦うなんてゴメンだ。そもそもアイツが二人三脚に出るかどうかも分かっていないんだ、こっちが準備してアイツが参加しなかったらとんだお笑い草である。


「別の相方を見つけることだな、それくらいなら僕も協力してやる」


悔しそうに唇を噛む晴華を見て、作戦会議は終了だと感じた。僕は立ち上がって保健室の出入り口へと向かう。さて、これからどうするか。中庭探索をしたいところだが、まだ外は暑いし図書室がベストチョイスかな。



「――――――く」



椅子と床がこすれる音に振り返ると、立ち上がっていた晴華が僕に向かって視線を送ってきた。


どこか弱々しく、それでも決意に満ちた表情で、神代晴華は確かに言った。



「ウルルンに勝てたら何でもいうこと聞く、って言ったらどうする?」



その瞬間、僕は間違いなく世界の誰よりも速かった。たった数メートルの距離、されど数メートルの距離。僕は時など刻ませる前に晴華の前に移動した。


「今お前、何でもいうこと聞くって言ったか?」

「う、うん、でも1回だけだよ!?」

「回数なんて瑣末な問題だ。あの神代晴華が、何でもいうことを聞くと言っているんだ。その言葉に偽りはないな?」

「も、もちろん、それでウルルンに勝てるなら!」

「成る程。つまりお前は、僕に胸を触らせろと言われたとしても、決して非難することなく、周りにも合法性を説いた上で了承する心づもりと認識していいんだな?」

「……っ!」


神代晴華はショートする。己の浅はかさを自覚して、少しずつ確実に顔を紅潮させる。


僕を引き留める為とはいえとんでもない爆弾発言、しかも僕にはほとんどデメリットはない。晴華と二人三脚しているのを大衆に見られるのは痛いが、メリットで充分お釣りが来てしまう。


晴華は潤んだ瞳を右に彷徨わせ、次に左へ移動させる。何だか僕が苛めているように見えるが、墓穴を掘ったのは晴華自身だ。


さて、回答をいただこうか。今なら取り消すことを許可しないこともないのだが。



「……そ、それで、ウルルンに勝てるなら……」



言った。間違いなくコイツは了承した。あれだけ非道なことを言ったのに、それでも晴華は曲げなかった。全ては、僕と組んで雨竜に勝利するため。


だが約束は約束である。僕は一部始終を冷静に見ておられた名誉保健委員に話し掛ける。


「美晴さんや、今聞いてましたな? 我、言質を取ったと認識しても構いませんな?」

「聞いてたは聞いてたけど、随分ハードな要求だね」

「当たり前だろ、後からそんなの受け付けないなんて言われたら頑張る意味がない」


だから1番最初に要求を伝えた。それくらいハードなものがきても受け入れなければいけないという指標は作った、後は雨竜に勝つだけである。


「さあ晴華、早速練習に入ろうじゃないか。雨竜に勝つなんて尋常なことじゃない、こんなところで油売ってる暇なんてないぞ!」

「うう、こんな爽やかなのユッキーじゃないよ……」


悪口かな? でも寛大な僕は許しちゃうよ!!

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