第14話 謝罪

月影美晴と別れた後、僕は急いで茶道室へ向かった。


茶道室は理科室や家庭科室といった特別活動室と並んで位置するため、この辺りは昼休みになるとほとんど人気がない。本当にこんなところにいるのかという不安が過ぎってくるが、そりゃ茶道室に居たら廊下にはいないだろうと一旦冷静になる。落ち着け僕、話す前からテンパっててどうする。


「すう、はあ」


ゆっくりと深呼吸をする。やること自体は簡単、誠意をもって謝るだけ。後は桐田朱里の反応を見て、どうしたら許してもらえるか考える。


ややこしいことは一旦放置、まずはやるべきことをやるんだ。


「桐田朱里はいるか?」


僕は茶道室の扉を開けながら、中の様子を窺った。


「っ!?」


桐田朱里は居た。弁当を片手に、綺麗な姿勢で2人の後輩と一緒に食事を摂っていた。


だが、僕を見て顔色があからさまに変わる。にこやかだった表情が一転、苦手な昆虫を間近で見たかのように眉尻を下げた。


桐田朱里の表情の変化はともかく、僕はホッとする。ここに居なかったら、出遅れた売店や食堂を捜すハメになったからな。


「食事中にすまん、話があるんだがいいか?」


桐田朱里を見てから、見覚えのある後輩たちに目を向ける。後輩たちは「どうぞどうぞ」と言わんばかりに桐田朱里に手を向けた。後は本人がよければ問題はないのだが……


「……」


すると桐田朱里は、その場でスッと立ち上がると、こちらの方に向けて歩いてくる。席を外すために内履きを履くのを見て、会話に応じてくれるものだと勝手に判断した。


だが、彼女は一切僕と目を合わそうとしない。最初に驚いた顔を見せてからずっと俯いたままだ。


こういう姿を見るとますます罪悪感に苛まれるが、それを悔やんでも仕方がない。覆水盆に返らず、今はこの状況を改善することに注力すべきだ。


茶道室に静寂が生まれる。桐田朱里の一挙手一投足に目を奪われ、僕も後輩たちも何も言えないでいる。


ようやく内履きを履き終え、僕と会話をしてくれるのかと思いきや、桐田朱里は僕の横を通って茶道室を出る。


無視されたのかと思ったが、後輩たちに聞かせる話じゃないと我に返る。場所を移そうとする桐田朱里の後を追おうとして――――――緊急事態が発生した。


「っ!」

「えっ?」


一瞬立ち止まったかと思うと、桐田朱里は廊下を駆け出し逃走した。


「ちょ、ちょっと待った!」


突然のことで呆気に取られていたが、すぐさま彼女の背中を追う僕。随分すんなりと移動してくれると思っていたけど、まさか逃げ出すためだったとは。せめて弁当は片付けてからにしろよ。


唐突に始まった桐田朱里との鬼ごっこだが、数十秒と保たずに終わりが来る。相手が神代晴華や名取真宵ならいざ知らず、女子との走力の差など比べるまでもない。それほど足が速くない僕でも、あっさり彼女の手を取ることができた。


「だから待てって!」

「やだ! 離して!」


強い抵抗を見せる桐田朱里に圧されながらも、僕は掴んだ手を離さない。人気のないフロアで良かった、これが教室の前なら完全に事案である。


「話があるって言っただろ!?」

「やだ! 聞かない! 聞きたくない!」


駄々っ子のように首と手を振る桐田朱里。


もしかして、また僕が罵倒すると思ってるんだろうか。それが聞きたくないから、こうして逃走しようとしているのだろうか。


だとしたら少しカチンとくる。仮に僕が怒っていても、わざわざ食事中の相手を捜してまで罵倒する暇なんてない。そんなことするくらいなら、校庭脇の草むらで四葉のクローバーを探していた方がよっぽど建設的だ。


だが、こんな風に思わせてしまった僕に原因がある。僕があんなことを言ったから、桐田朱里はこうまで強く僕を拒絶するのだ。


だったらまず、その思考回路を正さなければならない。僕は端的に、今日の目的を告げた。



「この前のこと、謝りに来たんだ!」

「っ……!」



桐田朱里の動きが、ピクリと止まる。先ほどからまったく合わせようとしなかった顔を、壊れかけのロボットのように僕に向けた。


困惑で満ちた表情。その瞳には、今にも溢れ出しそうな程に水が溜まっていた。


「……謝る?」

「……そうだ」


ようやく話ができそうだと思った僕は、桐田朱里の手を解放してしっかりと向き合う。


今の様子を見ただけでも、彼女がどれだけ傷ついたか容易にくみ取ることができる。


だから僕は、少しでもその気持ちに折り合いが付くよう、彼女に向けて頭を下げた。


「勉強合宿でのこと、本当に悪かった。酷いことを言ってお前を傷つけた、反省している」



『ホントはお前――――付き合えるなら誰でもいいって思ってるんじゃないか?』


『競争率の高い雨竜は狙いたいけど、付き合えるかどうかなんて分からない。だから今のうちに、近くにいる僕に粉をかけとこうって算段なわけだ』



本当に酷い言葉だ。あの時の桐田朱里のショックを受けた顔はずっと忘れることはできないだろう。


冷静に考えれば、彼女がそんな悪女のような真似をするわけがないって分かるはず。


なのに僕は、向けられた好意に怖がって暴言を放った。自分の経験にかこつけて、彼女を思いきり傷つけた。


そのことを謝らなければいけないと、心の底から思った。


「すぐに許してもらえると思ってない。嫌われても仕方ないと思ってる。でも」


頭を下げたまま、僕はみっともないことを口にする。


「でももし、お前が僕を許してもいいって思えたら、その時はまた、今までみたいに……」


自分でも歯切れの悪いことを言ったと自覚する。びっくりするくらい上手く言葉にできなかった。僕はこんなにも口下手だっただろうか。


しかしながら、伝えたいことは伝えた。謝罪はしたし、その後の僕の希望も伝えた。後は桐田朱里の返答を聞くだけなのだが、


「…………」


数秒経っても、彼女からの返答が来ない。イエスもノーもなく、ただひたすら無言。


なので僕はずっと頭を下げたままなわけで、さすがにこの状況に堪えられなくなってきた。顔を見られれば考えてることは分かりそうな気はするし、一旦そうしよう。



僕は桐田朱里の様子を窺うようにゆっくりと顔を上げて――――思わず息を呑む。



桐田朱里は、スカートの裾を震える手で掴みながら、涙をポロポロと流していた。

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