第40話 今宵の舞
「違う。もっと早く動かすんだ」
「っいた!」
「いきなりは厳しいか。まずはゆっくり動いて、慣れてきたら徐々にスピード上げるぞ」
「ご、ごめんね。私、こういうの経験なくて」
「僕だってないさ。見よう見まねでやってみるしかないだろう」
「うん、ありがとう廣瀬君」
「何を言うか、礼を言いたいのは僕だ。良い思いをさせてもらってるのはこっちだからな」
「そ、そうかな?」
僕は不安げに瞳を揺らす桐田朱里に笑みを向けた。
「『恋するシュリちゃん』が三次元に飛び出すんだ、これ以上の興奮があるわけないだろ」
「あは、あはは……」
なんだその微妙な引き笑いは。僕の熱量に感動していたんじゃないのか。
戸惑ったような笑い声を上げる桐田朱里に不審を抱きつつも、僕は動画を見ながらダンスの指導に注力する。
現在僕と桐田朱里がいるのは、1階にある今回誰も利用していない空き部屋の1つである。
桐田朱里から先ほど『恋するシュリちゃん』のダンスを教えてほしいと言われ、各々が勉強に注力している中、今に至るというわけだ。
とはいえ、どちらかの部屋で練習していると、参考書などを取りに来た誰かと遭遇していろいろ言われる可能性があるので、こっそり空き部屋に移動した次第である。
ノートパソコンを起動し、動画を見ながら指導すること約10分経過するが、桐田朱里は振付けを覚えるのに難航していた。
「今更だが、服装変えた方がよくないか?」
僕と同様に、桐田朱里は先ほどの旅館で借りた浴衣を身につけており、足を動かすには少々窮屈に見えた。盆踊りならこれでもいいのだろうが。
「確かに、ちょっと動きづらいし変えた方が……」
そこまで言って、何かを考え込むように口元に手を当てる桐田朱里。1度こちらに視線を向けると、膝下まできている浴衣を持ち、膝の上までめくり上げた。
制服のスカート丈とそれほど変わらないはずだが、浴衣の希少性も相まってほんのり艶めかしさが内包されている。一言で言うならなんかエロい。
「こ、これならどうかな?」
「いや、お前が良いならいいんじゃないか?」
自分でやっておきながら、桐田朱里の顔は真っ赤に染まっていた。そりゃいきなり足元を露出させれば恥ずかしいかもしれないが、それなら素直に着替えてくればいいだろうに。固定している訳じゃないから、踊っているうちにずり落ちてきそうなものだが。
「あっ……」
僕の返答を聞いて、何故だか嬉しそうに表情を緩める彼女。特別なことを言ったつもりはないが、明らかに先程までとは違う反応だ。
「どうした急に?」
質問すると、桐田朱里は首を軽く左右に振った。
「ううん。廣瀬君が、私のこと『お前』って呼んだなと思って」
「はっ?」
答えが返ってきたはずなのに、僕の頭はますます混乱した。それの何が嬉しいのだろうかと思っていると、桐田朱里は少し慌てたように補足する。
「ほ、ほら! 廣瀬君と初めて話した時って『君』って呼ばれてたから! 今は呼び方変わったから!」
「うーん、よく分からん。君よりお前って言われる方がいいのか?」
一般的にお前という表現は乱暴というか失礼というか、あまり良い意味では捉えられない印象がある。正直、桐田朱里が『お前』を喜ぶ意味が理解できなかったのだが、
「……うん。そう呼ばれる方が、前より親しい気がするし」
声のボリュームを落としながらもはっきり主張する彼女を見て、そういう考え方もできると少し納得する。乱暴や失礼なのは、気安さの裏返しと言いたいのだろうか。僕にそういうつもりはなかったが、桐田朱里の呼び方が変わっているのも確かである。
「というか、僕のことはどうでもいいだろ。それより雨竜の件だよ。お前、今日全然雨竜と話してないじゃないか」
桐田朱里と2人で話す機会がなかったので指摘できなかったが、結局彼女が雨竜に勉強の質問をすることはなかった。そりゃ蘭童殿と名取真宵に阻まれてしまって難しかったのかもしれないが、多少の積極性があればその中に食い込むことはできたはずだ。客観的に見て、桐田朱里からそういった意志は感じられなかった。
「分野的にも、美晴ちゃんに聞く方がいいと思って」
「それはそうだが、そんなこと言ってたら蘭童殿たちに遅れを取るぞ? それでいいのか?」
僕としては、雨竜に恋人が出来るまで、誰にも気を抜いて欲しくない。雨竜などという大物を捕まえようというなら、ライバル同士で高め合う必要があると思っているからだ。
そこからあぶれそうになっているというなら、僕は全力でフォローしてやりたい。全ては僕の平穏のため。貴重な学校生活を心穏やかに過ごすため。
「――――うん、それでいいのかもしれない」
「……何?」
発破をかけるつもりだったのに、予想外の返答がきて僕は焦る。
それでいいって、つまり雨竜のことを諦めるということだろうか。僕が何度も煽るようなことを言ったから、諦めざるを得ないと思ったのだろうか。
「ちょ、ちょっと待って!」
僕のせいだと言うなら、すぐさまフォローに入らなければならない。僕は急いで言葉を紡ぐ。
「見て分かるとおり、あの馬鹿は鉄壁だ。そう簡単に誰かに落とされるような奴じゃない」
説明しながら、少しずつ悲しくなってきた。本音で言えばさっさと誰かに傾いて欲しいのだが、現実は今し方述べた通りである。
「だからまあ、慎重に進める奴が居たって良いわけで、むしろグイグイ来られるよりそういった奴の方が好みかもしれないわけで」
「……ふふ」
僕が俯く桐田朱里に身振り手振りで話を進めると、安堵するかのような笑い声が聞こえてきた。
発信源は勿論、目の前の女である。
「な、なんだ急に」
「……やっぱり、廣瀬君は優しいなって思って」
意味が分からなかった。雨竜の件で追い詰めようとしている僕がどうして優しい人間扱いされるのか。そんなことを不思議に思っていると、
「……廣瀬君はさ、好きな人っているの?」
桐田朱里は、少し屈んで上目遣いのまま僕に質問を投げかけた。
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