第61話 間違いなく恋
月曜日の朝、僕は完全に清らかな身となって学校へ向かっていた。
金曜日から土曜日朝にかけての事件を踏まえ、己を鍛えなおす必要があると感じた僕は、滝行へと出向くことを決意した。今月のお小遣いと名取真宵からの臨時収入で何とか体験できることが分かったのだが、休日なのに当日の参加者は僕だけだった。
インストラクターの方から「まさか梅雨真っ盛りの時期にいらっしゃるとは」と苦笑されていたが、僕はいろんな意味で梅雨真っ盛りだったのでどうしても滝に打たれたかった。土曜日が晴れていたので油断したが、まあ雨の中での滝行というのもなかなか乙なものだったと思う。1つ言えることは、あれを冬に経験したら確実に死ねる。
何はともあれ、煩悩をそぎ落とした僕はこの世に生を受けた赤ちゃんそのもの。穢れを知らないニュー雪矢君として僕は生まれ変わった。これからの僕は憲法第九条に則り、平和な国日本の一市民として汗を流していきたいと思います。
「おっす雪矢」
学校に着き教室に入ると、僕の隣の席に座る爽やかな美少年が右手を挙げて声をかけてきました。気安くも嫌みのない挨拶を受け、僕も笑顔を浮かべます。
「やあ雨竜君、15分以上も前に登校だなんて感心するよ」
「はっ?」
おかしいですね、僕の爽やか返しに雨竜君は怪訝そうな表情を浮かべています。心地よい朝にこんな表情は似合いません。外は真っ暗の土砂降りですが。
「どうしたんだい雨竜君、せっかくの容姿が台無しじゃないか」
「いやいや、お前こそどうした? また何かのドラマにでも影響されたのか?」
「何を仰っているのやら、僕は元々こうだったじゃないか」
「……自覚していないとなると、変なものを拾い食いして脳がやられてしまったパターンか」
随分酷いことを言われているような気がしますが、僕は全てを許します。この程度で怒ることはありません。怒りは時に行動の原動力となりますが、良い結果を生むことはないのです。
それが分かったなら、皆さん笑いましょう。笑って環境を整えましょう。平和の先に笑顔があるのなら、笑顔の先にも平和はあるのだから。
「ところで雪矢、お前背が縮んだか?」
「そんなわけないだろ!!? 滝に打たれて頭が凹んだってか、馬鹿にするな!!」
「おっ、治った」
あまりに失礼すぎるイケメンクソ野郎にはっきり物申す僕。世の中には怒りによる説教が足りていない、僕が率先して普及していかねばなるまい。まずは人の教育に重きを置かなくては、平和なんて二の次である。
「てかお前、滝行なんて行ってたのか。随分思い立ったな」
「ああ。水と一体となり、どんなものでも形を変えて受け入れる柔軟さを身につけたかった」
「滝行ってそんな趣旨だったか……?」
雨竜は困惑していたが、そもそもどんな思いで滝に打たれるかなんて人それぞれである。修行みたいだからという理由で行ったって別に問題はないのだ、行動を起こしたことが評価されるべきだ。
「そうそう。梅雨の件ありがとな」
雨竜の話が唐突に変わるが、僕は平静に聞くことができた。滝行の効果はばっちり出ているようだ。
「帰ってきてからずっとテンション高くてな。俺は気落ちしてる梅雨を見てないから、いつもと何も変わらないように思えたけど」
「そうか」
「でも父さんや母さんも驚いてたし、やっぱお前のおかげなんだろうな」
「僕は何もしてないが、梅雨が立ち直れたならいいことだ」
「後、報告したいことがあるんだが」
「報告?」
「それは自分からしたいって言ってたし、ちょっと待ってもらえると……と噂をすれば」
「ん?」
会話の途中で、雨竜はスマホを取り出し耳に当てた。どうやら電話がかかってきたようだが、学校内で堂々と使用するのはどうなんだ。
「もしもし。ああ、さっき来たところ。……分かった、分かったからちょっと待て」
そう言って、雨竜は僕にスマホを差し出した。
「くれんの?」
「アホか。お前宛の電話だよ」
「はっ?」
どうして雨竜のスマホに僕宛の連絡が来るんだ。学外の生徒で、僕と雨竜が隣の席って知ってる人間がいるとすれば……
「もしもし」
『あっ雪矢さん! おはようございます、梅雨です!』
なんとなく予想はついていたが、電話の相手は雨竜の妹である梅雨だった。
「どうした、月曜の朝っぱらから」
『はい、実はご報告が2つありまして』
「ほう、雨竜を経由してでも伝えたかったと」
『そうなんです、今大丈夫ですか?』
「問題ない、さっさと言え」
梅雨に話すよう促すと、梅雨はんんっと喉を鳴らしてから嬉々と話し始めた。
『学校替えの件、お父さんに認めてもらえたんです』
「おお」
確かにそれは、できるだけ早く伝えたい内容に違いなかった。
『お父さん、昨日の夜に時間作ってくれたんです。お母さんには先にお話しして、お兄ちゃんにも手伝ってもらって、自分でも雪矢さんと整理したことちゃんと伝えて。渋々って感じでしたが、わたしの真剣さが伝わって許可してもらえました』
「そうか、良かったな」
『後でお母さんから聞いたんですが、お父さんあんまり仕事に手につかなかったみたいです。わたしが怒ったの初めてだったので、もう一回話したいって言ったときは喜んで時間を空けたそうです』
クスクス笑う梅雨の声を聞いて、本当に問題が解決したのだと安堵する僕。僕の家で帰りたくないと言っていた時はどうなるかと思ったが、上手くいったようで良かった。お父さんもそんなに悪そうな人ではないようだしな。
「雨竜に礼は言ったのか?」
『はい! 間近で話してるの聞いてたら、やっぱり頼りになるなあって思いました』
「調子のいいやつめ」
『えへへ』
「それなら後は梅雨が勉強頑張るだけだな、これで落っこちたらマジで笑えないぞ」
『心配しなくとも抜かりありません。それにわたし、成績は学年で1位なんですよ?』
さらっと告げられる衝撃発言。さすがは恐ろしき青八木の血、そりゃ氷雨さんと雨竜の妹が勉強できないわけがないか。僕が心配するだけ失礼というやつだ。
「じゃあ梅雨、僕の後輩になれるよう勉強頑張れよ」
『ああちょっと待ってください、今切ろうとしましたね?』
「ああ、だって話は終わりだろ?」
『報告したいことが2つあるって言ったじゃないですか』
「そういえばそうだな」
1つ目の報告がとても重要なことだったので、すっかり忘れてしまっていた。これ以外に梅雨から報告を受けることって何かあったっけ?
そういうわけで梅雨からの報告を待っているのだが、なかなか話を切り出してこない。まさか言うことを忘れたとは言わないだろうな。
『雪矢さん、今日月曜日ですよね?』
と思ったら、不思議な導入とともに梅雨の報告が開始される。
「うん、月曜日だ」
『雪矢さんと別れてから、休日2日経過してます』
「そりゃそうだ、月曜日だしな」
『……ここまで言ってるのに、何の件だか分からないんですか?』
「ん? それを今から報告してくれるんじゃないのか?」
『さすが雪矢さん、自分で言ったことをすっかり忘れてますね』
「すまん、滝に打たれたせいかもしれん」
『そういう冗談は置いといて、分かりました。そういうことならはっきり言います』
どこか呆れたように息を漏らす梅雨。滝に打たれたのは本当なのに冗談扱いされてしまった。
しかし何だろう、梅雨の報告事項って。真面目にこれ以外に思い当たらないのだが。
そうこう頭を巡らせていると、電話越しに梅雨が大きく息を吸うのが伝わってきた。これから何を言われるのか構えていたつもりだったが――――梅雨はそんな防波堤をあっさりと乗り越えた。
『わたし青八木梅雨は! 休日2日経過して冷静になっても! 廣瀬雪矢さんのことが異性として大好きです!!』
電話から漏れ出るんじゃないかと思うボリュームで、梅雨は僕にそう告げた。
そうだった。僕が言ったんだ、梅雨の気持ちは勘違いかもしれないから冷静になってからもう一回聞くって。
そして今、ものすごく気持ちを込めて、梅雨にはっきり宣言された。
僕に対しての好意は、決して勘違いではないと。
『そういうわけですから、これからわたしを妹として見るのは禁止です』
「禁止って、そう簡単にいくわけ――」
『大丈夫ですよ、わたしだって最近まで雪矢さんをお兄ちゃんみたいに思っていたので。雪矢さんも変われます!』
「だからそう単純な話じゃ――」
『雪矢さんが変われないって言うならそれでも大丈夫です! わたしが変えてみせますので!』
ダメだ、全然話を聞いてくれない。氷雨さんもそうだが、どうして青八木の女性は僕の話を聞いてくれないのか。雨竜どころかお父さんにも同情してきそうだ。
「待て梅雨。最後の確認だが、ホントの本当に僕のことが――――」
『しつこいですね、そんなに好きって言ってほしいんですか? いい加減諦めてちゃんと受け入れてください、わたしが雪矢さんを好きってこと』
「ま、マジか……」
『大マジですから。ですので今日からは、兄ともどもよろしくお願いします!』
そういうや否や、梅雨は通話を切った。電話通知が並ぶ画面を見ながら、僕は呆然とする。
「どうした? 最後揉めてたみたいだが」
雨竜が僕の右手からスマホを抜き取ると、不思議そうに質問してきた。
話していいのか一瞬迷ったが、僕は口から漏れ出るように言葉を発す。
「梅雨は、僕のことが好きらしい」
「知ってるって、兄としてだろ?」
「いや、異性としてって言ってた」
「まさか、お前をからかう冗談だろ」
「……冗談……マイケルジョーダン……」
「えっ、何だって?」
「多分、マイケルジョーダンじゃないと思う」
「そりゃマイケルジョーダンではないだろうが……」
「…………」
「…………」
「………………」
「……マジ?」
「マジだ……」
「マジかよ……」
アホ面浮かべて向き合う僕と雨竜。勘違いだと思ってた僕と、兄だと思っていた雨竜に衝撃が走っていた。
改めて梅雨の告白を受けたその日、季節ももうしばらく梅雨。
陽嶺高校は、期末試験の準備期間を迎えようとしていた。
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