第55話 本題

僕の部屋は、入り口を開けると右手に衣服の収納スペース、左手前にベッド、その奥に勉強机というレイアウトになっている。


また、僕のベッドは低めのロフトベッドになっているので、その下に本の収納をすることができる。普通に生活する上で不自由することないスペースだ。


僕は勉強机の前にある椅子に腰をかけながら、頭を整理する。



……梅雨をリビングに置いてきてしまった。



母さんに腹が立っていたとはいえ、勢いだけで行動したのを反省する。当初の目的を考えたら、梅雨にもここに来てもらわないと意味がないというのに。


しかしながら、僕にもちっぽけながらプライドというものがある。戦略的撤退をしておいて梅雨を呼びにリビングに行くような真似はしたくない。そもそも母さんに会いたくないし。


まあ梅雨が父さんと交流を図っているならそれを止めてまでこちらを優先するつもりはない、ゲームをやりこんだとはいえ時間はまだ21時過ぎ、あと1時間梅雨の件を遅らせても日を跨ぐことはないだろう。


そういうわけで一時休憩。本棚から『海賊の歴史』という書籍を読みながら海賊って全然楽しそうじゃないなと思っていると、ドアをノックする音が室内に響いた。


「開いてるぞ」


そう声を掛けると、ドアがゆっくり開いていく。「失礼しまーす」と遠慮がちに入ってきたのは梅雨だった。


「もういいのか?」

「雪矢さんのご両親と一緒に居るのは楽しいんですが、何だかわたしがお邪魔な気がして」

「すまん、場所を選ばない両親で」


残念ながら、あれが2人の通常運転である。母さんのワガママに父さんが全て付き合うから、結果として見るに堪えない光景が生まれてしまう。息子の僕でも抵抗があるのに、他所様の梅雨なら余計に居づらさを感じてしまうだろう。関係者としてしっかり謝らせてください。


「いえいえ! とても仲良しなんだなぁと見ていて微笑ましくなりました」


可愛らしい笑みを浮かべる梅雨だが、それって普通大人が子どもに抱く感想じゃなかろうか。40近くの大人を微笑ましく見る女子中学生、うん、どう見てもおかしいな。まあ母さんは見た目も中身もガキだけど。


「まあいい。父さんたちとの会話を終わらせてこっちに来たってことは、本題に入ってもいいと捉えていいんだな?」

「……はい」


笑顔だった梅雨の表情が真剣なものへと変わる。


今日は梅雨と楽しいお泊まり会をするのが目的ではない。僕の両親と仲良くすることも目的ではない。


両親に進路相談をして喧嘩したという梅雨の話を聞き、必要であれば対策を講じる。それが今日の趣旨だ。


「よし、じゃあそこに座って話してくれ」


僕は予め用意しておいたクッションに梅雨を座らせると、椅子から梅雨を少し見下ろすような形で目を向ける。


梅雨は正座を崩したように座ると、少し間を置いてから視線をフローリングに落として話を始めた。


「今日の夕方、久しぶりにお父さんの時間が取れたんです」


梅雨の父親は大グループの社長で、家にいないことの方が多い。帰ってきたとしても、時間を取れることの方が少ない。そんな父親が、ようやく梅雨のために時間を取ってくれたようだ。


「ただ、19時には仕事があるからって少し急かされてて、最初からムッとしちゃったんですけど、お母さんも一緒にお話は聞いてくれました」

「なんて言ったんだ?」

「高校は、お兄ちゃんと同じところに行きたいって言いました」

「…………」


それを聞いて、僕は上手くいかなかった理由をあっさり悟ることができた。梅雨が今まで両親とどのようにやり取りをしてきたか分からないが、これでは決してうまくはいかない。


「そしたらお父さん、『なんでそんなこと言い出すんだ!?』って怒って。お母さんも『どうしたの梅雨、そんなこと言わないで欲しい』って否定的で、だからわたしも感情的になっちゃって……」

「喧嘩して家飛び出してきたのか」

「……はい」


それから梅雨は、熱くなりながらの言い合いの内容を教えてくれた。『母さんが卒業した学校を出て行きたいなんてあり得ない』や『氷雨だって文句は言いながらも卒業はした』とか。『行きたくて行った学校じゃない!』や『お姉ちゃんとわたしは違う!』とか。母親はその会話には入ってこなかったようだが、どういう気持ちで見ていたかなんとなく想像できる。


僕は椅子から立ち上がって顔を伏せる梅雨の前に座ると、軽く梅雨の頭へチョップした。



「馬鹿。説得したいお前が同じように怒ってどう収束させるつもりだったんだ」



梅雨は潤ませた瞳をこちらに向ける。感情任せに言い合ったことは反省しているようだ。



「お父さんが感情的になるのは無理もない。梅雨がそうなるようなことを言ったんだから。だったら梅雨、ホントはどうしなきゃいけなかったんだ?」

「……感情的にならず、冷静に話さなきゃいけなかったです」

「そうだ。怒るのは梅雨が嫌いだからじゃない。納得がいかないからだ。梅雨が成長できると信じて入学させた学校を、梅雨は変えたいと言ってる。親として納得できない、ならば納得させるしかない。正面から攻めてもいいが、脇から切り崩す方法はいくらでもある」

「脇から、ですか?」

「ああ。別にお父さんの承認を得られなくても、お母さんを味方にできれば状況は一変する」

「お母さんを……」



僕は1度呼吸を整えると、僕が思う梅雨母の心境を伝える。


「梅雨のお母さんは、ずっと心配そうな表情をしてたんじゃないのか。怒るというよりは」

「そ、そうですね。お父さんと言い合っていたのであまり気にしてなかったのですが、そうだったと思います。なんで分かったんですか?」

「分かったというより、梅雨のお母さんの立場になって考えてみた。梅雨は、学校を変えたいのはからだってちゃんと伝えたか?」

「前向きな気持ち……?」

「もしかしたらお母さん、梅雨が学校生活を楽しく感じてないって思ってるかもしれないぞ?」


梅雨はハッとしたように表情を変えた。電車で梅雨から初めて話を聞いたとき、僕も最初に頭に浮かんだことである。梅雨のお母さんが同じような想像をしていてもおかしくはない。


「先生が厳しいとかクラスメイトから苛められているとか、そういうのを想像したかもしれない。自分が気持ちよく卒業した学校でそんなことがあったかもなんて思えば、当然お母さんは心配する。だから梅雨はまず伝えなきゃいけない。お母さんの母校が嫌で学校を変えたいと思ったわけじゃないこと。もっと前向きな理由で雨竜と同じ学校に行きたいと思ってること。念のため訊くが、今の学校が嫌なわけじゃないんだろ?」

「はっ、はい! お友達もいますし、先生方もよくしてくれています!」

「でも、陽嶺高校に行きたいんだよな?」

「……はい、そうです」


梅雨は表情を引き締めて言った。今の何不自由ない心地よい環境を失ってでも、新しい環境で自分を成長させたいと言った。


だったら先ほど言ったとおり、2人を納得させなければ始まらない。


「じゃあ梅雨、次はお父さんの気持ちになって考えてみろ。学校を変更して、心配だなって思うことはあるか?」

「えっと、陽嶺高校がどんな学校なのかってところですか?」

「今回に関しては不正解だ。お父さん、陽嶺高校のOBなんだろう?」

「あっそっか。ある程度把握してると思います」

「偏差値も高いし部活動は強くないが全員参加を念頭に置いている。改めてそれを伝えれば、学校自体がよくないって言うことはないだろうな。他は何かあるか?」

「えーっと、ちょっと待ってくださいね」

「先に僕が言うと、共学なのを気にするかもな。梅雨は美人だし、周りから言い寄られないか心配するかもしれない」

「そ、そうですかね」


梅雨はほんのり頬を赤らめて頬を搔いた。美人だなんて言われ慣れているだろうに、随分とウブな反応をするんだな。


「まあそういうのこそ雨竜を使わないとな。最初の1年は幾らでも頼れるんだし、困ったらお兄ちゃんに頼るって言っとけばいいだろ」

「わたしからすれば雪矢さんの方が頼れるんですが」

「僕の名前なんて出して変に警戒されたらどうするんだ、そこは雨竜で我慢しろ」

「うーん、お兄ちゃんの名前を出すのはやぶさかじゃないんですが」

「何か心配事か?」

「いえ、お父さんだったら『雨竜が卒業したらどうするんだ』って言ってきそうで」

「おっ、いいな梅雨。お父さんの心配事を何個も想定して回答を用意しよう。お父さんに『ならいいか』って思わせれば梅雨の勝ちなんだからな」

「は、はい! いっぱい考えます!」

「その意気だ」


そうして僕と梅雨は、しばらくの間一緒に梅雨の両親対策に勤しんだ。



改めて相談する際、ちゃんと梅雨の気持ちを聞いてもらえるように。


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