*絶望の淵
「今頃になってメイズが?」
言いつつ、恐らくそうだろうと思う鄭は、短くクラクションを鳴らし、コンビニにいる郭を呼び出すと、ワゴン車を急発進させた。
場所はメイズ発生予定の場所から300m以内。もしも「魔物の氾濫」がセットで起きるなら、完全にその圏内だ。
「鄭隊長、何事ですか?」
「曹達を回収する」
「え? あ、マジか……」
助手席に乗り込んだ郭は、直ぐには事態を呑み込めなかったが、自分のスマホを見て、ようやく事態を悟った。その郭が悪態を吐きつつ言う。
「最悪のタイミングですが、でも大丈夫ですよ。曹は強いし、王も魏も、この間は不覚を取ったけど、15層でも行けるメンツです」
「そうだと良いが……嫌な予感が治まらないんだ」
車内でそんな会話を交わしつつも、白いワゴン車は猛スピードで深夜の代々木を駆け抜ける。そして、スキール音を立てながら交差点を曲がり、そのまま代々木第2体育館の駐車場へ乗り入れようとした。しかし、
――キィィィ!
歩道を横切って体育館の敷地に乗り入れる手前で、車は突然急停車した。
「鄭隊長?」
急ブレーキをかけた鄭を疑問の目で見る郭。しかし、鄭の視線はフロントガラス越しの前方に釘付けになっている。
「どうしたんですか?」
「……あれ……なんだ?」
「え?」
そう言われて前方を見る郭。その視界の先には黒い塊があった。
*********************
「?」
郭は最初、ソレを街灯が作る影だと思った。しかし、何処かオカシイ。影なのに、妙に表面に光沢がある。それに、よく見ると一定のリズムを刻むように揺れ動いているようだ。
「なんだ……あれ?」
フロントガラスの向こう側で正体不明の黒い塊がモゾモゾと動いている。その光景に郭は言葉を失い、車内はゾッとするような静寂に包まれた。ただ、その静寂は不意に外から聞こえて来た絶叫で打ち破られる。
「隊長ぉっ、鄭隊長、た、た、た、助けて!」
叫ぶような声は……魏のものだった。それで、反射的に郭は視線をそちらに向ける。見ると魏が植え込みの中から這い出して来るところだ。ただ、そうやって這い出てくる魏の下半身は、まるで何かに潰されたようにグチャグチャになっていた。歩けないため、這ってここまで逃げて来たのか。
「魏! い、今行く!」
(何事か?)と一瞬混乱する郭だが、【回復魔法:上級】の使い手としての自覚からか、魏を助けるために助手席のドアに手を掛ける。しかし、ロックが掛かったままでドアは開かない。
「鄭隊長、ロックを!」
郭はドアのロックを解除するように鄭に声を掛ける。一方、呼ばれた鄭は、依然として
「どうし――」
「どうしたんですか?」と言おうとした郭は、次の瞬間、不意に視界の端で何かが動くのを察知して、視線を前の方へと向ける。そして、先程までモゾモゾと
「な……んだ……これ?」
その威容に絶句する。
地面からゆっくりと起き上がる黒い塊は、全高が街灯の高さを超す漆黒の巨人だった。しかも、凶暴さすら覚えるほど太く逞しい腕は左右2対4本あり、その全てに引き千切られた人の四肢が壊れた人形のように握られている。
「ゴォッ!」
街灯の光が逆光となって顔が良く見えない。ただ、その瞬間、4本腕の漆黒の巨人は明らかに嗤った。嗤いつつ、見せびらかすように血塗れの四肢の残骸を振り回し、1つづつ口に運んではちょっとずつ食い千切る。
「にげ――」
「逃げましょう」と郭は言い掛けた。ついさっきまで助けようとしていた魏の事など綺麗サッパリ頭から消えていた。ただ、そんな郭は、次いで聞こえて来た別の声に引っ張られるように途切れた。
「化け物ぉ! 王を離せ!」
吠えるように言うのは、奥の駐車場から駆け出してきた曹だった。何処をどうした物か、右手が肩口でスッパリと切断されているが、まだ闘志を残しているようだ。
そんな曹は、漆黒の4本腕巨人に駆け寄りつつ【収納空間】を発動した。巨人の頭上にH鋼が出現する。それは、次の瞬間、物凄い勢いで巨人の頭部に飛び込むが――
「ゴゴォォン!」
巨人は軽く唸ると、巨体からは信じられない軽いステップでソレを横に躱す。それでH鋼はアスファルトの地面に柱のように突き立った。
「ざまぁ!」
ただ、この一撃が躱される事を曹は読んでいたのだろう。もうその時には別の物体 ――大型ショベルカー―― を巨人の頭上に出現させている。
「潰れろ!」
そして、吠えるような曹の声が響き。頭上に現れた大型ショベルカーは自由落下を上回る加速で真下の巨人に激突し――
「ゴォ!」
巨人が振り上げた2本の腕で軽々と受け止められてしまった。
「なっ!」
郭の視界の中で、曹の顔面が驚愕で歪む。それが、曹の最後の表情だった。
大型ショベルカーを頭上で受けとめた巨人は、それを「ポイッ」と放るように曹へ投げつける。その、余りにも無造作な仕草に、曹は身を守るための【収納空間】を発動させる間もなく圧し潰された。
「曹!」
気が付くと、車内は郭の絶叫で満たされたいた。
*********************
郭の大声で、鄭は漸く我に返った。ただ、我に返ったとしても絶望しかない。
なぜなら、鄭は【千里眼】が併せ持つ【鑑定】の効果により、目の前の4本腕の漆黒の巨人の正体を「鑑定」していたからだ。その内容は、
(――
というもの。【千里眼】は名前とザックリとした強さを伝え、ついでこのモンスターが持っているスキル類を伝えてくるが、鄭には早速読み取る余裕がない情報だった。そもそも、30層など、規格外過ぎる。
「逃げるぞ!」
その瞬間、目の前で曹が圧死した事も、車の直ぐ近くに瀕死の魏が居ることも、既に王が喰われていることも、鄭は全てを忘れた。ただ、逃げる事しか考えられなかった。
「隊長、早く!」
助手席の郭も急かすように言う。
そんな2人が乗るワゴン車の正面では、四本腕の巨人が地面に突き立ったH鋼を軽々と引き抜くと、まるで槍投げのような投擲姿勢を取る。
「早く、早く!」
郭の声が急き立てるように響く。
バックの仕方が分からなくなる。自分がブレーキを踏みっぱなしだと、今更気が付いた。それで、漸くシフトレバーをRにいれてアクセルを踏む鄭。しかし、次の瞬間、
――ドンッ!
フロントガラスが粉々に砕け、衝撃を受けたワゴン車が後ろに跳ねる。そして、
「か、郭?」
助手席が在った場所には轢き潰されて肉塊になった郭の下半身と、車体に突き刺さった状態のH鋼が有った。消え去ったように見えた郭の上半身は破裂して車内にぶちまけられている。
「うおぉぉ!」
もう訳が分からない。鄭は
「くそっ!」
車内では、
しかし、この時「魔物の氾濫」を引き起こした「
――ギギギィ、ガシャァッ
横転したワゴン車から何とか這い出た鄭は、背後でその車体が
それは、
(成竜……35層相当……)
【千里眼】が教える新手の情報に、鄭は遂に気が
「ち、[炎獄]も効かないのかよ……」
諦めの言葉と共に、ワゴン車が踏みつぶされる音が夜の代々木に響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます