8:後悔は平行線をなぞる

   …… ZZZ ……



 午後からは昨日同様、認定治療医にんていちりょういの二人が現任訓練OJTで席を外しているから、僕と木下きのしたさんが、それぞれの診察室を任されていた。


 昨日が特別忙しかったらしく、今日は予約分の受診だけで、飛び込みが今の所ない。


 今日の業務としては、昨日、木下さんが受け持っていた終夜しゅうや睡眠すいみんポリグラフィー検査を受けられた患者の対応や、新たに外出許可を取得しようとする患者に対して、覚醒維持かくせいいじ検査の説明をしたり、それに付随ふずいする検査をするといったもの。

 空いた時間はいつも通り、他病院で発生した医療中の特殊事例などを纏められた論文を読み、対処法を落とし込んだり、新しい処方薬効果の勉強に充てたりしていた。


 時刻が16時を過ぎたころ、現任訓練OJT引率いんそつを終えた嶺吾れいあたちと合流し、待機ステーション内で、次の治療班への引継ぎメールを作成していた。


 僕らの業務は、三泊四日の泊まり込みで、初日は18時、最終日は17時に終了する。

 業務時間も就業規則で決まっているので、残業をするわけにもいかない。

 この四日間で治療した患者の情報や処方した薬、新たに入院された患者から、次の業務中に発症の恐れがある患者をピックアップしておく必要がある。


 メールの作成が終わったのは、17時の3分前。

 いつもに比べれば時間はかかっていたが、それはレベル変位へんいした患者が多く、落とし込みに手間取っていたからで、他業務をしていた嶺吾たちは、すでに帰り支度を始めていた。

 僕も間もなくして、メールを送り終え、白衣などを片づけていると、17時のチャイムが院内に響き渡った。


「業務終、りょーー!」


 直後、木下さんが四肢を大きく伸ばし、全身で業務からの解放を感じていた。


「終わったね、とりあえず着替えて寮に戻ろっか」


 その提案を聞くまでもなく、木下さんが元気よく奥の更衣室に駆けていく中、その後ろを僕らは、疲労が溜まった体を引きるように追った。


「なんか今週は短かったような気がするな」

「……現任訓練OJTの関係上、いつもより夢界に滞在していたからじゃないかしら?」

「ああ、通りで」


 更衣室の男女をへだてる薄い仕切り越し、嶺吾の吐いた独り言に、即座に反応する桐谷きりたにさん。


「逆に僕は、普段より負担が多かったからか、長く感じてへとへとだよ」

「短く感じたとしても、意外と睡眠活動もカロリーを使うからな、俺も疲れはすごいし無性に腹も減った」

「……私も」

「なら、食堂でなにか食べてから帰られますか? それとも下の売店で」

「いや、食堂の飯にも小さいサラダはついてくるが、あれだけじゃ栄養バランスがな」

「少ない休憩時間中は、どうしても売店のご飯とかになっちゃうから、必然的にね」

「医者の不養生ふようじょうってやつですか?」

「そうだね。まあ、疲れてるっていってもすぐに寝るわけじゃないし」

「ああ、仕事で疲れた時こそ、しっかりしたもの作って食べないとだしな」


 アイコンタクトで着替え中の嶺吾に意志を伝えると、それを汲んでくれたようだ。


「……嶺吾の手料理、待ってた」

「どわっ! まだ着替えてんだよ、なに覗いてんだ!」

「……それはそれは。お詫びにこっちも覗いていいから」

「えっ⁉ 恥ずかしいので、りん先輩は絶対きちゃだめですよ!」

「なんで僕だけ拒絶されてるの⁉ いや覗かないけどね!」

「い、いえそんな拒絶はしてませんが、廣瀬ひろせ先輩は、ひじり先輩にしか反応を示さないので」

「んな限定的なわけあるか!」

「――……そうなの?」

「がぁぁぁぁぁ! 今のは言葉のあやだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 一瞬で距離を詰めた桐谷さんが、嶺吾の顔面を鷲掴わしづかみ、脳天締めアイアンクローをお見舞いしていた。


 床に崩れそうになる嶺吾を腕力だけで支える桐谷さんには一生逆らったら駄目だと、僕の本能が騒ぎ出したが、矛先は嶺吾にしか向かないから、多分、大丈夫だろう。

 床に投げ倒された嶺吾をまたいで更衣室を出ると、中の様子を心配そうに伺う木下さんと目が合った。


「だ、大丈夫そうですか?」

「……手を尽くしたけど、もう助からないよ」

「そうですか、残念です。……では先に商業棟の方へ向かいましょうか」


 静かに扉に向かって手を合わせ、一礼した木下さんは次の瞬間、いつも通りの笑顔を浮かべると、淡々と嶺吾たちの支度を待つことなく歩を進めた。



   …… ZZZ ……



 睡眠療養すいみんりょうよう病院びょういんは、普通のウイルス性の病を扱う病院とは、大きく違う特徴が存在する。


 それは、治療棟と呼ばれる亜種夢強制共感病あしゅむきょうせいきょうかんびょうを扱う病棟の他に、商業棟と呼ばれる大型ショッピングセンターを模した施設を、必ず隣接りんせつさせることが義務付けられている点だ。

 理由としては、亜種夢強制共感病あしゅむきょうせいきょうかんびょうはPTSD由来ではなく、ストレスから発症に繋がるケースだと、自覚症状が明確な人と、そうでない人が極端に分かれているからである。


 ストレスなど抱えない、と豪語ごうごする人は来院することもないため、知らずの内に蓄積ちくせきされたストレスにむしばまれ、街中での突発的な発症に繋がるケースは少なくない。

 それを解消するため、商業棟は、地域の人々の生活サイクルに溶け込む内装をしながら、いたる所に顔認識カメラや、非接触型ストレス値測定装置が設置されている。

 おかげで利用者は、受診や通院の意識なく病院にストレス情報を提供し、病院側もそれを基に、病気の早期発見ができる仕組みだ。



 治療棟と商業棟は、二階に設けられた連絡通路で繋がれており、僕らはそれを利用して商業棟へと向かっていた。

 その道すがら、少し遅れて合流してきた嶺吾は、ひどく服装が乱れていたが、よく見る光景だったので、突っ込むことはなかった。


 商業棟一階の南側には食料品や美容品、健康食品などが取り扱われているフロアが存在し、僕らはそこでめぼしい品を購入した後、数分もしない内に、寮へとたどり着いた。


 寮自体は病院のすぐ東側に位置しているので、病院への往復は、苦ではない。

 亜種夢強制共感病あしゅむきょうせいきょうかんびょうの存在によって医療機関は常時、治療医を現場に配備する他、可能であれば、予備の医師を近くに確保しておく必要があった。


 なぜなら、この病は昼夜問わず発症の危険があり、人によって引き起こされる『人災』と比喩されながらも、その突発性は『自然災害』と大差ない。

 対して、この病気の治療資格を持つ医師は多くないため、突発的な発症に対応できるよう、僕ら専門治療医は、病院に隣接して建てられた寮に、治療班員と共同生活することを勧められている。


 僕たち以外にも別班の治療医や看護師、薬剤師の方も住んで居るが、同じ班の治療医は、もれなく全員が同じ階だ。

 日頃から班員との信頼関係を深めるための配慮だと思うが、そのおかげで親の顔より班員の顔の方が見慣れているほど。



 寮に着いてから、それぞれが部屋に戻り、ラフな格好に着替えると、再度、エレベーターホールから向かって右手に存在する共同キッチンへと集まる。

 そこは二十畳ほどの広さで、入ってすぐに向かってキッチン、左へと奥にいくにつれ、ダイニング、リビングと続いている。

 所々に置かれた観葉植物が室内に緑を差し、安らぎのある空間を作り上げていた。


 嶺吾と僕は、キッチンの作業台に置かれた買い物袋から必要なモノだけ取り出していると、桐谷さんがトコトコと手伝いに来た。


「……私はなにをすれば」

「お前は手を出すな、食材がかわいそうだ」


 それを嶺吾が全力で拒絶の構えを取り、迎撃げいげきを始めた。


「……まだなにもしてない」

「そうだな、お前はギャンブルと一緒だ。やらなければ、負けることはない」

「……先週は、まだ、食べれる部分があったわ」

「卵焼きなら、と任せたらお酢とオリーブオイル増し増しでべちゃべちゃの新種卵料理が出来た話か?」

「……あれはお酢が健康にいいと聞いたから、嶺君の身体を思って」

「だからと言っても、卵を溺れさせる奴がいるか! 限度ってものがあるだろ限度が! もういい、大丈夫だから、木下と一緒に向こうで待ってろ」


 嶺吾に拒まれ、しぶしぶリビングの方に戻っていく桐谷さんの背中はずいぶん小さく見えたが、僕も苦い経験をしているので内心助かっていた。


「よし、脅威きょういも去ったことだしさっさと作っちまうか。とりあえず、俺の方は麻婆豆腐作っておくから、凛はレバニラ炒め任せるぞ」

「任された、付け合わせもこっちで作っておくよ」


 互いに役割分担も決まったところで作業に取り掛かると、一時間も掛からずほとんど想定通りのものが出来上がった。

 途中、つまみ食いをしに来た木下さんが本格的に食べ始め、麻婆豆腐が半分無くなるハプニングもあったが、それもいつも通りの光景だった。



   …… ZZZ ……




 ――カウンセリング室。


 私は、凛を見送った後、自分のしてしまった行動がりんを苦しめていないか、それだけが心配で仕方がなかった。

 凛の治療に向ける熱意が、呪いのように見えて、どうしようもなく私を苦しめる。

 その不安は行動に現れていたようで、自然と、PHSピッチ有栖ありすちゃんに繋がっていた。


もしもしAlloしずくさん? どうかしたのかしら、……もしかして、凛がまた無茶を?』


 電話口からは私の心情を察してか、温かく優しい声色が響いた。

 思わず、その温かさに頼りたくて、らしくもない弱音を年下の女の子に零してしまう。


「ねえ、有栖ちゃん。私、間違ってないよね?」


 自分でも恐ろしいほど端的に、結論を急いでしまう。

 本当は、私ではなく凛が傷ついているというのに、今だけは、自分を優先してしまう。


「私は、あれが凛にとって、ううん、凛たちにとっての、最善だったんだよね?」

『……ええOui。雫さんはあの時、凛に――』


 少しの沈黙のあと、半ば私が強制したような言葉が返ってくる。



『【彼女】を忘れるように記憶改竄タンパリングしたのは、あの場にいた私も、最善だと思ったわ』

 

 何度も求めたことのある、その言葉に、私は、今日も自分を保っていた。



   …… ZZZ ……

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