第8話 エムス電報事件

 豪華な内装の一室。全体的にアールデコ様式に統一されたその部屋に鎮座するこれまた見事な執務机。イミテーションではあるが、フランス第三共和政末期のとある大統領の執務机を模したものであった。その机の上には『Directeur adjoint』の表示が小さく記されていた。すなわち『副校長』と。聖リュケイオン女学園には教頭はいない。実際に教務や進路指導、生徒指導に対して最終的な決裁権を持つ役職であった。当然校長もいるのだが、実質的に彼がこの学園のトップである。しかしその肩書きに比して、見た目はとても若い。いや実際の年齢も二八歳と若いのであったが。椅子に浅く座っている副校長は目の前のタブレットを見やる。そこには図示化された報告が載せられていた。そして『宍戸奈穂』『ベルナルディ知恵』の名前も。

「入学前から勉強熱心だね」

 直立している目の前の女性に副校長は声をかける。はい、と頷くスーツ姿の女性。

「特に、この宍戸奈穂という生徒―――」

 すっと、人差し指でフリックする。副校長の指紋認証で個人情報表示が開放される。数字の羅列と”S”という評価が乱れ飛ぶ。

「うちに来た生徒では極めつけだね。歴史以外は。というかあまりに理系がずば抜けている」

「どうも」

 区切りながら女性が口頭で説明する。

「不確かな―――予想なのでアレですが多分出願ミスだったのではないかと。入学後、機会があれば聞いてみたいと思いますが」

 うん、と副校長は頷く。

「いずれにせよ、期待の星だね。是非学習を積み重ねて、『アリストテレスシステム』をより完璧にして欲しい」

 ぐるっと椅子を回し壁の絵を見つめる副校長。そこには壁一面に『アテナイの学堂』の絵が掛けられていた。真ん中にはシステムの名称のモデルとなったアリストテレスが地上を指さしている。そして隣にいるプラトンは空中を。真理に対するイデアとエイドスの見方の違いを表現したものとされているこの比喩。『アリストテレスシステム』はこの地上で起きた歴史的事件をすべてシミュレートすることが出来るバーチャルなシステムである。古代の会戦から、現代の核戦争まで、バタフライ効果まで盛り込みながら完璧に再現することの出来るシステム。生徒はその世界に介入し、歴史を変革することによってより深い歴史的背景とこれからの世界をどうすべきかを考察することのできるシステムでもある。

『ビザンツ帝国のコンスタンチノープルをオスマン帝国の侵略から救うためには』

『第一次世界大戦でドイツが最終的に勝利するためには』

 様々な歴史のifに参加し、その歴史を『動かす』事の出来るシステムである。聖リュケイオン女学園のカリキュラムの中核を占めるものであった。

 入学式はあさってに迫っていた。新入生を待ち受けているのは―――新しい歴史の創造への叙事詩である。

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