第二十五章 旅立ちはヴァージンスノウとともに

八十五話 白鳥が初めて羽ばたく日


 十二月二十日の午後、私は成田空港の第一ターミナルに立っていた。学校が冬休みに入る直前ということもあって、まだ混雑はそれほどでもなかった。


「結花、確認だけど、今回は戻ってくるのよね?」


「うん、帰ってくるよ。ちぃちゃんには迷惑ばっかりかけたよ。ありがとうね」


 隣には千佳ちゃんがいてくれる。


 この日に一緒に来てくれるメンバーとしては彼女以外に考えられなくて。「断られても押しかける」と言ってくれたのを笑って見送りをお願いした。


「ほら、ここからは一人だよ。でも結花は英語しゃべれるから心配ないかぁ。それにむこうには先生いるもんね」


 チェックインカウンターで荷物を預けてから、まだ搭乗手続きまでは時間があるので一緒に昼食を食べることにした。


「まさか、羽田と成田で先生と親友を二回も見送ることになるとは思わなかったなぁ」


 スパゲティをフォークで丸めとりながら千佳ちゃんが笑っている。


 そう、三ヶ月前に私と千佳ちゃんは全く同じようなシチュエーションで空港にいたのだから。


「結花は本当に生まれ変わったよ。凄いね……。先生を追いかけてニューヨークまで一人で行くなんて、きっと誰も想像していなかったよ」


 私のことを一番良く知っている千佳ちゃんが涙ぐんでいる。


「きっと、まだ誰も信じてくれないよ」


「ちゃんと、しっかりプロポーズ受けてくるんだよ? まぁあれだけ三ヶ月前の濃厚キスシーン見せられたら大丈夫だろうけどさ。あたしも人生で初めて少しジェラシー感じちゃったよ。あたしもこんな恋愛がしてみたかったってね」



 涙を振り払うように笑って私の手を握る。


 その時、私の乗る飛行機の搭乗案内が始まる放送が流れた。



「行ってらっしゃい、結花……」


「うん、ちぃちゃん、お見送りありがとう。帰り道気を付けてね。行ってきます」


 この日、今年初めての雪が午後からちらついてきた。このくらいなら電車が止まることはないと思うけれど。


 エスカレーターを下がりながら千佳ちゃんが見えなくなるまで手を振って、前に振り返る。


 胸がドキドキ高鳴っているのが自分でも分かる。国内線は乗ったけれど、海外に出る経験はもちろん初めてのことだもの。


「うん、大丈夫」


 ニューヨーク行きの大きな飛行機、チケットと一つだけ成田の出国スタンプが捺された真新しいパスポートを抱えて飛行機の待つ搭乗口に進んだ。


『先生、予定どおりです。空港でお願いします』


 機内ですぐにはスマートフォンが使えないから、今のうちに先生にメッセージを送っておく。


 フライトスケジュールも教えてあって、空港まで迎えに来てくれることになっているけれど、やっぱり最後まで少しの不安は残っている。でも今日ここまで来られたんだもん。


 でも大丈夫、この不安もあの胸元に飛び込んだらすぐに消えてしまうに違いない。


 チケットを搭乗口で確認してもらって、私は窓側の席に座ってベルトを締めた。






 あっという間に過ぎた一ヶ月の引っ越し準備期間。


 最後の荷出しを二人で見送って、先生は私の家で出発前日を迎えた。


 荷物を出してアパートの鍵を返してから三日間ほど。当初は先生がホテルを取ると言っていたけれど、それを聞いた私の両親が「それならうちで泊まってください」と先生に頼んでくれた。


「結花をこんなに元気にしていただいた。そのお礼です」


 昼間は一緒にお買い物をしたり、ユーフォリアで食事をしたり。


 夜になってからは、お父さんと先生は一緒にお酒も飲んでいた。


 少し気が早いけれど、みんなで食卓を囲みながら「娘を頼む」とかまで言っていた気がする。


 半年は寂しくても頑張る。そう二人で決めたんだから。


 最終日の夜、客間にいた先生のもとに、そっと私は忍び込んだ。


「分かってはいても、やっぱり寂しいですよ……」


 涙を流す私を、いつものようにそっと抱きしめてくれる。耳を押しつけた左胸から大好きなリズムが伝わってくる。


「今日まで、少しだったけれど、結花とデートもできた。本音を言えば、明日そのまま一緒に連れていきたい」


「うん……」


「俺たち二人とも、生きることには不器用だ。それはこれからもきっと変えられないだろう。半年、ごめんな……」




「先生……、ひとつお願いをしてもいいですか?」


「なんだ?」


「八景島での約束……、覚えてますか? 一年空いちゃいましたけど、クリスマスを一緒に過ごしたいんです。どう行くかはこれから考えます。先生は忙しいと思うので私がニューヨークに行きます。いいでしょうか?」


 これまでの話で、きっと年末年始に帰国できないことは前から聞いていた。だから間違いなく私が行くことになる。


「分かった。その時は連絡してくれ。待ってるから」


「はい……。ありがとうございます」


 結局、私は先生のお布団に一緒に入ってそのまま寝てしまった。


 朝になって客間から出てきた私をお母さんに笑われたけど、それ以上深く言われることなかった。

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