七十九話 絶対この手を放さないよ
傷だらけの私の体を菜都実さんがぬるま湯で洗ってくれて、お店に置いてあった仕事の服に着替えさせてくれた。
救急箱から薬を取り出して怪我をした手足の応急手当を受けて、しばらく待つようにと。
先生も私の両手足が傷だらけなのを見て酔いが覚めたのか、一緒になって手当てを手伝ってくれた。
転んで怪我をしたところよりも、裸足で走った足の方の傷が酷かった。
両手両足が包帯で巻かれた私。
漫画に出てくるような見た目だけど、それだけ私の傷がひどいということ。
「ほら、お医者さんに連絡してしてあるから、結花ちゃんを乗せてあげて」
保紀さんが運転してくれる車に揺られている間、先生と菜都実さんの間に座った私に、菜都実さんがあの後のことを教えてくれた。
花火が終わると、ユーフォリアの臨時営業も終わりだった。
そこに現れたのが先生だったという。
酷く落ち込んだ様子の先生を見て、菜都実さんは私たちに何かあったと瞬時に悟って、先生を中に入れてくれた。
「酷いもんだったよ。『結花ちゃんを泣かせた。結花ちゃんに嫌われた』ってね」
「うん……。大嫌いなんて叫んじゃったから……」
「もうそれはいい。おまえはちゃんと謝りに戻ってきたじゃないか」
菜都実さんはこの展開を予想していたんだろうね。
「ねっ? だから言ってやったの。結花ちゃんは必ず戻ってくるって。頭のいい子だよ。落ち着けば戻ってくる。だから今度こそ二度と手を放すんじゃないとね。それを一番分かってるのは先生じゃない?」
先生は何も言わずに私の腕を握ってくれていた。
みんなの言ってくれていることが正しい。もう、この手を二度と放してはいけない。
菜都実さんが連れてきてくれたのは、近所の個人医院で、私もよく風邪などでお世話になる。
みんなからおじいちゃん先生と言われるくらいのお年だけど、今でも月に一度、こちらに通っては、病気が再発していないかの検査をお願いしている。
正直、このおじいちゃん先生は私の命の恩人だ。
ただの風邪と思っていた微熱の私に、原因はそうじゃないと誰よりも早く気付いて血液検査をしてくれた。手術をした病院に紹介状を書いてくれたのもこの先生だ。
診療時間外なのに嫌な顔ひとつせずに、幼い頃に高熱を出した私を、こうやって夜中に診察したり処置してくれたっけ。
「おやおや、これは酷いね。でも大きな傷は無いよ。数日間は擦り傷が痛むだろうけど。ちょっとしみるよ?」
おじいちゃん先生はもう一度きちんと傷の手当をしてくれて、消毒と包帯も巻き直してくれた。腫れてかすれ声の喉にも薬を塗ってくれた。
化膿止め、痛み止めと塗り薬。喉の炎症止めも貰って、心配そうに待合室で待っていてくれた小島先生のところにびっこ足で戻った。
菜都実さんたちには先に帰ってもらったって。
「先生……、原田は? 大丈夫なんですか?」
「大丈夫。心配ないですよ。まだ若いし、傷も深くないから残ることもない。擦り傷が大きかったから実際より出血が多く見えて皆さん焦ったんでしょう。お転婆な結花ちゃんは昔からときどき無茶をしますからな。今夜はゆっくり休ませてあげてください。明日になれば痛み止めが効いて立てると思いますから」
お礼を言って、呼んでいたタクシーの後部座席まで先生は私を抱きかかえてくれた。
もうすっかり遅くなってしまっている。
病院の位置からだと先生のアパートの方が近い。あとは先生が荷物を整理して自転車の後ろに乗せて連れていってくれることになった。
「なんだ?」
アパートの一階、いつもの郵便ポストの隙間から何かが飛び出している。
取り出してみると見慣れた私のトートバッグだった。私がいつも仕事に行くときに着替えを入れていく物だ。
中には私のスマートフォン、パジャマと下着、洗面用品が入っていた。
「お母さん……」
便せんが一枚、半分に折られて外側のポケットに入っている。その字はお母さんだ。
「なんて書いてある?」
私はその場で便箋を広げて声に出して読んだ。
「話は菜都実から聞きました。お父さんからの伝言は『二人で整理して、仲直りしてきなさい』だから。今夜はさっきの分をちゃんと謝ってゆっくり甘えてらっしゃい。……だそうです」
お母さんは菜都実さんから私たちの状況の連絡を受けて、お父さんと相談したうえで急遽お泊まりの用意をして届けてくれたんだ。
「どうする?」
「もうこんな遅い時間です。私の両親も許してくれているようなので、今夜はお部屋で休ませていただいてもいいですか?」
「ご両親がそう言ってくれているならな」
こんな経緯があって、思いがけず私は初めて先生の部屋に泊めてもらうことになった。
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