二十話 おまえは学校中の誰より強いんだ


 原田が入院して三日が経った朝だ。


 朝の教室に入ると、なんだか普段と様子が違うことに気づいた。


「どうした。やけに静かじゃないか」


 教室を見回した。


「先生。原田さんは戻って来られないんですか?」


「どうしてそんなことを?」


 聞けば、昨日の帰りに授業のプリントを持たせた数人が病室に入ったとき、その変わりように驚愕したとのこと。


 背中まで伸ばしていた……、彼女のトレードマークともいえるあの真っ黒な長髪をバッサリ切り落としてしまったらしい。


 この連中も高校二年だ。これが意味することくらい分かっていても不思議じゃない。


「そうか。でも原田は絶対に戻ってくると約束して病院に行った。それを信じてやることが大事ないんじゃないか?」


 俺は腕時計に目をやった。彼らに話してはいない。今日がその手術の日だと言うことを。



 ほとんど何を話していたか覚えていない一日の授業時間を終えて、職員室の机の上の片付けもそこそこに、俺は校門前からタクシーに乗り込むと市民病院へ急いでもらった。




「先生……。結花のためにわざわざありがとうございます」


 遅い時間にも関わらず、原田の両親が廊下で出迎えてくれた。


「手術自体は先ほど終わりました。心配だった転移などは今のところ見られないそうです」


「そうですか……」


 そう。がんは転移が一番怖い。診察から手術までの間に他の臓器に転移してしまっていたなんて事例もあると読んだ資料の中にもあった。


 十六歳の原田は若い。


 体の活動もまだ活発な年頃なので進行も早いと聞いていたから、それだけが不安だった。


 転移がないという報告だけでもホッとした。


「会っていかれますか? もう麻酔からも醒めて意識も戻っていますので」


「いいんですか?」


「結花が、先生が来たら必ず教えるようにと、手術の前に言い残していきましたから」


 薄暗くされた病室に入らせてもらう。ベッドの周りに透明なビニールのカーテンが吊されて、空気清浄機が動いている音がした。


「原田……」


 夏の日焼け対策が大変と言っていた肌が、さらに青白く見える。


「先生……?」


 意識せずに出た小さな呟きでも、彼女は気づいてくれたようだ。


 両手に点滴のチューブをつけている彼女が、懸命に頭を起こそうとした。


「いい。原田はそのままでいいから」


 俺の方から、彼女の視界に入る場所まで動く。


 クラスの連中が騒いでいたとおり、あの長かった髪の毛が男性よりも短く切り落とされていた。


 後で廊下で待っていた両親に聞けば、一昨日の検査が終わった後に自分で看護師にお願いしたのだという。


 あれだけ立派な濡羽色ぬればいろの長髪を地毛で維持するのは大変なはずで、それこそ原田のイメージを形作っていたものだ。


 それを切り落とすとは……。


 その時の心境を考えると、原田の覚悟と恐怖に怯える様子がひしひしと伝わってくる。



「先生……、私……、頑張れましたか……」


「そうだな。よく頑張ったぞ。疲れただろう。ゆっくり休め」


「はい……」


 それだけを話すと、満足そうに微笑んで再び目を閉じてしまった。


 今日はこれ以上負担をかけるわけにいかない。俺はそっと部屋を出て、彼女の両親にこれからも見舞いに来ることの許可を得た。


「今日は怖かっただろう。でも原田……、それを乗り越えたおまえは学校中の誰よりも強いんだ。そのことは俺が証明してやる」


 帰りの電車の中、俺はこの先どう彼女の気持ちを受け止めてやれるかだけを考えていた。

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