水曜日 12:20

ひとつめの焼き菓子

 でも、その階段の影にうずくまっていたのは黒白猫の男の子ではなく、骨と皮ばかりのおばあさん猫でした。


 おばあさん猫のせた体は、まるで、骨に枯れ葉をかぶせただけのように見えました。

 ひからびて、普通のおとなの猫の半分の大きさもありません。それで、ラディちゃんもほたるちゃんもファ〜ちゃんも、黒白猫の男の子と見間違えてしまったのです。


 それにしても、このおばあさん猫は、いったいどれくらいの間、食べ物を口にしていないのでしょう。 風が少し吹いただけでも、土埃つちぼこりになって飛び散ってしまいそうでした。


 ラディちゃんは大急ぎで肉球カーに戻り、焼き菓子フィニャンシェを持って戻ってきました。妖精猫のネコノメちゃんが、チョコペンで『ラディ』と名前を書いてくれた焼き菓子です。


「こんにちは、おばあさん。あたしは、ラディっていいます。おなか、すいていませんか? 良かったら、これを食べてください」


 ラディちゃんは、おばあさん猫に焼き菓子を、ゆっくりと差し出しました。急に動いたり、大きな声を出すと、おばあさん猫が吹き飛んでしまうと思ったからです。

 でも、おばあさん猫は焼き菓子を受け取るどころか、目を向けようともしません。

 声が小さかったから聞こえなかったのかもしれないと思い、ラディちゃんは声を大きくして繰り返しました。


「こんにちは、おばあさん。あたしは、ラディです。どうぞ、これを食べてください」


 でも、おばあさん猫は、やっぱり少しも動きません。

 ラディちゃんは、心配になってきました。おばあさん猫が眠っているにしても、こんな吹きさらしな場所で寝るなんて、体に良いわけはありません。それに、黄昏時たそがれどきになっても、このままでいれば、くらがりつばさにつかまって無言むごんふちに連れ去られてしまいます。


 ラディちゃんは、おばあさん猫の肩にそっと手を伸ばしながら、もう一度繰り返しました。

「こんにちは、おばあさん。あたしはラディ。これを食べてくださいな」


「何度も言わなくても、聞こえてるよ」


 ラビィちゃんは驚いて、手を引っ込めました。おばあさん猫の声は、体と同じにガサガサして、乾いた枯れ葉をむ音のようでした。


「それに、わたしは、まだ、おばあさんじゃないよ。おばあさんと呼ばれるほどには、歳をとっちゃいないよ」


 おばあさん猫は相変わらず顔も上げませんでしたが、それでも淀んだ目だけ動かし、ラディちゃんとラディちゃんの焼き菓子を見ました。

 でも、すぐに鼻と口をおおい、目をそらしてしまいました。まるで、 おばあさん猫にとっては、ラディちゃんの焼き菓子がくさって嫌な匂いをまき散らしているかのようでした。


「ごめんなさい」

 ラビィちゃんは、すぐに、おばあさん猫にあやまりました。


 おばあさん猫は、困って途方にくれているラビィちゃんに、さすがに、すまないと思ったのでしょう。

  

「いいよ、かまやしないよ。おばあさんと呼んで。仕方ないやね、だれだって、今のわたしを見れば、おばあさんにしか見えないだろうからね……」

 おばあさん猫は、苦しそうにゼイゼイと息をぎました。

「親切に、ありがとうよ、ちいさなおじょうちゃん。だけどね、わたしは食べることが、苦痛以外のなにものでもないんだよ。なにを食べても、砂をんでいるのと同じ。いや、砂ならまだいい。地上では、どんな食べ物も、わたしにとっては、吐き気をもよおす汚物でしかなかったんだ。それなのに、食べ物や飲み物を強要されて、薬やらなんやらまで無理矢理にとらされた。だから、うんざりしているんだよ。食べることなんて、もう、まっぴらだ。食べ物なんて、見るだけで、虫酸むしずが走る。食べたり飲んだりは、地上だけでじゅうぶんなのさ。だから、どれだけ歳をとって見えようと、おばあさんと呼ばれようと、かまやしない。もう、こりごりなんだ。わたしのことなんか、ほうっておいておくれ」


「そうだったんですね」


「そうやって、わかったような顔をしないでおくれ。おじょうちゃんたちみたいに元気な仔猫は、すぐにおなかがすくんだろ。なんでも、おいしく、食べられるんだろ。食べることが一番の楽しみなんだろ。あんたたちには、わたしの気持ちなんてわかりゃしないさ」


「ううん」ラビィちゃんは、首を横に振りました。「あたしもほたるちゃんも、おばあさんの気持ち、すごくわかります」


「だから、わかったようなことを言うんじゃないよ」


「だって、あたしもほたるちゃんも、地上では、自分ひとりではミルクを飲む力もなかったもの。だから、ミルクをもらう時は、カテーテルを口から胃に入れられたんだもの。だから、おばあさんとおんなじ。始めは、とっても苦しくて嫌だったよ。ねっ、ほたるちゃん」


「こんにちは、おばあさん。ごめんなさい。他の呼び方がわからないから、あたしもおばあさんと呼ばせてもらいますね。あたしは、ほたるといいます。緑の鳥寄宿舎学校中等科の1年生で、ラディちゃんのクラスメートです。ラディちゃんのいう通り、あたしも、とても苦しかった。どうして、こんなに苦しいのに、ミルクを飲まなきゃならないのかって思った」


 おばあさん猫は、やっと顔を上げました。

 その動きでポキポキッとおばあさん猫の体が音をたてて、仔猫たちは、おばあさん猫の首の骨が折れてしまったのではないかとヒヤリとしました。


「おじょうちゃんたちは、そんなつらい思いを地上でしていたのかい? 地上では、そんなに小さな体で病気だったのかい? それで、この街にやってきたんだね。遊びたい盛りだったろうに。かわいそうに……」


「はい、おばあさん。あたしとファ〜ちゃんは、病気でした。でも、ラディちゃんは違います。カラスさんに、おそわれたの」

「こんにちは、おばあさん。あたしはファ〜といいます。ラディちゃんとほたるちゃんとは、同じクラスで同じ班です。そうなんですよ、おばあさん。ラビィちゃんは、赤ちゃん猫の時、カラスさんに襲われて、生きたまま、目を突かれてお口の中を食べられちゃったんですよ」

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