12話 僕の、今世の僕の、大切ななにかが産まれた瞬間


さて、ここで冷静に状況を見直してみよう。


しんとなって数秒、誰も動こうとはしない。


動けないとも言う。


んで、部屋で固まっているのは……まずもって僕。


僕自身の名前だけ書いて、さああとは仮初めの名字も……ってところでびっくりして、そのまんまな姿勢で硬直していて。


そして僕のとなりには、きっと僕の頭からのぞき込むように……僕が万が一にでも文字を書き間違えたりしないようにって、食い入るようにして見ていたはずの黒おっさん。


ふがふが言っていたのがすぴすぴになっている。


その斜め向かいには……中堅どころで、特に変な野心もなければ悪事を働くリスクのほうを警戒するっていう、しごく真っ当な商人さん。


息子さん(7歳:ショタっ子)のお嫁さんを探しているのを知って、その目を僕へ向けさせるためにあれこれしたお相手の人。


僕は16くらいなのにな。


なのに7つでも通じてしまう悲しさ。


直接の面識は……たぶんないからだろうけど、僕の歳を知らない以上はしょうがない。


知っている人も、よく僕に「今年いくつになったん? そろそろ11、12になるのかな?」とかのたまってきていたしな。


……だからろりろりふりふりなカッコはイヤなんだ。


ま、そもそもがちみっこいからしょうがない。


お役目でとにかく着せられるしな。


んで現実に戻ると……いつの間にか黒おっさんを囲むようにして剣を抜いているのは護衛の人たちで、隅で固まっちゃったのがメイドさんたち。


そして。


……扉を、……木製とはいえバカでかくって、しかも蝶番ごとぶっ壊して入ってきたムキムキな兵士さんが何人か、こちらも武器を構えて両脇に。


………………………………その扉があったとこのど真ん中には、きん、と、サーベルを収めて僕の隣の悪玉と、そして――――――――――――――――――僕を見つめている女の子。


背が高くって髪の毛もそれに負けないくらいに長くって、きらきら金色で、つり目で、お胸は慎ましやかで……だって鎧ではっきり分かっちゃうじゃん?……で、美しいおみ足も覗いていらっしゃる、お美しい人。


それが、僕がジュリーさまを初めて見た瞬間。


つまりは天使な女神さまのご光臨ってわけで。


「……………………間に、合った。 ……間に合いましたわっ…………!」


かつ、かつとこちらへ向かい始めると、兵士さんたちの距離も縮まっていく。


「………………………………あ、貴女は………………………………っ!?」

「……その甲冑の紋章と、ご容貌。 もしや貴女様は、ご領主の」


「ご無沙汰しておりますわ。 何時ぶりでしょうか? ……そのご様子ですと、私のことを覚えてくださっていたようですね? ………………………………光栄ではありませんけれど」


「………………………………じ、ジュリーさま………………………………」

「こ、これは、失礼致しました! 未だ拝謁の機会を得られなかったため、ご挨拶もできませんで。 私は」


「その前に、私の話を聞いてくださるかしら? ………………………………妙な動きをされないでくださいまし? でなければ斬ってもよいと、王と父からの命を受けておりますの」


僕はようやくこの時点で、あ、そういや僕が育ったこの領地一帯は公爵さまのものってのを改めて思い出して、で、その娘さまがジュリーさまって言っていたような、って思い至ったわけだけれども。


「………………………………それで、これはどういうことなのかしら? うちの領、それも白昼堂々と。 私の小さい頃からの友人のひとり、リラさまを。 ――――――――――金と権利で売り払うとは、いい度胸をしていらっしゃいますわね?」


「畏れながらジュリーさま、それは、こちらの不幸な身の上のリラさまを不憫に思われ、保護され、養子にされてからの……うちの息子との婚約のためという、あくまで善意のご仲介で」


かつ、と目の前……上だけど、来て立ち止まったジュリーさまは、ほんっとに疑うことを知らない……だからこそ中堅の下から昇れないでいる彼を、哀れむように見下して。


そんでもって、僕のちょい後ろのあたりを、そりゃあもう今思いだしただけでもぞくぞくするような、ゴミ以下のナニカを見る様に見据える。


「………………………………公爵家どころか王国に対し、官僚を抱き込んでの大規模な不正な書類作成と認証。 それに流行病を特定の地域……それもひとつやふたつではなく……に振りまき、さらに足りないと見るや毒を盛り、止めに火を町に放つことによって千を下らない人間を死に至らしめ、万を超える人々を路頭に迷わせ。 そちらのリラさまだけでなく、めぼしいところの財産をどさくさ紛れのように見せかけて用意周到に巻き上げた大量殺人犯。 ――それが、このお方……いえ、人以下ね、その正体ですわ」


「そ、そんなっ!? それではリラさまとうちの息子との件も、まさかっ」


「えぇ。 それと、これに比べたら些細ではありますけれど、それでも自身の息子の嫁を、…………例え謝礼という形であったとしても、買おうとした貴方もまた、人身売買に加担していると見られても仕方がありませんわ。 ……まぁ、未遂で済みましたし、これと比べられない以上には大した問題にはなりませんけれども。 ――――――――――ねぇ、そうでしょう?」


僕に言っているはずじゃないのに、それでもまるで僕が言われたかのように感じて心の底からいっそうにぞくぞくさせられるジュリーさまの、本気の声。


罵られて蔑まれたいっていう……前世では理解できなかった性癖が、僕の中に芽吹いた気がしなくもない、いやいや僕はなにを考えているんだ、今ものすごくシリアスしてるのに。


で、黒おっさんがなにかを言いかけるたびに周りから剣が伸びてきて、ひっ、とかしか言えなくなったらしい黒さんへ、ジュリーさまがたたみかける。


あ、こら黒おっさんやめろ、僕に抱きつくな。


「……まったく。 そろそろ私も家の仕事の手伝いを、本格的にしなさいとお父様から仰せつかり……、けれども私もまだまだ小娘、できることと言ったらまずは地方からの陳情などを選別する作業から始めるように……と判断し、始めたのです。 それから随分して慣れてきて、他のお手伝いの合間にしていたわけです。 ですからこうして間に合ったのだけれども。 …………さあ、ここまで言えばもうお分かりでしょう? 貴方は、貴方の使用人や知己の方々からの……人を殺してまで財を成そうとし、それを達成してしまった貴方を止めてほしい、そしてそれを止められない自分たちをも救ってほしいという、悲痛な訴えがあったのですわ。 それは、貴方を知る人々から、たくさんに」


しゃらん、とサーベルをもういちど抜くと、僕のほう……じゃなく、僕の手を引こうとしていたらしい悪いやつの手を、ひゅんっとひっぱたくジュリーさま。


血が降ってこないし、叫んでもいないから峰打ちってやつかな?


はるか頭上で繰り広げられているから見えんけど。


というかサーベルだから横は大丈夫なのかな?


知らないけど。


「えぇ……急ぎで、昨夜は眠ることもなく精査を続けながらこちらへ駆けてきましたわ。 夜通し馬の手綱を引きながら……などという経験は、なかなかに大変でしたけれど。 もしこれが本当なら前代未聞の事件ですものね? ………………………………嫌な予感というものは当たるもので、届いてくる報告は、それはそれはもう……聞いているだけでも気持ちが悪くなるほどでしたわ。 馬上で吐いてしまったらどうするおつもりでしたの」


もっかいサーバルがきらりと光って……ぱちんと腕にしっぺ食らった感じの音がして、それでようやくに僕から離れて立ち上がったらしい黒おっさんの気配と、それに向けて先を突きつけるジュリーさまを、下からぼーっと見上げている僕。


今度は真上を見上げる形になっているから、はっきりと見える。


僕の前髪が、さらりと上に垂れる。


ジュリーさまの髪の毛が、目の前にきらきらと垂れている。


「………………………………リラさまの。 その方の前ですから、今は罪状をいちいち確認したりなんかはしませんわ。 どうせ、それはこの後すぐにでも追いついてこられるでしょう、父の使いの者から、みっちりと受けるのでしょうからね。 ………………………………ですが、ひとつだけ。 私は、リラさまのこの件に関してだけは――――――――――――絶対に、許しませんわ。 貴方が、どうなろうとも」


「………………………………ジュリーお嬢さま。 この後のことは」


「………………ふぅっ、分かっています。 これ以上はただの、私のやつあたりですものね。 ……父の、この領では厳密な捜査と裁判をするのですし、これだけの大事件ですもの、何年かそこらで死なせたりはしませんわ。 ……せいぜい貴方が利用した裏の世界の情報と、貴方と繋がっていた他国の間者の情報を惜しみなく正直に述べることですわ。 ………………………………そうすれば、牢の中とはいえどもすぐに死ぬことはなく、公開処刑も免れる……かもしれませんわ。 ………………………………もっとも、かも、ですけれども。 それでは貴方達、あとは任せてもよろしくて?」


ぼけーっとジュリーさまの……そのお口元を見ながら座っていた僕の周りで、武器を捨てる音とか、情けなく命乞いをしている声とか、そんな事情だったとは知らずに僕を買うことになってしまうかもしれなくてごめんだとか、そんな、どうでもいい音が耳には少しだけ入っていたけど、それは……うん。


僕は、救われた……………………………………………………………………、らしい。


実感はまだないし、なんだからふわふわしてよく分からなくなってきたけども。


僕がどうあがいてもどうしようもなくって、……せいぜいがマシなところへドナドナされていく運命しかなかった僕が、そして、女として産まれてしまったばかりに……マシかもしれなかったとはいえ、結局はぐへへな目に遭う運命しかなかった僕が。


ジュリーさまって言う、ちっちゃい頃にどっかのパーティーで、ゲストとしてちょびっとだけいらっしゃっていてちょびっとだけおはなしした……かもしれなくもない記憶があるような気がするご令嬢さま……しかも、実質的にはお姫さまみたいなお人、あ、いや、お方。


そんなジュリーさまが、僕を、すんでのところで救ってくださった。


………………………………そして。


いつの間にか僕の手がぎゅっと包み込まれていて、あったかいなって思ったとたんにがばっときつく……鎧で痛いけど、愛ゆえだから致し方なし……抱きしめてくださった、ジュリーさま。


「ごめんなさい……ごめんなさい! 私、なにも知らなくって!! もう少し、お父様からのお仕事を後に回していたり、あるいはもう夜も遅いからって、朝に回してしまっていたら!! ……貴女のなにもかもを、貴女自身さえも失ってしまうかもしれませんでしたの! 気がつけて、嫌な勘がして、それに従って、休む暇を惜しんで駆けつけて、………………………………間に合って。 本当に、それが私、嬉しくて、同時にリラさまに対して、申し訳なくって、私っ………………………………!」


顔を押してくる鎧のお胸のところが痛い。


けど、僕を包み込んでいらっしゃるそのお体は、震えていらして。


声もなくしゃくりあげていらして、それで、頭に温かい……涙が、ひとつ、ふたつと止まらなくなって。


温かくて、暖かい。


………………………………………………………………………………………………。


世界は、広い。


きっとこの程度なんてのは、些細な悲劇だったのかもしれない。


けれどもそれは、僕にとっては、なによりも大切なもので。


だから、ジュリーが僕を救ってくださったこの瞬間が、僕の今世の人生の。


………………………………実質的な始まりだって言ってもいいのかもしれない。


だって、こうして抱きしめられている僕の心には、ある想いが産まれて。


僕の人生の方向は決まったんだから。


――僕のすべては、僕を救ってくださった、ジュリーお嬢さまのためだけに、って。


そう決まったんだし、僕自身がそう、決めたんだから。

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