第75話 そんなの……ズルい。


「竹中さん、申し訳ないですけどお願いできますか」

「近藤さんも入れないですね」

「今まで誰も入れなかった場所なので、正直嫉妬しています」

「嫉妬……?」


 真顔で頷く近藤は芽依に右手に大量のラムネ菓子、左手に水を持たせてくれた。

 重いのですぐそこまで……と秘密基地の前で渡されたけど、それでも重たい。

 でも芽依しか入れないと言われると引き受けるしかなかった。

 今までどうしていたのか聞いたら「今まで二週間連絡が取れないことはありませんでした」と言われた。

 なるほど、緊急事態ね。


 体育館で撮影して数日後……芽依は航平の姿を見ないことに気が付いた。

 学長室を何度覗いても居ない。スケジュールを見ると会議の予定がすべて後ろに飛んでいた。

 仕事に戻ると言っていたし、何か忙しくなったのね、と芽依は思った。

 そこから更に一週間経って、近藤が芽依を呼んだ。

 「竹中さんは、あの基地に入られたんですよね?」と。



「耳、ね」


 芽依は秘密基地の前で髪の毛を耳にかけて認証させる。

 すると鍵が開いた。耳の形で認証するシステムなんて知らなかったけど、顔認証よりプライバシーを守り、指紋のように接触しなくてもよい方法なのだと聞いた。なるほど。

 階段が急で危ないことを知っていたので、まずラムネから運ぼうと思った。

 上から見ると……ソファーで眠っている航平が見えた。

 近藤は「集中すると食事どころか、水も飲まない方なので心配なんです」と言っていた。

 確かに前行った時も、食べ物はラムネしか無かった。

 そして……すごい状態。前きた時の数十倍散らかっている。

 散らかった紙を避けて歩くのは無理だと判断。

 階段の上で靴を脱いで靴下の状態で紙を少し踏みながら歩いた。

 まず生存確認。ソファーに近づくと航平が……息をしている。うん、生きてる。

 それを確認したら、ラムネを置いて、また上に戻り、一度掲示板で近藤に連絡を入れた。


『寝てます』

『良かったです。では、とりあえずそのままで。あと二日は確保しましたので』

『わかりました』


 次に両手に水を持ち、ゆっくり降りた。起こす必要がないなら、眠らせてあげたい。

 近藤曰く、近くに置いておけば勝手に摂取して仕事するらしい。

 天才はすごいわね。水とラムネを置いて……ポケットにあった莉恵子が大量買いした蜂蜜の飴も置いた。

 栄養がある気がするわ。

 ミッション終了!


 芽依はソファーで眠る航平を見た。

 服装はあの芽依が泣いてしまった時のワイシャツだ。ワイシャツを着て眠るのね。眠りにくそう。

 腕の所がクシャクシャになっていたので、それを直そうとして手を伸ばしたら、クッ……! と腕を掴まれた。


「?!」

 起こしちゃった?!


 航平は芽依の腕を引っ張って、そのままソファーに引き込んだ。

 両腕で抱き込むようにソファーに包み込み、仕上げに足で抱え込まれた。

 もう完全に両腕、両足で抱え込まれて身動きが取れない。


 ……ちょっと、これは、どうすれば。

 なんとか顔をあげて表情を見ると……完全に眠っている。


 寝ぼけてるのね……逃げようとして、航平の身体の冷たさに驚いた。

 航平は体温が高く、身体が熱い。背中も、繋いだ手も熱かった。

 毛布をかけずに寝たから、身体が冷えたのね。

 芽依は背中側にあった毛布を、よいしょ、よいしょ、と持ってきて、自分と共に航平を包んだ。


 身体が冷たい。

 風邪ひいちゃう。

 芽依が風邪をひいたときに航平がレゴを差し入れてくれたことを思い出して少し笑ってしまう。

 くっついて毛布にくるまっていると、航平の体温が少しずつ上がってくるのが分かる。

 

 顔を少し上げると、目の前に航平の顔がある。

 ものすごく疲れてて、薄くヒゲが生えてる。二週間くらい籠もっててこれくらいだからヒゲが薄いのね。

 それに痩せたわ。こんなに疲れた表情は初めてみた。

 そうね、初めて。その事実に少し驚く。


 最初に会った時は雑草まみれで楽しそうだった。

 そしてカルタ大会の時も楽しそうに目を輝かせていた。

 学長室はレゴだらけで、畑には変なマシンが溢れる無邪気な天才。


 でも……と芽依は顔をあげて顔を見る。

 この部屋でお母さんの話をした時の航平は、悲しいそうでも辛そうでも無くて『無』だったのが気になった。

 本当に『無』。辛そうに話してくれたら、まだ良かったのに。気になってしまう。


 胸もとのワイシャツを握ると、航平が抱き寄せてくる。

 温かい。溶けちゃうみたいに気持ちがいい。


 頭をうずめて思う。……ズルい。

 助けてくれて弱みをみせて秘密を共有して……二週間音信不通。

 それにこんな風に抱きしめられて……気になってしまう。

 こんな疲れた顔を見せられてかわいいと思ってしまう……困る。

 

 身体も温まってきたし、上手に抜け出そう。

 そう思ってモゾモゾ動くと、航平が更に芽依を強く抱き寄せた。

 アゴの下に引き寄せられて、熱い身体に飲み込むように強く、強く抱きしめてくる。

 それとは対照的に、震えるような漏れだすような細い声で言う。


「……芽依」


 答えないと消えてしまいそうで、思わず答える。


「はい」


 航平は芽依の頭を引き寄せて心配そうに言う。


「……芽依」

「はい」


 今度はアゴをスリ……とすり寄せながら、赤子を引き寄せるように甘い声で


「……芽依」

「はい」


 その『芽依』という呼び方は一律ではなく、どうしよもなく、色んな芽依だった。

 ……どんな夢を見てるのよ。

 想像するだけで心の真ん中が苦しくなって、芽依はモゾ……と逃げ出した。

 パーカーは握って離してくれなかったので置いていくことにした。

 静かな寝息……再び深く眠ったようだ。

 毛布を整えて建物を出ると、近藤が待っていた。

 髪の毛を整えながら、口を開く。


「顔色はそれほど悪くなかったです。体温が低かったので毛布をかけてきました」

「ありがとうございます。……大丈夫ですか、竹中さん。顔が赤く、発熱傾向が見られます。検温されたほうがよろしいかと」

「……大丈夫です。ちょっと、暑くて。暑いですね、今日。ものすごく暑い」

「今日はわりと気温が低いですが……」


 近藤は心配そうに芽依を見て言ったが、芽依は暑くて暑くて、胸もとのTシャツをパタパタさせて風を送った。

 耳の奥には航平が「芽依」と囁く声が、ずっと残っている。

 ……ズルい。

 ものすごくズルいわ。

 跳ねるように暴れる心臓を服の上から握った。






「……やっぱり私も行くんですね」

「芽依さん、私は高速道路は運転しないって決めてるんです!!」


 有給を頂いた平日……芽依は車を運転していた。

 中には雨宮家のお義母さんと、結桜が乗っている。

 週末のよさこい祭りにお義母さんも出るのだ。それは楽しみなのだが……

「お義父さんが見たいらしいので、仕方なく車を出すから、運転しなさい!!」というよく分からない方法で呼び出されたのだ。


 お義母さんも車の運転ができるのだが、それは小さな車限定のようだ。

 お義父さんはリハビリをやめてしまい、車椅子で生活しているらしい。

 だから車椅子を乗せられる大きな車をレンタルした。

 車の運転は好きだし、それは良い。

 でもお義母さんの「私が迎えに行くんじゃないんですからね!!」という態度が少し笑ってしまうのだ。


 そして、会った瞬間から、この前のことを謝られた。

 拓司の奥さんが育児をしなくて、子ども置いて遊び回ってるらしい。

 また離婚になるかも知れないけど、そんなこと芽依に話せなくて黙っていたようだ。

 そりゃあ……知らないわよそんなの、としか言いようがない。 

 それにお義母さんはほぼ被害者だ。趣味がしたいのに育児を頼まれているようだ。

 清々しいほどの残念男で、離婚して良かったと心底思う。

 

 お義父さんがいるのは千葉の奥のほうにある施設だった。

 高速からニ十分ほど海沿いの道を走ったところにあり、一番大きな街には病院もあるようで安心だった。

 施設には連絡を入れて置いたので、受け付けに行くとすぐにお義父さんが出てきた。

 ここまで来たら、仕事終了。

 結桜とふたりで、施設の奥にある海が見える公園に行くことにした。

 外海だから波が大きくて、それでいて海に匂い……なにより空が広くて気持ちがいい。


「わああ~~~~! すっごく気持ちがいい。靴脱ぐ!!」


 そう言って結桜は裸足になり、浜辺に走って行った。

 芽依はベンチを見つけて結桜を見ていた。

 結桜は将来の夢を美容関係に決めたらしく、高校は「カワイイをたくさん摂取する!」と決めたようで、勉強に励んでいる。

 夢があるなんてすてき。

 結桜がスマホを持って芽依のところにきた。


「ねえ、彼氏に写真送りたいから撮って」

「?! なにそれ、説明して!」

「おばあちゃんと同じ反応~~~。えっとねえ、彼氏は大学生で、インスタで知り合ったの」

 

 そういって結桜が見せてくれた男子は、前髪が斜めのものすごく長くて化粧をしているように見えた。

 なんだか肌がラメラメしているように見える。

 そしている場所が、飲み屋に見えるけど?


「結桜、これ飲んで……」

「ないよーー。彼氏が絶対に飲むなって! 結桜のこと大切にしてくれてるんだからね~」


 大学生でお酒が飲めるってことは二十歳。

 二十歳の子が十五になった子と付き合うって普通のことなのかしら。気になる。


「……結桜、彼氏をよさこい祭りに呼ばない?」

「誘ったの。来るって! あのね、家の人がくるイベントに彼氏呼んで、来たらマジカノなんだってー」


 結桜はうれしそうに言う。

 マジカノ。知らない言葉だけど、真剣な付き合いとか……の意味よね。

 その前にやっぱり大学生が十五才と付き合うのは……駄目よ芽依、頭が固いわ。

 結桜は楽しそうに続ける。


「友達とアパレルの会社するんだって! ほら、これもそうだよ」


 そう言って結桜はTシャツを見せてくれた。

 普通の写真がプリントされた服に見えるけど……とりあえずサイトを写真に撮った。

 ものすごく調べたい、もう帰りたいわ。


「結桜、帰りましょう」

「夜ご飯にお刺身美味しいお店、おばあちゃん予約してるよ。行こう~~」


 結桜は足の砂を雑にはらって、サンダルを履いた。

 施設に戻ると、入り口の部屋でお義母さんとお義父さんは黙って向き合っていた。

 芽依は早く帰りたくて口を開いた。


「お久しぶりです、お義父さん。結桜の彼氏ができたのをご存知ですか?」

「え?! どんな男だ?」


 それまで黙っていたお義父さんが顔を上げた。

 お義母さんはドヤ顔で口を開く。


「大学生、二十歳です」

「なっ……年上すぎないか?!」

 戸惑うお義父さんに芽依は畳みかけた。

「前髪が長く、お化粧をされています」

「それは……最先端、だな」

「てか、化粧はしたい人がすれば良くない?」

 結桜の言葉に、お義母さんもお義父さんも芽依も、結桜を見た。

 た……確かにそうね。その通りだわ、頭が古かった。

 芽依はお義父さんの荷物を持って口を開いた。


「よさこい祭り、結桜の彼氏もくるそうです」

「うん。行こうかな、うん」


 お義父さんは車椅子を動かし始めた。お義母さんがそれを自然と手伝う。

 ふたりは無言だけど……それでもそれで『きっと良い』のだ。


 三人を車で送って自宅に帰った。

 検索を始めたら莉恵子が帰ってきたので、一緒に調べた。

 彼氏さんが運営しているブランド名は『ナイト』で漢字で『騎士』と書くようだった。

 甲冑のようなTシャツや、後ろにこう……ふさふさが付いた帽子を売っていた。

 この服装でよさこい祭りに来るのかしら……? 

 それを見た莉恵子は口からチータラを垂らしたまま、薄くほほ笑むだけだった。

 ちょっと莉恵子! とりあえず会わないと何も分からないわ!!

 ぎゃーぎゃー騒いでいたら航平からポン……とLINEが入った。


『色々受け取った。ありがとう』

「……どういたしまして」


 芽依は小さな声で答えた。

 よさこい祭りは週末。

 それまでに航平のお仕事が終わればいいけど。

 芽依はスマホを見ながら思った。

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