第73話 触れたくて


 ここ数日、雨が降り続いている。

 雨に抗う行為が何千年経っても『傘』という非力なアイテムなことをたまに考える。

 人間の片手を奪うのが非効率すぎて、防水性が高い上着を着ることも多い。

 ゴアテックスは本当に素晴らしい発明だよなあ。

 航平はそんなことを考えながら、外をぼんやりみていた。


 目の前のPCにはずっと『Crappy Hibiscus』……タービンコアの設計図を出している。

 馬場のじじぃに直接連絡を取って「なんだこれは」と言いたいが、それは『負け』だ。

 何か理由があって喜代美経由で航平の所に来ているはずなのだ。

 データの中に答えが必ずある。

 はじき出された演算の数値を見てため息をつく。


「……また駄目だ」


 もうずっとだ。

 このデータを渡されて一か月、毎日3Dモデルをイジって演算をかけ数値を出しているが、やはりおかしい。

 どうしても『この設計図通りに作っても、現在発表されているデータより下回る』のだ。


 設計図から実機になった時点で流量推定誤差は当然マイナスになる。

 机上の論理通りにいくはずがない。

 だが、今は設計図通りに3Dモデルを演算にかけているだけ。

 それなのに発表されているデータより下回っているのは、変なのだ。


 つまり設計図通りに俺が作れてないことになる。読み込めてないんだ。何かが抜けている。

 ずっと分からなくて、頭が痛い。

 気分転換にコーヒーを入れに立つと、外から日向ミコの声が聞こえてきた。


「芽依ちゃん先生、濡れちゃうよ~~」

「傘さしてるから大丈夫。ほら、やってみて!」


 体育館の外に芽依が見えた。

 芽依は外でスマホを持ち、中を撮影している。

 傘をさしているが、現時点で右半身が濡れている。

 ちゃんと傘をさせ、なにしてるんだ。


「……また風邪を引くぞ」


 航平はひとりごとを言った。

 そしてPCの電源を落として、学長室を出た。




 秘密基地に行った時、憔悴した芽依を見て自然と晶子の話をしていた。

 今まで一度だって話したことはなかった。それは子どもの頃、岳秋が泣きながら言った言葉が大きい。

 「怖い、航平のお母さん変だよ、怖い」

 それを聞いて自然と思った。

 『じゃあそこから生まれた俺も怖いよなあ』

 それからずっと誰にも言わずに暮らしてきた。


 晶子がヤバい奴だって事は表立って知られてないし、俺という天才のマイナス要素でしかない。

 言う意味も価値もない。


 何かを作っていれば楽しいし、間違いのない才能、認められていく世界と仲間たち。

 ひとりで空回りしてる哀れな女なんてどうでもいい。

 本気でそう思っている。


 でも口にしてみたら、何かが溶けた。

 集団精神療法は知っているが、なんで何も知らないヤツラの前で話をしなきゃいけないんだと思っていた。

 でも何故か芽依には話せたし、芽依の話も素直に受け取れた。

 そして……心の真ん中が楽になった。


 芽依から聞かされた話は、どうしようもなく腹立たしく、思い出すたびに苛立つ。

 あまりに腹がたったので、菅原のコネで治安が悪い海外の関連会社にぶっ飛ばして何年も塩漬けした後に借金背負わせてそのまま潰してやろうかと思ったけれど、芽依は離婚したのにその家族と深く付き合っているようだったのでやめた。

 無駄に傷つくだけなのに……どこまで人が良いんだ。


 それに……まさか泣くなんて。

 暗い部屋の中で、真ん丸な瞳からぽろぽろ流れる涙が、忘れられない。もう何度も思い出している。

 脳内で泣く芽依を思い出すと、涙を拭いてあげたいのに手が伸ばせなくてつらい。

 それなのに自分の真ん中にあるものが解けるような、包まれた感じがする。

 そのたびに、芽依と居たいと素直に思う。

 芽依は俺を恐れない。

 それがとても楽なんだ。

 

 芽依のことが心配で仕方ない。

 また元旦那が近づかないか心配だし、また泣くのではと心配だし、濡れたら風邪をひくのではないかと心配だ。

 すべてにおいて無防備すぎる、もう心配しかない。


 でもこのままじゃ駄目だ。これ以上近づけない。

 全く謎が解けないままなんだ。

 このままじゃ菅原のコマにされて終わる。

 そんなの絶対にイヤだ。




 大粒の雨が降っている外に、傘をさして出た。

 そして芽依が撮影している所に後ろから近づく。

 体育館の中ではよさこい部が衣装を着て本戦用の踊りをしている。

 それをスマホで複数の場所から撮影しているようだ。

 音も使うかもしれないので、航平は無言で芽依の横に立って傘で守った。

 自分は部屋にあったゴアテックスを着てきたので濡れないが、芽依はもう右半身が濡れていた。

 この前風邪で寝込んだのに、自己管理が甘すぎる。


 航平は体調を崩すと思考が鈍って楽しくないので、食事や運動には気をつけている。

 体調不良で寝込むと、部屋でただひとりレゴを作っていた『頭の回転が鈍った』時間を思い出すのでイヤなのだ。


 芽依はスマホで撮影しながら、航平に気が付き、表情だけで感謝を示した。 

 真ん丸な目を何度もパチパチさせて猫のようだ。

 わかった、わかった。スマホがぶれるぞ。

 航平はアゴをツイと動かして前を向くように促した。

 音楽が終わって、芽依は録画を止めた。

 そして立ち上がり航平に頭を下げた。


「ありがとうございます」

「拭け。また壊れるぞ」

「あ、すいません。でもスマホって防水なんじゃないんですか?」

「芽依、あのな。防水っていうのは……」

「芽依ちゃん先生、どう~~~? あ、学長だ、こんにちはー!」


 芽依にちゃんと生活防水と防水の差を説明しようと思っていたが、日向ミコが飛び込んできた。

 菅原学園は芸能人の在籍率が高い。

 移動や待ち時間が多い芸能人たちは、隙間に勉強をして単位を取得、そして空いた時間で学校に遊びに来ている。

 自動的に菅原に入学になる事務所もあると聞いた。航平としてありがたいし、勉強など集まってするものではないのでこれが最適案だ。

 集まってするなら『何か楽しいこと』だろう。

 芽依はスマホで撮れた映像を持って体育館の中に入って行った。


「たしかにこういう少し違う場所で撮った映像とか入れるといいかも」

 芽依は動画を見ながら言う。

「蘭上の動画いつも派手じゃん。編集得意でしょー?」

 日向ミコが蘭上のほうを見て言う。

「あれを俺が作れるわけないじゃん! プロに頼んでるんだよー。でも学校だから金で頼んだら駄目なんだもんなあ。誰が編集ソフト使えないの?」

 蘭上は映像を見ながら言う。

 その輪の外にいた気の弱そうな男の子がおずおずと手を上げた。

「あの、僕、動画編集、できます」

「マジでーーー?!」

 日向ミコは小学生の前で膝をついて顔を覗き込んだ。


 男の子は鞄からノートPCを出した。お、あれはDELLの最新型。かなり高いな。

 航平は壁際で見ながら思ってしまう。ノートPCをチェックしてしまうのは、もう趣味だ。

 あれなら動画編集ソフトも余裕で動くだろう。

 男の子の周りに子たちが集まり、映像を集め始めた。

 男の子は気弱そうだった雰囲気から一変して笑顔を見せている。

 普段関わらないであろう子たちが、こうして一つの目標に向かって歩んでいく姿……そして何かひとつ、誰かに認められると、それは人生の種になる。

 そんなのがたった一つあるだけで、生きていけるものだ。

 見ていると横に芽依が来た。


「本戦に出場する学校はWEBに出場校説明の動画が出す必要があるんです。それで作ってたんですけど……クッション!!」


 横で説明していた芽依が大きなくしゃみをした。濡れたからだ。

 航平は掴んで持ってきたパーカーを手渡した。


「ずっと借りていて悪かった。これを着ろ」

「あっ、存在を忘れてました。じゃあちょっと着替えてきますね」


 芽依は舞台の裏に隠れて、着替えて戻ってきた。


「すいません。たすかりました」

「そもそも俺が借りたままだったのが悪い。洗濯しようと思ってそのままだったが……大丈夫か。匂わないか」

「いえいえ、全然平気ですよ。ていうか……」 


 芽依はパーカーの胸もとを掴んで少し持ち上げて目を細めた。


「航平さんのワイシャツと同じ匂いがします」

「……そうか」


 身体中の血液が熱くなるような感覚に航平は目をそらした。

 そもそも洗濯してなかったのは、返すつもりが無かったからだ。

 仕事で疲れた時に学長室でこっそり羽織ったりしていた。

 でも濡れている芽依をみて反射的に持ってきてしまった。

 借りたものを返したのに、俺に返してくれと思ってしまう。

 ちなみに芽依が抱きしめて泣いたワイシャツは、当然基地のソファーに置いてある。

 クリーニングなど出すはずがない。あれは俺のものだ。

 芽依は続ける。

 

「あの子、弘樹くんって言うんですけど、踊りは得意じゃないけど、よさこい部に入りたいって来てくれた子で。色んな雑務とか申請とかしてくれるんです。踊れないけど楽しそうだからって。前の学校ではいじめられたみたいだけど……ここでは楽しいって」

「そうか。間口を広く取ると、色んな人が集まってくる。大変だと思うが芽依なら大丈夫だろう」

「私も踊れないので気持ちが分かります。あ、そういえば……酷いんですよ! うちの部は蘭上とミコがいるから目立つじゃないですか。だから予選の前にスパイみたいなのが入りこんで練習風景撮られちゃったんです。それは影山さんが消してくれたんですけど」

「あははは!! 影山も手伝ってるのか」

「ミコのTwitterのDMに入部届を出してくれた正式な部員です。影山さんが盗撮は消してくれて。その代わりに、私が踊ってる動画が勝手にUPされたんですよ」


 そう言って芽依が見せてくれた動画を見て、航平は噴き出すのを我慢する代わりに軽く咳払いをしてしまった。

 本当に踊れないと申告通り、周りの人と真逆な動きをして……芽依が画面から消えて行く。そしてよく分からない方向から入ってくる。

 人は見た映像をそのまま処理するタイプと、それを自分の脳内に反転させて演じることができるタイプに分かれるが、芽依はそのまま動くタイプのようだ。

 そして自分が何をしているのか理解しているが、それに合わせて身体を動かすことができない。

 それがダンスが苦手ということだ。

 正直かなり面白い。


「……これは影山に言えばもらえるのか」

「航平さん!!!!」


 芽依が口を思いっきり膨らませて怒った。ああ、可愛いな。

 これが『可愛い』なんだと思う。普段見せている顔と、別の表情を見ると、人の中に幅ができるんだ。

 その振れ幅が大きいと……そう思うのだろう。


「……饅頭みたいな顔になってるぞ」

「もう!!」


 むくれている頬が可愛くて思わず手を伸ばして頬に触れそうになって手を引っ込める。

 もう自然と手が触れたくて動いてしまう。軽くふって誤魔化す。

 芽依は続ける。


「でもこのフェイク動画のせいで、菅原の教師が下手くそだって話が盛り上がって盗撮は消えました。本当に影山さんって情報操る天才なんじゃないですか。でも酷いですよーー!」


 予選は規定曲を踊って審査されたと聞いた。 

 だからライバルの情報を知ろうとスパイが出た。それを影山がフェイク動画で誤魔化したのか。

 さすが影山、カルタ大会の時もフェイクを流したと見せかけて……。


 そこまで考えて、航平の頭に何かが閃いた。

 フェイクデータで、誤魔化した。


 そうだ、その可能性を脳内から消していた。

 当然だ。馬場からきたデータだから、完成品だと思い込んでいたからだ。

 でも『正式なルートで来たものではない』。

 

 つまり。


「……芽依、仕事に戻る」

「おつかれさまです」


 芽依に見送られて航平は学長室に走って戻った。

 間違いない、筋道が見えた。

 

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