第42話 君の未来を信じてる

「莉恵子さん、完全にコーヒーショップの店員に見えますよ」

「いるよね、こういう人」


 莉恵子はメガネをクイと持ち上げて背筋を伸ばした。

 今日から『星を飲む少女』の撮影が始まった。

 莉恵子のチームだけではなく、街中を使って撮影するグループ、すべてが来ている大規模なものだ。


 場所は新幹線が停まる駅から一時間ほど移動したそれなりの規模の町。

 地方都市は都内にあるチェーン店はすべてあるので、撮影に便利なのだ。

 最近は映画や映像作品に協力してくれるフィルムコミッションが活発になっていて、昔と比べると本当に楽になった。

 莉恵子が入社したばかりの頃はまだ「撮影……?」という怪訝な顔をする所も多かった。

 しかし撮影した場所を訪問してくれる人たちが予想以上にいることが知られてきたのが功を奏している。


 でも場所は借りられても、その店の人まで借りることは不可能だ。

 だから現場のスタッフが出演することが多い。

 今回は街中のロケが多いので、莉恵子はコーヒーショップ店員から、スーパーのレジ係、それに旗持ちおばさんから、看護婦まで、多種多様なコスプレをすることになっている。身長と体重が普通なので使いやすいのだと毎回言われる。

 プロデューサーはロケに入ってしまうとやることがないので別に構わない。

 小野寺は、スマホに入った通知を見て立ち上がった。


「あ。この後雨雲来るみたいで、先に路面の撮影入るみたいです。行ってきます」

「がんばって」


 小野寺は店から出て、目の前の道路で沼田と神代が撮影している所に合流した。

 今撮影しているのは沼田が演出しているものではないが、沼田はすべての撮影に自ら望んで立ち会っている。

 大変じゃないかと聞いたら「すげぇ楽しいぞ」と言っていた。これほど大規模に演出監督クラスが集まる仕事は珍しいので気持ちは分かる。

 撮影を見ていたら、横からマグカップが差し出された。

 同じようにコーヒーショップの店員役をさせられる葛西だ。


「出来ました。ラテのミルクましまし、砂糖なし」

「葛西って本当に器用~~。商品みたいに上手に作れてるじゃない」

「このレシピ分かりやすいですね。チャート式になってるんで、良いです」


 お店の商品は使った分だけ後で使用料を払うことになっている。

 葛西は興味深々で色んなドリンクの作り方を習っていた。元々器用なのだ。

 コーヒーを持って席に移動して、外の撮影でも見よう……と思ったら、女性が入ってきた。

 それは同じくコンペに通り、今一緒に撮影している鳩岡夢子はとおかゆめこさんだった。

 葛西は同じ大学の先輩なので「おつかれさまです!」とすぐに頭を下げてコーヒーの準備に入った。

 本当に店員さんみたいだ。

 鳩岡さんは花柄のスカートと長い髪の毛をふわふわと揺らしながら手を振って近づいてきた。

 

「莉恵子さん、おつかれさまです」

「おつかれさまです。なんか外が先行になったみたいで、今日は遅くなりそうですね」

「そうね。夜になっちゃいそうね。でもやっとゆっくりお話しできると思ってきちゃった。星を飲む少女、とっても良かった。莉恵子さんのアイデア好きです」

「鳩岡さんのタイポがやっぱり素晴らしいです。鳩岡エフェクト、やっぱり好きです」

「ありがとうー!」


 鳩山のタイポグラフィーはカメラワークと連動して特殊な動きをする。

 それを真似る人が多発したので『鳩山エフェクト』と呼ばれるようになった。

 年齢的には莉恵子とそれほど変わらないが、その才能は確かで次の映像界を担う……と言われている方だ。

「どうぞ」

 鳩岡が座った席に葛西が紅茶を置いた。鳩岡は優しくほほ笑んで

「さすが葛西くん。覚えててくれたのね。私がコーヒー飲めないって」

「お腹痛くなっちゃうんですよね。覚えてます。あと……ミルクレープがお好き。莉恵子さんはチョコケーキですよね」

 葛西はそれぞれの前にケーキを準備してくれた。

 鳩岡は「いいなあ~~」と葛西を見て口を尖らせた。

「うちの所、先週制作逃げちゃって、大変。みんな連絡もなしで困っちゃう。いいなあ莉恵子さん、葛西君ください~」

「いやいや、私も葛西がいないと困っちゃうんですよ。うちのチームに絶対的に必要なカスタマーサービスみたいな感じなので」

「葛西くん、そんなことしたくて仕事してるんじゃないもんねえ。うちなら現場直結だよ?」

「鳩岡さん~~勘弁してくださいよ~~」

 莉恵子は苦笑した『顔をつくる』。


 実は鳩岡さん……二つの顔を持っていることで有名なのだ。

 表面上はふわふわヘアーに花柄のスカート、メイクもしっかりして、とにかく華やかだが仕事になると鬼のように厳しい。

 それに人を人と思わず鬼畜な作業量を平気な顔してぶち込んでくるので有名だ。

 ただ仕上がりはすごい……本当に良い。

 莉恵子は心の中で鳩岡のことを「映像業界の教祖」だと思っている。

 八割出来上がっていたものを納品一か月前……スタッフが全員死ぬ気で作業すれはなんとかなるタイミングで全部修正指示を出す人だ。

 それでも確実に良いものにしてくる。

 だからみんな「また仕事したい!!」と一緒に仕事するけど、気が付いたら身体はボロボロ……逃げ出していく。

 面白い世界を見られるかも知れないけど、体調を崩す……そういう監督だ。

 それを葛西もよく知っている。

 莉恵子の横にチョコンと座りココアを飲みながらほほ笑む。


「俺は莉恵子さんのところでもう少し勉強します。でも力がついたら……ぜひよろしくお願いします」

「待ってる~~!」


 鳩岡は楽しそうに食事を終えて、目の前に現場に参加していった。

 演出陣営は、この現場にきて休む暇もない。本当に大変だ……。

 鳩岡が去った横で、葛西が「ふう、緊張した」と背中を丸くした。

 その泣きそうな表情が面白くて、莉恵子は噴き出した。


「憧れの監督でしょ?」

「そうですよ。それもあって緊張しました。でも……今の俺が行っても瞬殺されます」

「逃げた制作って、元レンタヌの田中さんでしょ? しっかりしてた人だけどね……いや、噂通り過酷なんだね」

「そうですね、でも……いつか仕事してみたいです」


 そういう葛西の目はまっすぐで……当たり前だけど数年経ったら葛西も莉恵子の下から去って行くのだと思い出させた。

 今葛西はアシスタントプロデューサーで莉恵子の下で学んでいるが、数年後は自分が選んだ監督と仕事をしていく。

 莉恵子が沼田や小野寺と組んでいるように、いつか自分のチームを持って動き出す。

 自立できるまで教えるのが莉恵子の仕事だ。それは結果的に未来の莉恵子も助けてくれる。

 葛西は莉恵子よりデジタルに強いから、もっと新しいこともたくさんできるだろう。

 ものすごく葛西に頼っている部分が大きいので、その時は心底淋しいと思う。

 でも誰より応援している。


「……この後にある企業PV、沼田さんの弟子の新さんと回してみない? 結構自由に出来るところだよ」

「!! やってみたいです」

「任せる。今なら私も沼田さんも小野寺ちゃんもいるんだから、今たくさんやって疑問を出して」

「はい。ありがとうございます!!」

「資料送る。新さんも新しいことしたいって言ってたから、まず話してみたら? 小野寺ちゃんもやってくれると思うよ。葛西なら」


 葛西は「そうだと嬉しいんですけど」と笑顔を見せて資料に目を落とした。

 小野寺と仕事をしたい人は多く、かなりの量を断っているはずだが葛西に頼まれたら「もう仕方ないですなあ」と手伝ってくれると思う。

 それがプロデューサーの命綱だ。葛西には、その力がある。

 しかし葛西がいつかいなくなることを想定して、このフルデジタルになっている環境に莉恵子の慣れないといけない。

 最近は全部Slackで連絡がくるんだけど、正直分かりにくい。分からないと言ってる間に葛西は独立してしまうだろう。

 仕方なく重い腰をあげる。


「……ねえねえ、これさ、安藤さんに連絡したんだけど、これって安藤さんは気が付いてるの?」

「ここのマークがあるので……ここで確認できます。設定を変更すると分かりやすくなりますよ。ここで……っと」

「なるほどぉ……?」


 葛西は設定をいじって莉恵子にも分かるようにしてしてくれる。

 う~ん?? と考え込む莉恵子を見て葛西が笑う。


「いますぐに出てったりしませんから、莉恵子さんも色々覚えてくださいね」

「分かってるよ~~」


 机に倒れこむ莉恵子に葛西はチョコレートを追加で持ってきてくれた。

 甘えてばかりも居られない。しかしよく分からない、つらい。電話のが早い。

 でも……独り立ちして出て行く日が、なにより楽しみだったりするのだ。 

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