スイートポテトと黒い月

黒須友香

CODICE1 黒い二人と黒い月

 足掻いても、決して手に入らないものがある。

 懸命に自分を鍛え研鑽けんさんを積んでも、何の努力もしない人間に先を越されることがある。


 いかなる強者、いかなる才能も「運」には決して勝てないのだ。

 そして僕は、生まれながらに「運」に見放された、全身に「不運」をまとった人間だった。


 校外行事に出れば予報が外れて暴風雨。

 雪の中早めに出願に行ったら受験番号が一番。

 バスに乗ったら転落事故に遭い、木に引っかかって一晩過ごした。

 飛行機に乗ったら計器トラブルでロシア領空に突っこみ、戦闘機に撃墜されかけた。


 天災人災何でもござれ。

 悪運にもめげずやっと警察官になったが、気がつくと「事件を悪質トラブルでかき回す男」と呼ばれ爪弾きにされていた。

 僕が現場へ駆けつけると、例えば窃盗現場にスピード違反車が突っ込んでくるなど、事件が更なる事件を呼んで玉突きを起こしてしまうのだ。


 そのうち僕が担当しなかった未解決事件まで僕が引っかき回したことになり、他の警察官が起こした不祥事の実質犯にまでされかけた。

 僕は警察ここにいちゃいけないらしい。


矢崎やさき辞めんのか」

「よし次のイベントガチャはもらった!」

「これで俺の彼女も戻ってくる!」

 知らんがな。


 逃げるように警察を去った直後。

 もと上役にあたる粕谷かすや警視長から、なぜか直々にコンタクトがあった。

 イタリアから来日予定の実業家、ヴィルフレード・ガッティーニ氏の警護チームに加わらないかという。


 勢いに押され、来日中だけの話と思って引き受けたら、気がつくとガッティーニ氏と一緒に飛行機に乗って空を飛んでいた。その時はなぜか、計器トラブルも急病人も乱気流も発生しなかった。

 僕は日本ここにもいちゃいけないらしい。



 レッジョ・ディ・カラブリア。

 イタリアの、いわゆる「ブーツの爪先つまさき」に位置するカラブリア州最大の都市。

 この地を舞台に、僕の悪運は更に花開くことになる。



  ◇ ◇ ◇



 イタリアへ渡って三ヶ月。


 聞き真似程度のイタリア語を覚え、警護の何たるかを一から鍛え直された。

 両方とも、シレアという四十代半ばの警護長が親身になって教えてくれた。


 どうやらシレアは粕谷警視長と繋がりがあるらしい。

 彼は日本にやたら詳しく、自宅に呼ばれて日本酒を勧められたことがある。その際、二人が親しげに並んでいる写真を見つけたからだ。


 もう一つ、イタリアへ来てわかったことがある。


 僕が警護すべき男・ガッティーニが、背が低くて虫歯が三本あるだけでなく、とんだクソ人間だということだ。


 表向きは清廉潔白な顔して慈善事業などに携わっているが、裏では非合法ビジネスに相当手を回しているらしい。

 賭博・恐喝・詐欺・麻薬――恐らく殺人も入るだろう。


 護衛として付き従うだけの僕の耳にも、きな臭い話題の片鱗が入ってくる。

 実はンドランゲタマフィアの一派の一員なんだと、シレアが小声で教えてくれた。


 僕が護衛任務をまっとうする時は、即ちマフィアの抗争に加担することになる。

 しかもそれは、守る気も起こらない人間の前に身を投げ出して盾となり、代わりに銃火を浴びる時。


 せめて僕がまとう悪運が、この男にも影響すればいいのに。

 どういうわけか僕が来て以来、この男には悪運どころか幸運が列をなしてやってくる。敵対組織のカポボスが死に、株で大儲け。更に掘り出し物の商品を仕入れたと、本人がほくほくしながら大声で語っていた。




 あ、そうか。


 僕の「悪運」は、悪人にとっては逆に幸運になるんだ。


 人が「」を味方につけてのさばっている。

 これ以上の「悪運」があるか?




 掘り出し物の商品とやらは、ある日丁重に運搬され、屋敷の地下に運び込まれた。


 深紅の布がかけられたガラスケース。男二人でようやく運べる重さと大きさ。骨董品のデカい壺でも入ってるのか。

 男たちが慎重にケースを運ぶ途中、一瞬布がめくれて――


 わずかに差し込んだ日の光さえも逃さず反射する、輝く金髪。いやもっと淡い。銀髪?


 子供の後ろ姿だった。まだ十歳にも満たないほどの。

 まさか。人形……だよな?


 その姿が再び布に隠れた時、僕ははっと我に帰り、改めて自分の非力な現状に消沈した。


 仮に、あれが人間だったとして。

 ガッティーニなら人身売買くらいやるだろう。

 でも、だから何だって言うんだ?


 何の証拠もない。力もない。

 相手は大物実業家の皮を被ったマフィアだ。

 目の前の不確かな犯罪の可能性に踏み込むには、僕はあまりに非力でちっぽけだった。


 僕の存在意義なんて、この世のどこにもない。



  ◇ ◇ ◇



 夜、イオニア海を臨む高台を一人歩いた。


 眼下では、ビーチに沿って階段状に連なる観光客向けの施設が華やかにライトアップされ、街をオレンジ色に染め上げている。絶好の夜景スポットだ。

 僕は勤務中でもないのに黒スーツを着たままで、とてもこの風景に溶け込める存在とは言えない。


 足が自然と街灯から離れ、目が落ち着く闇を求めて目的もなくさまよい歩いた。

 高台の細いフェンスを越えれば、五メートルほど下のどこかの屋根へ落ちるだろう。それともこのまま崖を登って、イオニア海へ飛び込んでしまおうか。

 不運続きの僕の人生は、こんな異国の地で唐突に終わってもちっとも不思議じゃない。



 散歩の途中、背後に何かの気配を感じた。


 強盗? あいにく金なんて持ってない。

 と思ったが、足元にチャリンと硬質な音が響き、ポケットに穴でも開いたかと身をかがめてコインの行方を追った。

 

 同時だった。

 何かが、かがむ前の僕の頭の位置をすり抜け、鋭い破裂音を響かせた。後方を見ると、石壁に当たった何かが欠片となってパッと舞い散るところだった。

 離れようとすると、今度は落ちていたオレンジの皮を踏んづけて膝をついた。また僕の体があった場所を何かが飛び抜けて、石畳の上で破裂。どこかから口笛が聞こえた。


 フェンスの向こう、高台の端。通常は人がいるわけないその場所にいる人間と、バッチリ目があった。

 黒髪・黒コートの襲撃者はくるりと身をひるがえし――高台を降りて逃走をはかろうとした。残念ながらまたも僕の「悪運」が発動。


 フェンスごと、高台の端が突然崩れ落ちた!


「うそぉっ!?」


 高い声を上げてバランスを崩す細い体を、僕は追いかけた。

 手を伸ばし相手の腕をつかむと、落下する高台を蹴って数メートル先の施設の屋根に着地。

 すぐ横をフェンスと高台の固まりが落下し、屋根で砕けて道路上に飛び散った。

 

 屋根の傾斜の上で、身を起こした瞬間。

 僕は片膝をついたままで、彼女は僕に向かって武器を構えている。

 この瞬間、勝負はついたと言っていい。


 が、なぜか彼女はすぐに攻撃してこない。

 猶予ができた数秒で、僕はざっと相手を観察した。


 こちらに向かって突き出した左手に、握られたY字型の道具。長く伸ばされたゴムに、耳下に固定された右手。武器はスリングショットだ。

 構えるは、黒髪を後頭部でざっくりアップにまとめた女性。顔を見る限り、若いアジア系。僕と同じ日本人?


「君は――」

矢崎やさき京一けいいち、だよね」


 日本語だ。僕の名前を知ってる。


「君は誰だ?」

「ガッティーニに雇われた護衛」


 何だって?


「だったら僕と同業だ。でも一度も君を見たことがない。僕を攻撃した理由は?」


「ガッティーニに差し向けられた殺し屋を捜して排除するのが私の役目。見る限り、該当するのはあんたしかいない」


「僕が殺し屋!?  冗談言わないでくれ」


 僕は力が抜けて座り込んだ。彼女が再度発射すれば、この距離で避けるのは不可能。

 彼女は、気のせいか少し面白がっているような口調になった。


「あれ、もう諦めた?」


「今は無実を証明する手段がないし、君にはかないそうにない。どっちにしろ僕はここにいない方がいいんだ。ただ、僕がいなくなるとガッティーニの幸運も逃げるかもしれない」


「どういうこと」


「話せば長くなる。撃つ気なら、その前に君の名前くらい教えてもらえると嬉しいけど」


 彼女の、ゴムを引く指に力がこもる。名前も言わずに撃つのかな。

 彼女の腕なら、急所にきれいに一発もらって、それでおしまいだろう。何も考える必要がない。


 と思ったが、またも僕の人生は僕の思惑を外れた。

 先の衝撃に耐えかねたのか。傾斜した屋根の端が大きく傾き、僕も彼女も、さらに下方の別の建物の屋根へ落下。

 狭い屋根上を滑り、二人の体はそのまま道路上まで放り出されてしまった。


 道路にはすでに、何ごとかと見にやってきた人だかり。フェンスと高台だけでなく、二人の人間まで突然降ってきてビックリだろう。


 ぶざまに背中を打った僕と違い、きれいに足からスタッと着地した彼女は、そのままコートの裾をひるがえして走り去った。

また会えたら名前教えてあげる。じゃねっ!」と言い残して。



 ――運、向いてこないかな。もう少しだけ、ちゃんと生きてみたくなった。


 彼女の髪、コートを着た細身の後ろ姿。すべて僕と同じ黒。

 互いに、護衛なんだか殺し屋なんだか、あやふやだけどいさぎよい。


 道路に寝そべったまま見上げた月は、雲に覆われていつもより黒く見えた。

 輪郭のぼやけた、おぼろげな黒い光。

 今の僕と彼女のイメージに、ぴったりかもしれない。

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