エンドレス
回鍋肉
第1話
技術革新によって携帯電話の主流が薄型の有機ELディスプレイに移行してから何年か過ぎたころ、あの事件は起こった。
ある日の夕方、誰もが家路につく最中のことだった。
国道と県道とが交わる大きな交差点で青年Aが横断歩道にて死角から襲来した軽トラックに追突された。早い話、軽トラックの居眠り運転だった。
軽トラックが容赦なく当たると、Aの身体は――空気の入っていないサッカーボールのごとく――ぺしゃんこに潰れた、かと思うと瞬く間に吹き飛ばされ、Aの体躯は無残な形で車道に横たわった。
ただ驚くべきと言うべきか、Aは事切れていなかった。
「な、なにが起こったんだ? 確かコンビニから家に向かって歩いて――」記憶を遡っていったところで激しい頭痛に襲われる。ウッ、とうめき声をあげる。
「痛い!」頭が焼けるように痛い。それに妙に体全体がぐったりとして力が入らない。頭に触れるとベッタリとした手触りの、現実味を帯びていない血のような液体が大量に付着していた。
「まずい、このままだと死んでしまう」そう思うも「不幸中の幸い。交通量の多いこの交差点だったらすぐ救助してもらえるだろう」と半ば楽観的に捉えていた。そこがいけなかった。
時が経つにつれて視界が狭くなり、うすぼんやりとした暗黒がAの背後までじわりじわりと迫ってきていた。が、往来の人々は見向きもせずにどこかへと歩いて行く。Aと目が合ったとしても見えないふりをして視界の外へと消えていった。ようやく一人立ち止まったと思っても、薄型液晶端末を取り出しカメラレンズが埋め込まれている部分を瀕死のAへと向けるだけで救助も何もしなかった。
「何をしているんだ、早く助けろ」声を出そうとするも喉が潰れていて上手く話せない。
やがて、また新たに別の人物がAに近づいてきた。
「ようやく助かる」Aは淡い期待を抱いたが、こいつも先程と同じように端末を取り出しカメラの部分を向けてきた。そして何食わぬ顔で立ち去っていく。
「一体何で助けてくれないんだ? というかこいつら何しているんだ?」Aの頭の中で疑問符が並ぶ。
モヤモヤと考えているとどこからともなく、ピロン、というこの場に相応しくないコミカルな音が聞こえた
「何だ今の音は?」音の発信元を目で追う。すると、Aが倒れているのを尻目に足早で歩いていったやつらが、A中心に円を描くように集まってきていた。集まった百人近い群衆のほぼ全員が端末のカメラ部分をAへと向ける。
ピンとくるものがあった。ピロン、という音や救助もせずにカメラ部分を向けてきた奇行。
まさかこいつら、僕のことを録画しているんじゃ? 途端に背筋が凍る。
「いい加減にしてくれ!」怒鳴り声を上げるが、出るのは情けない喘ぎ声と吐血だけだった。そのAの様子を見た人々はみんなしてニタリと気味の悪い笑みを浮べる。興奮のためか顔全体が赤く上気していて、目には恍惚の色がうかがえる。
「こいつら狂ってる」絶望の中、Aはそう確信した。
ようやく救急車が呼ばれ、現場に急行したときには時すでに遅し。到着したころ、Aはすでに息を引き取っていた。
後に救急隊員が「Aの死に顔は何かに怯える表情で、目は虚空を捉えていた」と語っている。が、この時、人々はそんなこと一切知らない。救急車が到着するのを確認するや、当人達は途端に興ざめしたらしく各々どこかへと消えていった。
周りの人々が車に轢かれた善良な青年を見殺しにした、という事実が明るみに出るやセンセーショナルかつエンタメ性の強いこの事件を各種メディアは放ってはおかなかった。どこもかしこも面白おかしく取り上げ、連日のようにAの死についての考察が様々な角度から報じられた。
「もっと早く通報していれば男の人は助かっていた」
「いや間に合わなかったね」
「というよりも、まずはこれからの有機ディスプレイの使い方を考えるべきだ」
「そもそもなぜこんなことに」
来る日も来る日もコメンテーターが口々に言い合い、罵り合った。新聞やネットニュースの見出しにはAの事件が乱立し、事件究明という大義名分を掲げた情報番組にはAの知人を名乗るものが大勢詰めかける事態も起こった。
この事件を知った人々は嘆き激怒した。「なんて酷いことだ。もうこのような事件を起こしてはならない!」その世論の声を受けて、事件現場にはAの死を悼むモニュメントと献花台が設置された。
時を同じくして、ある政治家が国会中継の際に「我々はA君の事件を受けて反省しなくてはならない!」と声高に叫んだ。そのことが呼び水になり国会では新しい法律案を検討し始めた。
「ああ良かった良かった。慰霊碑も新しい法律もできるのだからこれで真の平和になるな」人々は心からそう安堵した。
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