Golden Lace
風月那夜
無情のアジサイ
ババアが死んだ。
いつもにこやかで死なんて物とは無関係な顔をしていたのに、でも、やっぱりそれでも人間だから生命は有限だと微笑んで天寿を全うした。
ババアが死んだ。
大好きなババアが死んだ。
――ああ
もう「ババア」なんて呼ぶ事はない。優しい笑顔を向けられるのが恥ずかしくて照れ隠しに「ババア」なんて悪い言葉で大好きなおばあちゃんをそう呼んでいた。
大好きなおばあちゃんが死んだ。
大好きなおばあちゃんの家でおばあちゃんは眠ったまま二度と目を開ける事はなかった。
おばあちゃん家は田舎にある。
市街地からバスで二時間。野山に囲まれ豊かな自然がそこら中に溢れているが、お隣さんというものが見える範囲にはない、そんな場所。
古い家の床はぎしぎしと軋むが、その音がまるで亡き女主人を偲んでいるようでなんとも愛しく聞こえてくる。
その音を私以外の者が奏でながらこちらに近付いて来た。
「おい、」
低い声のする方へ顔を向けると一台の男がいた。
それは一家に一台は当たり前のお手伝いロボット。見かけは30歳代半ばの男性に見えるが、愛想笑いの一つもない無表情な顔を見て、不良品ではないかと疑う。
優しいおばあちゃんは不良品でも返品なんてしなかったのだろう。
「
「?」
不良品は頭も悪いのだろうか。
「私の名前。おい、じゃない」
ぶっきらぼうな調子で目も合わさずに言うと、不良品は、ああ、と合点の声を上げる。
「葬儀が始まる」
「うん」
「先に行く」
不良品はそれだけ言って踵を返す。
その背中をチラリと見やって、大きく溜息を吐いた。言葉遣いの事を私が言えた立場ではないが、不良品は不良品らしい言葉遣いで奥へと姿を消した。
おばあちゃんの遺族は私ひとり。両親は幼い頃に亡くなっている。
――私、独りになっちゃった。
*
お坊さんを呼んで焼香して、それから焼き場でおばあちゃんは真っ白になった。
私の頭の中も真っ白で涙は出ない。
そんな私の傍らにいる不良品に声を掛けられる。
「家に帰ろう。腹が減っただろ。何が食べたい?」
こんな時でもご飯を食べさせようとする不良品は、自分の仕事を忠実にこなそうとする。
「要らない。アンタもさ、もういいよ」
おばあちゃんは死んだんだし、もう主人はいない。電源を落とすなり、別の主人を探すなりすればいい。
だけど不良品は何も言わない。横目でその顔を確認すると、なんとも困ったような悲しい顔をしていた。
おかしい。不良品でもおばあちゃんが死んで悲しいなんて思っているのだろうか。
「何か食べないか?」
遺品整理に手が付かないまま縁側で寝転んでいた私の上から不良品の声がする。
私は声も出さず目も合わさないまま、首だけをほんの少し縦に揺らす。
それを肯定の意として受け取った不良品は、15分くらいで出来る、とだけ残して台所へ向かって行くのを床板の音で感じた。
寝転ぶ私の視界には小さな庭が見える。
おばあちゃんの趣味の庭には、春の花が終わり夏の花が咲こうとしている。
隅にあるアジサイはおばあちゃんの見送りを終えたようにその淡い色彩を草臥れた色に染めていた。
花も主がいなくて寂しいのかもしれない。
何気なく開いたスマホには何通もの「お祈り」メールが届いていた。
「お祈り」なんて綺麗な言葉を使うけど、ただの就職不採用通知。
祈らなくていいから、もっと直接的に「お前のここが駄目なんだ」とか指摘してくれた方がマシだ。
大好きな絵を勉強したくて県外の美大に行かせて貰ったけど、絵なんて描いても就職には全然役立たない。
「はああ」
大袈裟なほど盛大に溜息をついて、この空虚感を紛らわせたくなった。
こんな時はいつものアレに限る。
鞄から愛用の色鉛筆とスケッチブックを出すと、スケッチブックの角はよれていた。頁を捲るもののサラな頁がない。
「はあ」
――仕方ない。家の中にあるもので代用しよう。
と、そこに丁度良く不良品が通り掛かる。
「ねえ紙が欲しいんだけど、ない?」
「紙? 何に使うんだ?」
「絵を描くの」
「何でもいいのか?」
「何でもいい訳ないじゃん。もういい自分で探す」
「あ、おい、」
おばあちゃんが日中よく居た陽当たりの良い居間の棚を調べる。
薄紙の便箋ならすぐ見つかったのだが、私が欲しいのはもう少し厚さのある紙。
これくらいの厚さが理想──と思って指で摘んだものは葉書だった。裏表を確認するも未使用のよう。
「まあ、いいか」
サラな葉書が六枚。それをスケッチブックの上に乗せて庭に出た。
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