妖乃森くんと石動さん

ヤマギシミキヤ

その1

「ううう、こわいよぉ……」

 石動さんが僕の服の袖をきゅっと摘んで、そろそろと着いてきます。怖いものを見たくないのを誇示するように目をぎゅーっと瞑っているので、ほんのちょっとでも段差があるとその度に軽くつんのめっています。

 そうなると石動さんは僕の袖を大きく引っ張るか、僕の体に軽くぶつかるかして挙動を止めなくてはならないのです。

 女の子にそんな風に不意に触れられたりすれば、年頃の男の子だったらドキドキしない訳がないのだけれども、今はちょっと状況が特殊すぎました。

 僕もチョーコワイ! 僕は石動さん以上に怖いのを「女の子を守るのは男の子の仕事ですから!」と何とか自分に言い聞かせて我慢しているだけなんです! だから石動さんが強く体を押し付けてきてくれても、怖さの方が勝ってしまって、嬉しさを感じられないんです! うわわわぁあぁあんっ!?


 僕たちは今、学校の裏山を歩いています。

 学校、そして裏山。

 それは普通に聞いたらなんの変哲も無い、どこにでもありそうな施設と地形の名称の組み合わせでしかないのだろうけれども、僕の……いや、僕たちの通っている「学校」は、応急修理実習用という名目で欧州の地を駆け巡っていた重戦車が校庭の隅に転がっていたりするような学校なので、多分普通じゃないです。

 だからそんな学校の裏山には、錆び付いたトーチカとか、ギロチン執行用の断頭台とか、山羊の頭蓋骨が置き去りにされたままの魔方陣とかが、さもここにあるのが当然な顔をして、無造作に放置されていたりします。

 なんで……この国にこんなものがと思うけれど、ここはそんな「学校」なので、仕方ないです。しくしく。

 こ、こんな授業料0円の学校にしか行けないびんぼーな我が家がいけないんだ。しくしくしく。

 鬼が出るか蛇が出るか……既にそんなレベルでもなく、本当に宇宙人の侵略用前線基地くらい出てきてもおかしくないようなこの裏山。僕、妖乃森春人あやのもりはるとと、彼女、石動冬子いするぎとうこさんの図書委員二名は、学校の生徒ですらほとんど誰も来たがらないこの場所を、ある目的のために絶賛通過中なのです。

『妖乃森ー、石動ー、ちょっくら裏山の倉庫まで行ってきて、この本取ってきてくれないかなー?』

 司書教諭兼古語研究員という肩書きを持つ大化物おおかぶつ先生が、解析機関から印字した紙をヒラヒラさせながら、そんな風にのたまわります。

 図書室の主ともいえるこの先生にお願いされては、我ら図書委員である僕たちは嫌とはいえません。近い場所にいる教師にイヤイヤしてしまっては内申にどう響くか。しかもこんな「学校」の教師を勤めている人が相手なのですから……。

 それに大化物先生はその凶悪な名前に反して意外にも生徒の面倒見が良く、僕たち図書委員の面々には、お菓子やジュースなんかを気前良くおごってくれたりします。委員会活動で夜遅くまで残っていた時など、夕飯をご馳走になったのも数知れず。だから「大化物先生の頼みならやってもいいかなぁ」とか、普通に思ってしまうのです。

 しかし! しかしです! それは今にして思えば、餌付けされ、従順に働くように手懐けられていたのだと気づくのでした!

 毎日毎日「助手」と称してこき使われ、挙句の果てにはこの何が出るか判らない裏山へのお使い……うわーんっ、こんちくしょーっ。

 僕が密かに好意を寄せている石動さんと一緒に送り出してくれたのは、先生のせめてもの愛情かと思うけれども、今はそれを上回る恐怖しかありません! えぐえぐ。

「ふぇぇぇぇえええんっ、こわいよぉぉぉっぉおおおっ!?」

 そんな僕の気持ちなんてどう思っているのか全く不明な石動さんは、怖さが更にエスカレートしてしまったらしく、僕の背中に顔を押し付けて泣いています。すっごく嬉しいはずなのに、なんだか素直に喜べない。

 ……ぶっちゃけてしまえば、僕も石動さんの背中に顔を押し付けて泣きたいです。でも、それをしてしまうとチカンになっちゃいますね。良いなぁ……女の子は、ぐすん。

 なんと言いますか、最初は僕も「わーい、石動さんと肝試し風デートだぁ」とか思っていた部分もあるのですが、この裏山に入った瞬間にその喜びは綺麗さっぱりふっ飛びました。なんだか今は怖がりな姪を連れて、半分遭難しているような気分ですよ。うは。

「ぐす……妖乃森くん……」

 すすり泣きに混じって石動さんの声が聞こえます。余りにもか細い、掴んだら折れ砕けてしまいそうな囁き。こんなにも憂いに満ちた声、静かな図書室でじっくりと心に噛み締めながら聞きたかった。録音して持って帰りたい。

「な、なぁに、石動さん?」

「わたし……無事に図書室に帰れたら……お腹いっぱいお菓子食べたい、カプリコぉ」

「うわーっ!? それカンペキ死亡フラグだよ石動さんっ!?」

 それは『俺、この戦争が終わったら田舎くにに帰って、でっけぇステーキ屋をやるんだ!』 とか、『先週娘が生まれたんですよ』に匹敵するぐらいの、定型文とも言える死亡フラグ。こんな状況でなんてこというんですか石動さん!?

「そんなこと言っちゃったら、映画とかだと僕たち完全に生きて帰れないよ!?」

「でもぉ……それぐらいのご褒美ないと、もぅ足が震えて動かないよぉ」

「そ、それは……でも石動さん、今ダイエットしてるって言ってなかったっけ?」

「今日だけは限定解除ぉっ!」

 ズシン!

「!?」「!?」

 僕たち二人の会話を遮るように、何か大きな音がしました。

 巨大な音の後に訪れる、耳が痛くなるほどの静寂。フルパワーで動く心臓の鼓動が聞こえるほどの静けさ。何者かの視線を――頭上から感じます。それと同時に空から落ちる影。そ~っと上を見上げると

「……放浪機ヴェグランシィ

 ああ……やっぱり。石動さんが言っちゃった死亡フラグが、見事に現実化してしまいました。それも最悪の形で。

 金属の表層に苔や蔦が絡み付いている巨人が僕たちを見下ろしています。それは学校から逃げ出した放浪機ヴェグランシィに違いありません。

 僕たちの通う学校は実験用と称して、龍機兵と呼ばれる全高10メートル前後の人型機械を10数台保有しています。そして年に一回くらいの割合でその内の一機が「なぜか」勝手に逃げ出してしまうのだそうです。それは学校から一番近い隠れ場所である裏山に、殆ど例外なく住み着きます。そしてそのまま野生化してしまったのがこの放浪機です。

 これなら……宇宙人とかの方がまだ良かった。だって宇宙人のみなさんだったら交渉すれば体に謎の機械を埋め込まれる程度で済みそうじゃないですか? でも放浪機が相手では話し合いすら成立しない。アレがほんの少しでも僕らを狙って腕を動かしたらたちまちミンチで、捏ねて焼いたらハンバーグの出来上がりですよ、そしてそれを放浪機が食らうんですよ……嫌だなぁ。せめてキャベツで巻いてロールキャベツくらいに……おんなじですか。

「……石動さん?」

 隣りでどさっと音がしたのに驚いて振り向くと、石動さんがヘナヘナと力が抜けたようにペタンと尻餅をついていました。

「死ぬ前に……お腹いっぱいカプリコ食べたかった」

 放浪機という絶対逃げられそうもない相手と遭遇――エンカウントするフラグを立ててしまったのは石動さん自身だと思うのですが――してしまって、石動さんも恐怖で緊張し続けるのにすっかり疲れてしまったようです。「カプリコ……カプリコ……」と呪詛の念を唱えながらカクンと首が落ちました。

 カプリコか……そういえばアレ、なんであんなに美味しいんだろう。ダンボール箱で部屋に置いてあったら、僕ですら一晩で食べ尽くしてしまうだろう美味しさ。ただ、美味しさに比例して値段もカロリーも結構高いんであんまり食べれないんだよな……


『……少年よ、力が必要か?』


 そんな風に、幻想の中(走馬灯だったかも)でカプリコの味――しかもノーマルサイズでは生産中止になってしまったヨーグルト味――を僕も確かめていると、自分でも石動さんでもない(もちろん放浪機でもない)誰かの声が聞こえました。

「誰ですか!? 必要といえば必要です! というかすごく必要です!」

 一体誰!? しかし藁にもすがる思いの僕は、目の前に浮かぶ救命道具が藁――ストロー一本であってもしっかり握ってしまうのです!

『ならば、我を使え。英雄たる器を持ちし者よ』

 僕は声のした方――感じた方に視線を走らせると

「……あ」

 森の少し開けたところに、土中から岩が顔を出しています。その上に何かが刺さっている。そして声は、そこから聞こえました!

「石動さん、ここでじっとしてて!」

 何かを感じた僕は、その岩に向かって一目散に駆け出しました。半分気を失いかけている石動さんを一人にするのはためらわれたけれど、僕が走って注意を引き付けられたらと思って、飛び出しました。横目で確認すると、放浪機の頭部は上手く僕のことを追っています。良かった。

 でも僕も怖さで足が震えているので真っ直ぐに走れません。それでも何度も転びながらその場所へたどり着くと、突き刺さっているのはストローではなく、立派な剣! やったぁ!

『少年よ、我を抜くのだ。貴様にはその資格がある』

「は、はい!」

 剣の声の指示に従って大きく野太い柄を両手で握って思いっきり引っこ抜くと

 ぶぅんっ――どすん!

「うわっは!?」

 でーんっと曝け出された巨大な刀身。グレートソードとかツヴァイハンダーとか、多分そんな風に呼ばれる剣。日本風に言うなら野太刀……いや、斬馬刀かな? 立派な体格の軍馬すら一撃で切り伏せそうな剛刀。これなら放浪機が相手でも何とかなるかも……しかし

「重ぉ!?」

 何十キロもありそうな刀身は、刃物というよりもほとんど鉄塊です。なんでこんなものを簡単に引っこ抜けたのか不思議なくらいの大きさ。こんなバカデカイもの振り回せるわけがない! いくら頼もしい武器を手に入れても使えなければ意味がないですよ!?

『少年、貴様はまだ我を使いこなすには体が未熟なようだな。ならば我の指示に従って我を扱うが良い。今から3分間、お前を無敵の存在にしてやろう』

「え? あ、は、はい!?」

 しかしこの大きな剣は、勝算があるご様子。3分間? どこぞの巨大変身ヒーローですか? 良く判らないけれど、とりあえず放浪機をやっつけられるならなんでも良いです!

『ゆけ、少年』

「はい!」

 僕は剣先を地面に付けたままズルズルと引っ張りつつ、放浪機に向かいます。

 ……でかい。

 身の丈10メートルの巨人。しかも体表は汚らしく苔や蔦を生やして、迫力充分。

 正直に言えば逃げ出したいです。

 でも……

「カプリコ……カプリコ……カプリコ……」

 蹲ったまま動かない石動さんの口から念仏のように、その商品名が紡がれ続けます。

 僕もそれに誘われて涎が……じゃない! 怖くて身動きが取れない石動さんを助けるためにも、僕ががんばらなくちゃ!

「え……えーい!」

 僕はどうにか大剣を持ち上げると、何とか振り回そうとします。すると意外にも剣が滑らかに動きます。確かに重いのですが、空気中に剣を移動させるためのレールが引かれているように動くのです。本を何千冊も積み込んで1トン近くなってしまったリアカーでも車輪がついているのでなんとか引っ張れる……そんな感じ。これが剣自身が言っていた「我の指示に従って」ということでしょうか?

 とにもかくにも自分の体を一回転させて振り回した剣身は、狙い違わず放浪機の足首を直撃し――バキン!

 金属が無理やり断ち切られる嫌な音がした直後、左足首を地面に残したまま一歩踏み出した放浪機は、支えを失ってそのままの勢いで倒れました。

「わわっ!?」

 横転する機体を避けるように僕が逃げ出した直後、放浪機はもの凄い音を立てながら大地に沈みました。放浪機は自重に機体構造が耐え切れなくなったみたいで、そのまま自壊してしまいます。何年も裏山を流離っているうちに、体中が錆び付いてしまったみたいです。

「わ……放浪機、やっつけちゃった」

 でも、僕が放浪機を倒してしまったのは事実です。僕は自分がしでかした偉業に、自分で自分が信じられず目が丸くなりました。

『どうだ少年。これが我の――我と貴様の力だ。我を持つ者は誰にも負けぬ力を得る。しかし我を持つのは我が認めし英雄の器を持つ者の――

「うわぁーんっ! 妖乃森くーんっ」

 今まで蹲っていたはずの石動さんが、いきなり飛び掛ってきました。

「ごふぅっ!?」

 彼女がアメフト選手ならば世界が狙えるのではないかという絶妙なタックルを食らって、僕は姿勢を崩しそうになり、持っていた剣を落としそうになってしまったので

『今はまだ3分の時間しか無敵の力は発揮できないが、お前の成長と共にその時間は長くなる。さぁ、我と共に世界の王となろうぞ。我と貴様の力が共にあれば誰も敵う者は無――

 この剣が元々刺さっていた岩がちょうど良い位置にあったこともあり、そのまま刺し直して返しました。危ないところを救っていただいてどうもありがとうございました。

『い……って、ええええええええ!? 戻すか普通!? 我の話を聞けェ!?』

「えぐぅ……ぐすぅ」

「石動さん、もうだいじょうぶだから。ほら、もう直ぐ倉庫のはずだから、急ご」

 とりあえず脅威は去りました。でもまた再び何かに襲われるか判らないので、早めに目的は果たした方が良いです。もう剣も返しましたし、ここに留まる必要もありません。急ぎましょう。

『……ぐすん、五百年以上も待ったのに』

 後ろの方で何かせつない声が聞こえたような気もしましたが、泣きじゃくる石動さんを連れて行くのに精一杯で、直ぐに忘れてしまいました。

 あ! せっかく石動さんが抱きついてくれたのに、ドキドキするのも忘れてた! あ~その時間だけでも返してーっ!?


 僕の目の前で、石動さんが満面の笑みで頬を膨らましています。リスのように愛らしく膨らんだ頬の中には噛み砕かれたカプリコがいっぱい詰っているのです。

 何とか倉庫に辿り着いてお使いを済ませて帰ったきた僕たちを、大化物先生は僕たちの気持ちを知ってか知らずか、籠に山盛りのカプリコで迎えてくれました。

「おいひぃ~」

 両手に包装を剥いたカプリコを持って夢の贅沢食いを披露している石動さんは、本当に嬉しそうです。その笑顔が見れただけで、裏山を彷徨ったのも、放浪機と戦った苦労も、全て報われる気持ちです。ちなみに今夜の石動さんは、風呂上りに乗る体重計の前で悶死してしまいそうですが、今は本当に幸せそうなので黙っておきましょう。

 そういえば放浪機をやっつける時に力を貸してくれた大剣が「世界の王になるうんぬん」とかいっていたような気もしますが、なにかの間違いで世界の王になったとしても、それが幸福だとは限らないと思うので、僕は別に良いです。

 だって、嬉しそうにお菓子を頬張る女の子の笑顔を見る以上に幸福なことって、無いでしょ?


 ――FIN――

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